「ダウンデート」という発想

坐禅アプリ「雲堂」は、機能更新のことを「ダウンデート」と言っているようです。

ダウンデート?

アップデートじゃなくて?

 

ふつう、アプリなどの機能更新は「アップデート」といいます。

根本的な何かが変わるときは「アップグレード」ともいいます。

だから「ダウンデート」という言葉をみたときに、とても違和感を感じました。

 

しかしその意図するところも読んで「なるほど!」と思いました。

雲堂ダウンデート記念対談:ダウンデートすること①「元々いらなかったことに気づく」

もともと雲堂には「警策」といって、坐禅中に動いたらパシーン!と警告音が出るような機能もあったんだそうです。

でも、そういうのは不要と判断して機能更新時に削除したのだそうです。

そんな感じで、必要なものだけを残してどんどん機能を絞り込んでいくことを「ダウンデート」と言っているようです。

ふつうは機能をどんどん追加していくものなのですが、雲堂はその逆を行っているわけですね。

だからでしょうか、雲堂は今まで使ってみた坐禅・瞑想アプリのなかで最も使いやすいです。

 

多いほうがいい、便利な方がいい、リッチなほうがいい。

アプリに限らず、普段の生活でもそのような方向性はとても多いような気がします。

「生活のダウンデート」「仕事のダウンデート」「生き方のダウンデート」というのも、少しは考えてみても良さそうですね。

必要なものだけを残して、どんどん絞り込んでいく。

こういう方向性をミニマリストとか断捨離とか言うのかもしれませんが、別の言い方もありますね。

「磨く」

「研ぐ」

 

ぼくは個人的に、ミニマリストや断捨離というのは、否定するわけではないですけど少し敬遠しているところがあります。

というのも、そういうことを目指しはじめたときは、こころの状態が非常によろしくない状態になっていることが多いからです。

物事や環境、自分に対して否定的な感情が多くなっていたり、抑圧的になっていたりする。

そして「捨てる」とか「減らす」ということばかりに躍起になっていって、しまいには脅迫的になり、一種の中毒症状をあらわすことさえあります。

捨てるとスッキリして気持ちいい、この報酬系のドーパミンホルモンにラリってしまって、冷静な判断を失ってしまうのです。

しまいには、人のものまで捨てだす。

こうなったら、申し訳ないけどもう「正常」とはいえないです。

 

じつはほんとうの目的は、捨てることでも、減らすことでもなかったのですよね。

よけいなものごとにとらわれないようにして楽に生きていく、ということが目的だったはずです。

なのに「捨てねばならぬ」という強迫性の心情が生まれてしまったら、「捨てることに執着する」という、まさに本末顛倒の境遇に陥ってしまう可能性もあります。

 

だから「ミニマル」という結果を目論むのでもなく、あるいは「断捨離」という方法論に入れ込むのでもなく、

「生活を、磨く」

「生活を、研ぐ」

というところに意識を集中させたほうが良いのでは、と思うようになりました。

これにちょうど合うのが「ダウンデート」という発想なのですよね。

 

成長するということは、必ずしも増える、大きくなる、充実するということだけではなく、時には削ぎ、減らし、身軽になっていく、つまり「磨き、研いでいく」ことも成長だと思います。

今のままの状態で、その状態がもし仮に不本意であたとしても、じつは充分に足りているということに「気づく」。

そしてあふれている余計なものごと、人間関係も含めて、ダウンデートしていく。

ダウングレードではなく、ダウンデートであるということが、ミソなのかもしれませんね。

 

もう、そんなに欲しがらなくてもいいと思うんですよね。

能力だって、そんなに増やさなくても、高めなくてもいい。

いちばん大事なのは「いまあるものごとで、なんとかする」という知恵のほうですものね。

人類は、ずっとそうやって生きてきました。

そしていまあるものごとでどうにもならないことは、もしかすると、ほんとうはやらなくていいことなのかもしれません。

 

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