この3連休は、娘の引っ越しのあとガッツリ掃除をしたもので、いわば「大掃除の3日間」という感じでもありました。
いままでずっと息苦しさがあって、自律神経の具合もわるく、とくに午前中に異様なまでのイライラ、ソワソワが出る、というのがありました。
ひどいとパニック発作に至ることもありました。
しかし徹底的に掃除をしましたら、なんだか神経の具合がおとなしくなった。
なのでやっぱり、ハウスダスト的なものが関係していたのかな、と想像しています。
しかし……。
今朝はどうも、調子がよろしくありません。
ひどくはありませんが、以前の息苦しさとよく似た息苦しさがあります。
で、咳が出る。
鼻水やくしゃみは出ませんが、鼻声になってる。
目が充血してる。
腰とヒザが痛くて、これは運動をしたときになる痛みとちがって、もっと内部からくるやつです。
熱を出したときに出るような痛み。
気温24度なのに、朝起きてしばらくしたら、「寒っ!」。
風邪引いちゃったかも。
おとといぐらいから、若干アタマ痛いなあと思っていたんです。
激痛ではないですけどね、なんか薄〜く痛む、みたいな。
目もずっと充血していましたし。
で、どういうわけか、寝付きがわるい。
何かが気になって眠れないというのではなくて、全体的に神経がコーフンして眠れない、という感じ。
そのくせに、ダルいの。
ごくごく軽い、吐き気。
若干の下痢。
ああ、風邪だなあ。
「大掃除をしたら風邪を引く」
そういうひとは、けっこう多いようです。
まあ風邪というよりは、ハウスダストなどのアレルギー反応ではないか、と言われているようですが。
まあ、わかる。
娘の部屋、すごかったもんなあ。
いえ、娘がだらしないという意味ではなくて、やっぱり死角って掃除してないもんなんですよね。
引っ越しで全部の家具を動かしたり、押し入れの中を全部出したりして、盛大に換気をしたものですから、死角に潜んでいたホコリさんたちが一斉に飛び出してきて、暴れまわってしまったのです。
この呼吸器まわりの微妙な炎症とか、神経がコーフンしてる感じ。
これがひどくなると、ぼくがいつも感じていた自律神経失調の感じになるのだと感じます。
あの自律神経の不調は、おそらくハウスダストに対する抵抗反応(アレルギー反応)も強く関係していたんだろうな、と改めて思います。
聞くところによると、パニック障害で長年悩んでいたけれど検査したところ「上咽頭炎」が原因だった、という人もけっこういらっしゃるようです。
上咽頭というのは鼻の奥をずっと行って、ノドにブチ当たったあたり。
このへんはアデノイドという器官もあったりして、自律神経に深く関係しているそうです。
ここが炎症すると頭部全体の違和感がうまれたり、自律神経全般の不調が出ることもあるのだそうです。
ぼくは幼少のころ蓄膿症で、ぜんそくで、アデノイド炎症を持っていました。
アデノイドは結局、手術で切除されました。
蓄膿、ぜんそく、アデノイド炎。
いま考えれば、これは全部ハウスダストアレルギーの反応だったのかもしれないです。
空気が通る道にあるものばかりですからね。
もともとアレルギーがあるうえに、当時住んでいた家は古い団地で、とてもカビっぽかったのを覚えています。日当たりもあまり良くありませんでした。
たまに差し込んでくる日差しに大量のホコリがキラキラと輝いていて、
「わぁ〜、きれい〜」などと、純真だったボクちゃんは感動したりしていたものです。
大量のホコリを見てキレイだとはしゃぐなんて、まあ子供というのは邪気がありませんね。
空気は邪気まみれなのに。
そういえばその団地には、喘息や蓄膿の子がとても多かったです。
1970年代というのは、ぼくはもう思い切って言っちゃいますけど、当時の大人たちは全員バカだったんですよね。
病気したらなんでもクスリで治そうとして、わるいところがあったらとにかく切る。
空気を汚してでも経済発展を優先して、からだが弱いのは根性が足らぬからだとせめ立てる。
肉食っときゃだいじょうぶ、みたいな風潮もあった。
我慢して、我慢して、辛抱するのが男らしさで、耐えればきっと栄光があると信じてた。
勉強して、よい大学に行って、有名企業に入社すれば、人生は安泰だと思っていた。
経済はずっとずっと発展していくものだと信じてた。
つらいことがあったら、酒に逃げた。
耐えて、頑張れば、きっとあかるい未来があると信じてた。
そんな大人にムカついた若者は、鉄棒を振り回して、暴力沙汰をしょっちゅう起こしていました。
70年代は、エネルギーにあふれていたんじゃない。
大人も、若者も、全員がバカだっただけです。
ぜんぶ、うそだった。
環境が健康に与える影響の大きさについては、やっと最近見直されてきました。
学歴社会はいまだ若干残っている部分もあるかもしれないけれど、昔ほど絶対ではなくなりました。
有名企業に入っても、その会社が潰れるなんて、いまやなんの不思議もありません。
経済は永久に発展するものではなく、失速することもあるということを、バブル崩壊で初めて知った。
がんばればなんとかなる、というのはまったくの迷信だったことが判明した。
つらいことを耐えることも時には大事だけど、逃げることもすごく大事で、逃げることにも知恵と努力が必要だということに、膨大な数の過労死を生み出した後、やっと気がついた。
きっと、ぼくがおじいちゃんになるころにも、また言われるのでしょうね。
平成令和の大人たちは全員、バカだった、って。
なんなの、原子力とかあんな危ないもの使ってたんだ、あたまわるいんじゃないの。
発展することばっかり考えるんじゃなくて、発展をすこしやめれば、そんなものはいらないのに。
なんで「相対性」っていう概念を持てなかったの?
幸福を必死で求めるんじゃなくて、じぶんの幸福のレベルを下げてしまえば、それですむことなのに。
どうしてそんな簡単なコントロールができなかったの?
けっきょく、みんな、バカなんだよなあ。
もちろん、ぼくも含めて。
中途半端な知識や妄想にとらわれて、じぶんの不調の原因すら、じぶんで見つけることができない。
イヌ以下なんだ。
ひとを自由にするはずの知識とデータが、ぎゃくに人をめくらにして、拘束し、自由をうばう。
人間はいったい、何がしたいんだろう。
ということを考えるから、どんどんバカになっていくんでしょうね。
考えてもしょうがないことを考えるから、よけいな知識が必要になる。
そしてその知識に憑依され、身も心も金縛りになる。
金縛りのまま、極端な方向に全力疾走していく。
……わっ!
なんだこの記事。
熱っぽいきょうは、何言ってるかよくわからんぞ、自分でも。
支離滅裂だなあ。
じぶんのアタマの調子は、こうやって文章を書くと、よくわかるね。
本日は普段の30%のパワーで稼働しておりまーす。
こんな日は、ぜったいにへんな決断を下すから、よけないことはしないでおこう。
しょうもないことはせんと、風邪引いたときは、あったかくして屁こいて寝ようっと。