むむっ。
山が呼んでいる。
なーんつってね、まあ、呼んでませんけども。
山が呼ぶわけないじゃん。
もし声が聞こえたら病院いったほうがいいよね。
そういうことではなくて、「おんもに出たいよう~~」と、やっと思い出したということです。
パニック障害を悪化させて、外出恐怖になってしまっていたんですね。
原因は、かんたんです。
「無理をした」
ただそれだけなのであります。
パニック発作を外出先で何度も何度も、あ、何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返すと、だれでもそうなる。
「外出先==発作が出る」
というプログラムでこころが上書きされてしまって、外に出た瞬間に発作が起こるような、ほんとうはそんなわけはないんだけれども、あたまではわかっているんだけれども、こころ及び関係諸機関がそういう反応をしてしまう。
これは根性とか考え方とか思想とか性格とか一切関係ないです。
これはようするに「怪我」なのであります。
千代の富士でさえも怪我を根性で乗り切ることはできませんでした。
怪我は根性で治せるようなそんな甘っちょろいものではないのであります。
気合や根性でなんとかなると思い込んでいる人は、気合や根性で乗り越えられる程度の怪我しかしてこなかったことの証明であります。
だからあんまり根性根性気合気合言わないほうがいい。
それは自身の幼稚さや甘さを喧伝することに相違なく、たいへんに恥ずかしいこと。
陰毛が絡まった包茎チンコを放り出して歩き回るよりも恥ずかしいことなのであります。
頑張れば治るんじゃないか、と思っていたんですよね。
だからわざと電車通勤が必要な仕事に変えて一人暮らしをはじめました。
危機感や必要性をプロデュースして、じぶんを追い込めば「それどころではなくなって」、外出が怖い電車が怖いというのは治るのではないか、と考えた。
始めたころは、なんとなく良くなっていくような気がするのです。
でも残念ながら、これは「妄想」です。
1ヶ月、2ヶ月と格闘を続けていくうち、約1年で大怪我をする。
もともとは「ちょっと怖いナ」程度だったものが「一切まったく外出ができない」ところまで悪化してしまうのでありました。
こうなってしまうと、まったく外出を必要としない仕事になったとしても、1年たっても2年経っても治りません。
なぜか。
「怪我」だからです。
少々の怪我なら休めば治りますが、大怪我の場合は放置してもなかなか治らないのでありますね。
大怪我には治す手順がある。
初期:なんといっても休養。
第二期:リハビリ。
第三期:順応(やや強度の高いリハビリ)。
第四期:回復(かなり高い強度のストレスを与えても平気になる)。
これを無視ぶっこいていきなり「第四期」をやろうとしていたのですね。
ばかだから。
いままでそんな大怪我をしたことなかったから。
1週間も休めば治るわいやアホンダラ、ようはやる気と根性だ、と思っていたから。
ああ、恥ずかしい。
ああ、恥ずかしい。
このばかな思想のせいで数年間を棒に振ったようなものです。
まあ、「根性ではなんともならない」ということを知るよい経験にはなったけれども。
こころのストレッチも、からだのストレッチと同じなんですよね。
180度開脚ができないからといって、いきなりバキャっと開いて上から人が乗るようなことをすると、ぎゃくに硬くなります。
それでもゴリゴリにやるともちろん開くようにはなりますが、その部分の筋力は弱まりかえって故障しやすくなる。
「硬くなって伸びた」だけだからです。
カタチにこだわって急ぐからそういうことをする。アホである。
もっと気長に「1日5mm伸ばす」ほどの気持ちで徐々に徐々にやっていけば、まったく筋肉の機能を損なわずに開くようになります。
無茶をするのは根気がないことの証拠です。
そんなやつは、なにをやってもダメだ!
こころもまったく同じで、無茶をすれば良いということでもないのですよね。
むろん「すこし痛い」程度の無理であれば、良いこともあります。
しかし激痛が走るようなことをグイグイやったら、からだと同じで逆に硬化し縮んでいきます。
防御しようとするから。
そして最悪のばあい、萎縮がロックして、怪我となる。
そうなるともう、いっさいの方法が効かなくなる。
治るのに数年を費やす必要が出てくる場合さえある。
外出が怖い、ほんとうに怖いと思っているときに、
「じゃかあっしゃあ、ヘナチョコなこというな! 出ろ! 行け! 死ぬ気で行け!」
なんつーことをやると、十中八九、悪化する。
それでうまいこと行く人ももちろんいるけど、それは怪我の程度が浅かったから。
「だれでも安全に」
ということを考えたら、気長に、徐々に、しかありえないのでありました。
あたりまえなんだけどなあ。
中途半端に昭和根性論体育会系だったものだから、つい無茶をしてしまうんだ。
いぜんも「山が呼んでいる」と思って、即座に実行に移しました。
GW中に六甲山系全山の三角点踏破、という目標を立て勇んで山に登りました。
そしてこれが怖いところで、達成してしまうのでありますね。
途中何度も何度も山の中で発作を起こしてしまいました。
「パニック障害は根性なしだ」というのは、完全なるウソ、あるいは邪推だと思います。
発作を連発しながらでも5日間で六甲山系全山三角点踏破ができるのは、じぶんでいうのもなんだけど、けっこう根性あると思う。
それでも治らないんだから、根性論というのはとくにこの件では無効です。
さておき、そんなことをしていると大好きだった山や森さえもが大嫌いになっていく。
そして外出恐怖は悪化していく。
あたりまえじゃ!
なにをやっとんじゃ!
この、ばかちんが!
だから今回はさすがにもうその轍は踏まないようにしようと思うのです。
「山に行きてえな」
そう思ったということは、かなりよくなっている証。
いわば、チャンスだ。
このチャンスを活かせるかどうかは自身の冷静さにかかっているのですよね。
「治したい!」
という希望や願望をコントロールし、まるで他人の身体を扱うがごとく、よく観察し、計画性をもって適度な負荷のある行動をプロデュースしていくのだ。
現時点で行うべきは達成感によるドーパミンで酔っ払うことではなく、粛々としたリハビリである。
これをハラの底に叩き込んで、のんびりやっていこうと思います。
でもなあ。
また無理しちゃうんじゃないかなあ。
おれ、すぐコーフンするから。
すぐにテンションアゲアゲになっちゃうから。
そうならないように、坐禅も忘れないようにしよう。
欲望をいったん無効化するのに坐禅はとてもすぐれていると思います。
希望や願望は、耳あたりは良いけど、ようするに欲望の一種だ。
欲望はとてつもなく強大なエネルギーだから、それをコントロールできなければ持っている資格はない。
コントロールのうまい人にこそ、強い欲望は与えられる。