坐禅も早いもので、90日目。
今日は久々にヨガをしました。
おわー、やっぱ気持ちええ!
ヨガはやっぱり「効く」のですね。
さてぼくは、ヨガは結構真面目に4年近くやっていました。
先生に「ヨガの先生の試験を受けなさい」と言われるほど、本気でやっていました。
でもぼくの自律神経失調症もパニック障害も治りませんでした。
そして、それほど気持ち良いとも感じませんでした。
今回坐禅を開始するにあたって、問題の切り分けのために、ヨガは一切しませんでした。
日課の毎晩のヨガは、ここ3ヶ月近くやっていません。
久々にヨガをして、たいへん納得しました。
過去、マスターと言われるひとたちが言っていたことは、やっぱり本当なのかもしれない。
坐禅に功徳なし。
ヨガは包括的医療である。
この文言だけを見ると、とくに病気を抱えている場合はヨガのほうがいいのではないかと思うのが普通だと思います。
ていうか功徳がないんだったら、坐禅とかやんなくていいじゃん。
明らかにわかったことがあります。
「禅をベースとしたヨガ」
と、
「ヨガをベースとした坐禅」
は、もはやほとんど別物かもしれない、ということです。
ヨガ教室に通っていたときも、坐禅に接する機会はありました。
しかしそれは「ヨガをベースとした坐禅」だったのでした。
つまりぼくが以前やっていた坐禅は、目的志向性をもち、医療目的を持った坐禅だったのです。
それはそれで、もちろん悪いわけではないと思います。
でも「別物」だったのでした。
ヨガをベースとした坐禅は、禅ではなく、ヨガの領域を超えることはできないのでした。
「目的」があるから。
いっぽう禅では、坐禅に功徳なし、といいます。
ぼくはもしかして、ここに坐禅の妙訣のようなものがあるのではと思います。
功徳があると期待してやる坐禅は禅ではなく、功徳を期待しないでただひたすらに行う坐禅が禅になる。
ヨガには、この思想はありません。
あくまで目的をもって、そこに到達するための方法論の集積がヨガです。
根っこは同じインド哲学だから似ているように、あるいは本質的には同一のように考えてしまいがちだけど、実質的にはヨガと禅はまったく異なる体系と考えたほうが整理がつきやすそうです。
坐禅に功徳なし、まさにそのとおりで、坐禅をしたからといって病気やケガが治るわけではない。
坐禅は病気やケガそのものを治すための方法論ではなく、病気やケガに対する「精神的姿勢」を養成するものなのだろう、と思いました。
だから直接的にはなんにも効果はない。
あたりまえだ。
ただ座っているだけで、突如として健康体になれるなどと考えるほうが、どうかしています。
せいぜい、姿勢がよくなる程度かもしれません。
ただし「禅をベースにして行うヨガ」は、公式と形式を習って行う一般的なヨガよりもかなり効果が高いのではないか、と感じました。
つまり禅は、ヨガをアクセラレーションする。
ヨガの呼吸や精神集中、動きなどを通じて自身のこころや肉体がどのような反応をしているかを観察する「客観性」をもって行えるからです。
ただ習っただけだと、アサナのその「カタチ」を行うこと、あるいは覚えること、そしてそれによる「効果」への期待に躍起になってしまって、そのアサナが現在与えている自身への影響を「観察する」ということがおろそかになってしまう場合が多いからです。
伝統的なヨガではもちろん、過剰なヨガの効果への期待を持たずに自身を観察することをたいへん重視するよう警告していますし、あらゆるアサナは呼吸と瞑想のためにある、と断言しています。
しかし残念ながら一般的に流布しているヨガはその「効果」のみを売りにして、その背景にある内面的な和平の重要性をあまり打ち出していないことも多いです。
そっちの方向から入ってしまうと、「目的と効果」という範疇から抜け出せなくなって、かえって堅苦しいものになっていくかもしれません。
ていうか、ぼくがそうだった。
「いっしょうけんめいやれば、効果があるはずだ」
「効果がないのは、私のやりかたがわるいからだ」
思考が「結果の獲得」という未来へ飛び、懲罰的な思考にとらわれて、そのアサナが「いま」わたしにどのような影響を与えているかを観察しない。
そうなってしまうと、ヨガを「がんばって」しまう。
どっちが良いとか悪いとかは、ないんだと思います。
ただぼくは「禅をベースにしたヨガ」のほうが、相性が良いようです。
そしてヨガは、毎日やるべきではない、とも感じました。
坐禅は毎日してよいが、ヨガは1週間に1~2回程度が適切だろう、と感じました。
これは教室で習ったことではなく、ぼく自身が「感じる」ことです。
ヨガを毎日してしまうと、筋肉や神経の蘇生の時間が足らない。
ヨガには「体育」の側面もあるから、レミニセンスのための休息が必要なのかもしれません。
どこに立っているかで、同じものでも、見え方も、意味も、大幅に変わる。
「いまの座標」をきちんと取得することは、やはりとても大事だなあと改めて思いました。