毎日坐禅をするようになって、多少は自分を客観的に見られるようになってきたんですかね。
忽然と、悟ったことがあるのです。
おれは、アホだ。
いやもう、怖いわ。
なんか調子悪い、息苦しい、いらいらする、落ち着かない、そわそわする、パニック発作みたいなの出る、いろいろ言ってます。
ぼくが抱えているストレスはなんなんだろうか、といって、いろいろ考えあぐねたりもしている。
あたりまえだろ!
最近全然歩いてないからじゃねえか。
夏になって暑くなってから、全然歩いてないんだもの。
まあ確かに暑いと神経の調子がわるいというのはあります。
でもそれを理由に、この夏は全然歩いてなかったんだなあ。
確かにハウスダストも原因かもしれないし、きれいに掃除することは大事です。
今後も掃除はずっと続けていきます。
でもいくら清潔な家にしたとしても、そこにずっと引きこもっていたら、へんな病気するに決まってんじゃんか。
バイキンとホコリさえなければ、引きこもっていても大丈夫っていう免罪符にはならん。
汚いよりは少しマシ、ぐらいなもんです。
かつては、なんだかんだいって、1日に6000〜8000歩は歩いていたんです。
でも今年の夏からは、日によってはゼロの日もありました。
平均したら、1日に1000歩いってないんじゃないかなあ。
んなもん、具合がわるくなって当たり前やろーも!
なにがアホかといって、歩くことがとても大事であるということは、何度も気づいていたのです。
本を読んだとか、ネットで調べたとかじゃなくて、自分自身の経験として、なんども体感していた。
なのに、忘れてやんの。
ハウスダストじゃないか、カビじゃないか、おかしいなあ、こんなにキレイにしても、なんだかまたオカシくなってきたぞ。
いったいなんなんだ、どうしてこんなにぼくをいじめるんだ!
なんなんだっ!
いやもう、キモチワルいわお前。
そんなふうに1点集中でなにかをやって、それに効果がなかったら、落胆したり、ビックリしたりしてやんの。
なんでやねん!
なんでそんなに、直結的やねん!
そりゃあ掃除は大事だし、毎日やることも、いいことだ。
続けていったほうがいいに、決まってる。
でも、それをしたから不具合が治るかもっていう直結脳が、腹立つんだよなあ。
なんでそんなに、物事を安易に考えるねん。
んなわけねーだろうが。
そんなに簡単やったら、10年もグズグズいってないやろ!
とにかく、歩くことって、すげー大事なんですよね。
有酸素運動とかセロトニンとか呼吸器の鍛錬とか、そんな屁理屈はどうだっていいんだ。
人間は二本足で歩くように設計されているんだから、歩かないとだめなのっ!
ずっと座るようには設計されていなんだから、座ってばかりいたらダメなのっ!
腕とかの上半身じゃなくて、下半身をいっぱい使うように設計されてるんだから、足腰をよく使う生活じゃないとだめなのっ!
しょうもない、本とかネットとかで集めたりくつにゾッコンになりやがって、りくつばっかりでものを考えるから、目の前のあたりまえのことが、見えなくなってしまったんだよな。
りくつっぽくなるから、臆病になるんじゃ。
りくつで、ありもしない先のことを組み立てるから、不安になるんじゃ。
人間は、いっぱい歩くように、できている。
なぜか、とか、どうして、とか、もうそんなこと、どうでもいいんだ!
このことは、どんなりっぱな学者や哲学者が理屈こねて文句言ったって、張り倒してやる。
人間は、考えるアシじゃなくて、アシで歩くいきものだ。
考える生き物とかじゃなくて、歩く生き物なんだ。
あたまのことばっかり大事にしやがって、脚のことをいい加減に扱ってるから、重心が定まらなくなって、やじろべえみたいにフラッフラフラッフラするんだよなあ。
もう、りくつはいいから、歩け!