坐禅をするようになって、60日め。
とくに何か効果のようなものはないのですけれど、姿勢が良くなって呼吸が深くなったのかな、とは思います。
というのも、最初の頃は、坐禅をしているとおなかで息ができなかったのです。
普段から姿勢が悪くて腹筋が萎縮していたんでしょう、姿勢を正して腹式呼吸をしようとしても、おなかの筋がつっぱって、息があまり吸えない。
でも続けていくうちに、なんとかおなかで呼吸ができるようにはなってきました。
猫背もだいぶ治ったみたいで、あの異様な背中の痛みとか肩こりが、そういえば最近、感じません。
普段の生活でも徐々に姿勢がよくなってきているようです。
さてこの腹式呼吸ですが、これがある程度できていると坐禅の時間が短く感じることがわかりました。
最初は5分からはじめて、現在は18分間でやっています。
この18分間の長さは、機械的には当然毎日同じ長さですが、体感は全然ちがいます。
ものの5分ぐらいにしか感じない日もあれば、30分もやっているような気がするときもあります。
まだ終わらないのか、タイマー壊れてんじゃないかと疑う日さえあります。
で、どうやら腹式呼吸ができているときは短く感じ、できていないときは長く感じている、ということに気がついたのです。
そしてこの腹式呼吸、じつは完全に「姿勢」に依存していることもわかりました。
坐禅では姿勢にうるさいですが、基本的にはアゴを引き、脳天を天井に近づけるように意識して、鼻とヘソ、耳と肩が一直線になるように、というふうに言われます。
これにしたがってカカチだけをなんとかしようとしていると、どうも呼吸がうまくできないのです。
くるしい。
たぶん腹直筋や背筋によけいなちからが入ってしまって、かえって呼吸が浅くなってしまっているのだと思います。
そこで、そもそもの話「なぜ結跏趺坐なのか」ということに注目したのです。
結跏趺坐というのは、右足を左のふとももの上にのせ、左足を右のふとももに乗せる座りかたです。
つまり、両足でふとももを固定圧下するというわけです。
この座り方をすると姿勢維持に「腸腰筋」という筋肉をしっかり使えるのです。
腸腰筋は大腿骨と腰椎を結ぶインナーマッスルです。
椅子に座っていたり、あぐらや半跏趺坐、達人座という座り方のばあいはフトモモがフリーなため、どうしても大腰筋や広背筋、腹直筋などのアウターマッスルを使ってしまいがちです。
よって呼吸筋群なども緊張を強いられて、呼吸がやや窮屈になるようです。
しかし結跏趺坐の場合は両足で両太ももをがっちりと固定してしまうため、腸腰筋が非常に使いやすい。
結跏趺坐をして、骨盤を前傾させながら両膝をすこし持ち上げるようにするのです。
そうすると、腸腰筋にがっつり力が入ります。
その状態で、すこし後ろにもたれるようにする。
すると腰椎がしっかり反ってきます。
この状態だとアゴは勝手に引けて、肩や背中の力はまったく不要なので脱力でき、いちいち意識しなくても姿勢がまっすぐになる。
そして何よりも、呼吸がちゃんとおなかに落ちてくるのでした。
腰は、思った以上に反っておかないと、おなかで呼吸ができないのかもしれません。
背中をまっすぐにするように意識するのと、このように腸腰筋で下半身を固着させるように意識するのとでは、見た目はほとんど同じでも、呼吸の深さがまったく変わってきます。
おそらく、腸腰筋のパワーを使うと姿勢が安定するため、姿勢のことをあまり意識せずにすむのだと思います。
だから時間が非常に短く感じるのかも。
アゴを引くだの、鼻とヘソだの、耳と肩だの、そんなことを一生懸命意識していたら胴体の呼吸筋軍が硬直してしまい、息苦しくて長く感じるのだと思います。
しかしこの座り方は、欠点もあります。
腸腰筋がきつい。
腹の奥の方の筋肉が、重だるく痛むような気がします。
おそらく、ふだんあまり使っていない筋肉だから、筋肉痛になっているのだと思います。
もしかすると坐禅っていうのは、やはり古来禅師たちが皆言うように、瞑想ではないのかもしれません。
坐禅は瞑想ではない、というのです。
マインドフルネスでもなく、瞑想でもなく、祈りでもない。
もしかしたら「筋トレ」なのではないか。
あんなに厳しく姿勢に言及し、座相ということを非常に重視し、気合を入れろ、気を抜くな、たとえ尻の皮がめくれても釈尊の金剛座を守り抜けと厳しく厳しく指導するのは「ハラ=腸腰筋」のちからを抜かせないためだったのではないか。
リラックス、のんびり、ゆったり、のほほん、ほんわか、いい気持ち。
安楽の法門といいながら、禅にはそんなことは許してくれない非常に厳格な雰囲気もあります。
「静的な筋トレ」という要素もあったとしたら、これもたいへん納得がいきます。
強靭強力強大な腸腰筋の育成という要素もあるのなら、へらへらにこにこしていたのでは、まずいです。
少なくとも坐禅をする間はかなりの気合と集中力をもっていなければ、腸腰筋は鍛えられません。
とまあ、これは「いま」思うことなので、また変わってくるのかもしれませんが。
ただ坐禅について、いままでぼくがなんとなく考えていたリラックス一辺倒、集中重視で姿勢の軽視というのは、やっぱりちょっと違っていたのかな、とはなんとなく思います。
鈴木正三禅師のいう「仁王禅」のように、坐禅は仁王や不動明王がごとき金剛火炎の気合と精神をもってて挑め、というのは、とくに最初のころこそ大事なことのようにも思えてきました。