道具をキレイに

洗濯物を干すときに、いつも気になっていたんです。

お茶の葉を細かく砕いたような、小さな茶色いものが、洗いたての洗濯物にたくさんついていることに。

なんだろう、もしかしてタバコが1本洗濯物に混じっていたのかな、なんて思ったんだけど、タオルだけ洗った日でもついてる。

おかしいなあ。

 

なんだろう、じゃなかった。

洗濯機そのものが汚れていたのでした。

うちの洗濯機には(どの洗濯機でもそうかもしれないけど)、「ゴミとりフィルター」がついているんですよね。

機械というほどのものではなくて、網目のついたただのフィルターです。

洗濯機周辺をゾーキンで掃除しているときに、その存在に気が付きました。

そう、ぼくは洗濯機にフィルターがついていることを知らなかったのですよ。へんなの。

2箇所ついていて、それは取り外し可能で、かんたんにパカっと外れる。

取り外したフィルターを開くと、そこにゴミが溜まっている、というわけです。

 

ぼくはまた絶叫しかけました。

そもそもの話、そのフィルター器に、ヌルっとした茶色い水垢のようなものがビッシリとついていたのです。

それを開けてみると、ほとんど黒に近い濃いネズミ色の物体がみっしりと入っていました。

フィルターを全然掃除していなかったので(たぶん1年以上)、もう満杯になっていたのです。

洗濯物にいつもついていた、あのお茶の葉のカケラのようなものは、全部水垢だったのでした!

満杯なので濾し取ることができないだけでなく、むしろそのフィルターで水を汚していたようなものです。

 

 

あほちゃうん?

 

 

いやもうほんとうに、ぼくは今後金輪際一切自分のことを「神経質だ」「完璧主義だ」とか言わないぞ。

この、ボンクラやろうめ。

改めて決心しましたね。

なーにが繊細じゃ、感受性が高いじゃ、細かいことが気になるじゃ。

めちゃめちゃデカいところを見落としとるやんけ!

マジで思ったんですけど、自分で自分のことを繊細だの感受性が強いだの言うやつに限って、いい加減でだらしないんですよね。

自分で自分のことを優しすぎるとか言うやつに限って、たいへん冷酷であるのと同様に。

自分のことなんて、なんにも見えてやしないんだ。

見えてねえくせに、かってに思い込んでやんの。

ばかじゃねえ。

 

フィルターをきれいに掃除して、ついでに「槽洗浄」というのもやって洗濯をしたら、もう一切あの「茶色い破片」は洗濯物につかなくなりました。

掃除するなら、まず掃除する道具をキレイにしなくちゃ意味ないですね。

これは、なんにでも共通することかもしれない。

きちんと仕事したいなら、その道具をきちんとせい、っていう。

きちんとスポーツしたいなら、その道具をきちんとせい、っていう。

 

案外、基本的なことってできてないものですね。

できてると思ってるのは、自分だけ。

人のことや社会のこと、将来や可能性のことを疑うヒマがあるのなら、「いま」自分が感じている、思っている、そのことをまず疑え。

ちゃんと生きるっていうのは、ちゃんと生活するっていうことだ。

基本的なことがキチンとできとらんヤツは、十中八九、自己認識も間違うとるんじゃ。

ちゃんとせえや。

 

 

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