毎日掃除をするようになると、いわゆるスピリチュアルや風水などが言っていることはあながち間違っていないな、と思うようになりますね。
「それ系」が、「ここだけはきちんと掃除したほうがいいですよ」という優先順位は諸説あるけれどもだいたいは以下のような感じです。
第1位 トイレ。
第2位 玄関。
第3位 キッチン。
第4位 寝室。
第5位 風呂場。
この順位についていちいち「気が…」「エネルギーが…」とか言うからややこしく怪しくなってしまうのであって、そんな複雑なことは言わなくても良かったのであります。
この順番をじっと見つめると、たったひとつの共通項が見いだせるのでありますね。
クサい場所順。
クサいのでありますよ。ようするに。
クサいところを放置していたら、どうなるか。
当然家の中に悪臭が立ち込めるのですよね。
で、家が臭くなるとどうなるか。
呼吸が浅くなってしまう。
ハナは慣れるからそのうちそんなものは気にならなくなるのだというのは、たぶん「ナメた見解」だと思うのでありますね。
ニオイというのは化学物質で、ハナは化学物質の検出器ともいえます。
とくに有害なものに敏感で、クサいニオイを嗅いだら本能的に呼吸を浅くしてその場から逃げようとします。イヌでもそうです。
ただしいつまでも検知していたら息が止まってしまって困ることもあるので、それを「慣れる」という機能で表面的にはエラー表示を一時的にOFFにしてくれるのだと思います。
しかしいったん検出してしまったら、原因が解消されていないのに解決したと判断するわけがありません。たぶん「奥の方」では、まだまだ危険だと感じているのではないでしょうか。
掃除をサボっていたら、微妙にうす〜くず〜っと「なんかヤバい」と感じ続けているかもしれません。
そうすると、呼吸が慢性的に浅くなるのではないでしょうか。
掃除を続けていくと、家の中がとてもすがすがしく感じるようになります。
深呼吸をするのに躊躇はまったく必要ありません。
そしてときには芳香剤なんか置いていないのにとても良い香りがすることがあります。
これはべつに妖精さんが遊びに来たとかではなく、たぶん自分のカラダや服などのニオイだと思います。
嗅覚というのは相対的なものなので、ほかの異臭が消えてしまったら、かすかに残っている石鹸や洗剤の残り香にさえ気がつくようになるのではないでしょうか。
そんな感じになると、呼吸が深くなっていくのですね。
呼吸が深くなると、なんと姿勢も良くなってくるのです。
どうしても姿勢が良くならない、それはもしかしたらもう麻痺してしまって感じないだけで、じつは周囲に微妙に悪臭が漂っている、あるいはかつてそうだった、のかもしれないです。
臭いニオイがあると本能的に息を吐いて、あまり吸わなくなってしまうんですよね。
息を吐き続けると、背中は前に丸くなっていきます。
掃除をする → クサいニオイが消える → 呼吸が深くなる → 姿勢が良くなる → 血行が良くなる → 元気になってくる
こんなループがあるような気がしています。
べつに風水の味方をするわけではありませんが、たしかに玄関というのは盲点なのです。
玄関にはクツがありまして、このクツから異臭がけっこう漂っている。
玄関には履物を出しっぱなしにせずきちんと靴箱にしまえというのも、きっとこのことだと思います。
靴箱の中に入れておけば、ある程度ニオイをシャットアウトできますからね。
あと寝室も、じつはクサイ。
毎日掃除をしていて、結局いちばん多くのホコリが出ているのは寝室です。
締め切った部屋で6時間も7時間も人間が呼吸をしていたら、そりゃあニオイも湿気もこもりますね。
朝起きたらすぐに寝室を換気せよというのは、迷信どころかむしろ科学的でさえあります。
トイレはもう、説明不要ですね。
感じないからといって自分の本能や潜在意識も何も感じていないと思い込むのは科学的ではありませんね。ただの主観やろうです。
なんのために神経があって、なんのためにいろいろと感知しているのかを考えれば結局は「防御のため」なのですよね。
さまざまな危険から身を守るために神経は存在している。
危険とは事故や暴力などの物理的なことや、お金や地位や将来などという社会的なことばかりではなく、化学的・細菌的なこともあります。
それが「におい」なのだと思います。
感じていなくても部屋が汚れていたら、神経はずっと興奮しっぱなしになるのかもしれませんね。
掃除と、坐禅。
これが必ずセットなのは、迷信とかドグマとかではなく、合理的な理由がある。
清潔と姿勢と呼吸。
これは人体の「三種の神器」なのかもしれないです。