坐禅の姿勢とディスプレイ

仕事柄パソコンのディスプレイの位置というのはけっこう気を使います。

ネットでいろいろ調べてみると、ほとんど同じことを言っているようなのですね。

「ディスプレイは真正面で、視線の高さに」

人間工学的にこのような構成が無理がなくて良い、ということなのだそうです。

なかにはディスプレイの下に箱か何かを置いて思いっきり高くしたほうがよい、という話もあります。

 

もちろん、すべて試してみました。

しかしどうにも、いずれもピンとこないのですね。

「視線は水平に前方」というのは、なんとなく正しいような気もします。

でもそうするとなんか異様に目や首が疲れるし、画面からの圧迫感もあります。

映画館で一番前の席に坐って画面を見上げるような格好でいると、そのうち首をイワしそうになるというのと似ています。

 

真正面を見るということは、目が三白眼になるということでもあります。

顎を引き、顔を真正面に向け、背中をピンとした状態で正面を見ると目はこのようになってしまいます。

まぶたを持ち上げるのと、目を上に向かせる筋肉をずっと使い続けないといけないので、なんか目が疲れるのでありますね。

あと、目が乾く。

 

最近は坐禅をほぼ毎日していて、114日めになります。

きちんと姿勢を正して坐禅をしていると、坐っていることがとても心地よくてどこも疲れないのですね。

むしろ元気になっていくぐらいです。

坐禅では、視線を斜め45度ほど下に向けろ、と言われます。

少なくとも「真正面を見よ」とは言われないです。

顎を引き、背中をぴんとまっすぐにした状態だと、やや下方に視線を落とすほうが自然なのかもしれないです。

最初の頃は坐禅をしているとなぜかどんどん目が正面を向いてしまう、というのがありました。

もしかすると、真正面のディスプレイを凝視する習慣のせいで、目の筋肉がそうなってしまったのかもしれないです。

でもこれも続けていくうちに、視線を斜め下45度にすることを継続できるようにはなります。

 

さてそこで、机についた状態で目をつむり坐禅の姿勢をとってみたのです。

顎を引き、腰を入れて姿勢がちょうど「ハマった」状態で目を開くと、そこには「ディスプレイの足」がありました。

深い呼吸ができるあの坐禅の心地よい状態だと、視線はもっと下の方になるのでした。

この状態で真正面のディスプレイを見ようとすると、ヤンキーの「なんじゃいやワレ」的に目線だけ上に三白眼にするか、アゴを上げなければなりません。

そうすると目や首が疲れてきます。

すーっと伸びた首を維持すると、視線はやや斜め下に向かうほうが自然なのかもしれません。

 

そこで、やってみました。

かなり高さを下げて、強い角度をつけなくてはいけませんでした。

 

そういえばかなり昔は、パソコンの机ってこんな感じではなかったでしょうか?

アニメの「シュタインズ・ゲート」に、その懐かしいタイプのパソコンデスクが出ていました。

ディスプレイってこれぐらい下の方にあって、ずいぶん角度がついていたと思います。

でもこのタイプの机って、全滅したんですよね。見たことないです。

液晶ディスプレイになって薄型になったことと大画面化したことで、こんな特殊仕様の机だとサイズが合わないうえに、せっかく広く使える机に意味がなくなります。

だから売れなくなったのかな、と思います。

でも当時こういった机がわざわざ作られたということは「視線はやや斜め下」ということを自然だと感じる人が多かったからではないのでしょうか。

 

「真正面原理主義」というようなものが、なんとなくあるような気がします。

骨格的には顔が真正面を向くほうが頚椎などへの負担は少ないです。

しかし骨格的に顔が正面を向くというとは、視線は斜め下になるということなのかもしれません。

そこを無理して眼球を持ち上げるので、いらぬ眼精疲労を招いている、ということはないのでしょうか。

 

まあ、この配置にしてまだ1日もたっていないし、この状態でガッツリとコーディングをやったわけではありませんから、しばらく様子を見てみないとわかりませんね。

ただひとついえるのは、このほうが姿勢をまっすぐにしやすくて背中が丸くなりにくいということです。

あと足を組んだりもあまりしなくなります。

これはただ単に坐禅の姿勢と合致しているせいで、そういうクセがぼくについただけかもしれませんが。

 

姿勢第一。

姿勢がわるいと、あちこちに痛みが出るばかりか、考え方まで変わってしまうんですよね。

からだは垂直、視線は斜め下。

それが「落ち着いた姿勢」なのではないかな、と最近すこし思っています。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です