登山グッズが、むずかしい。

今回ココロに顔を出してきた「山に行きたい!」は、ていねいに育てていこうと思っています。

以前も同じようにこんな気持が出てきたときは、まるで発作のようにすぐさま実行に移しました。

言い得て妙で、発作なんですよね。

パニック障害になったのも、このような発作的行動も関係していたかもしれません。

もう、そんな発作じみた行動はよしておこうと思います。

 

それはさておき、幼少のころから神戸は六甲山系を遊び場にしていたこともあり、また両親も若い頃六甲縦走を数回やっていたこともあって登山とは親和性があります。

しかしこの経験がむしろ登山への誤った知識を助長させていたこともありました。

 

まず「体力さえあればなんとでもなる」というのがありました。

そして現在の登山系グッズへの否定的な感情もありました。

「トレッキングシューズ? しゃらくさい! そんなものいらんわ!」

みたいなのがありました。

実際これはぼくのからだの使い方に関係していて、厚底靴よりも地下足袋やデッキシューズなどの底の薄い靴のほうが自在に山を駆け抜けることができるのです。

山登りを趣味にしている人に「靴だけは買えよ」と強くすすめられ、それに従ってトレッキングシューズを買ったことはあります。

しかしその靴を履くといままでラクラク登れていた山がものすごく辛く感じるようになりました。

デッキシューズならぴょんぴょんと岩や根っこを飛び跳ねながら登っていけるのに、重いし足首が使えないから機動力が低下して、むしろ疲れてしまうのでした。

GWの5日間に六甲山系全山三角点踏破というのをやったときも、結局その靴は途中でやめて地下足袋で完遂したのでした。

そのほうがうっかり重心を狂わせたときでも姿勢の回復がしやすく、安全地帯まで跳躍もできるのでいろいろ良かった。

 

だからぼくは最近の登山グッズというのは「うそ」ではないか、とさえ思っていました。

しかしもちろん、そんなことはなかったのです。

単純にぼくのトレッキング方式が特殊すぎたのですね。

できるだけ地面に触れることなく、飛ぶように登っていくスタイルだったのです。

ときにはカラダを水平近くまで横倒しして垂直な岩壁を駆け抜けるなどという忍者みたいなこともしていました。

「安定したところがないのであれば、安定したところに飛び移れば良い」

などという、むちゃくちゃな思想。

 

これができたのは、六甲山系だからなんですよね。

六甲山系の山というのは昔からお寺が多く修行者や参拝者が多い山だったので、傾斜はそこそこあるもののわりと整備はされています。

木の根っこなども多くて足場もけっこうあります。

森林限界なんか関係ありませんし、雪だってめったに降りません。

山道の幅も狭いのでどこにでも足をかけることができる。

ジャンプ力さえあればクツはなんだって良い、というのは確かにあるのです。

だって小学生の遠足でも行くところですからね。

はっきりいって、大したことのない山なのです。

そのうえ幼少の頃から慣れている山なので、それができていたというだけ。

 

つまりぼくは「六甲山系でしか通用しないガラパゴス登山スタイル」になっていたのです。

一生六甲山系でしか登山をしないのであれば、それも良いです。

でもぼくはいずれ日本アルプスにも行ってみたいし、できればチベットにも行ってみたい。

危険な冬山登山やロッククライミングはたぶんしないと思うけど、多少雪が積もっている山には行ってみたいです。

そういうことを考えるといつまでも「地下足袋天狗系登山スタイル」を続けていくわけにはいかないのでありますね。

 

そこで最近はじっくり登山グッズを勉強しています。

服装はレイヤードが基本で、ベースレイヤーにミッドレイヤー。

レインウェアは必須だとか、ゴアテックスとか、メリノウールとか。

・・・。

ああもう!

ややこしい!

それに、

 

た、高い!

なんじゃあ、こりゃあ!

運動用のズボンに1万円とか、何考えとんねん!

防寒用の上着に3万円とか、なんでやねんな!

雨ガッパに4万円とか、あたまおかしいんか、ワーレー!!

 

って、思うよねえ。

だってぼくの今までの装備は、

・1000円の地下足袋、あるいは3000円の安全靴
・トレパン
・500円の雨合羽
・自転車用のウィンドウブレーカー

ぐらいだったからです。

 

ふつうに考えて、ちょっと高度のある奥深い雪山とかになったら、こんな装備絶対に「アウト」ですわなあ。

つまりぼくは「さらなる進化」ということを一切考えていなかったから、その程度の装備で良しとしていたのでした。

また「平安時代の人はそんな装備持ってなかったじゃねえか」などいというトンデモ系の思想を持ち出したりして正当化したりもしていました。

いや、まあ、そうだけど、お前平安時代の人じゃないじゃん。

それにかなり昔は山は神域ということで、普通の人はあんまり入らなかった。

たぶん危ないからそう言われていたんだと思います。

登山グッズのおかげで山は一般の人に開かれたところもある。

 

もうオッサンなのであるし、ちゃんとしよう、と思いました。

そういうグッズがあるということは、そういう必要性があるから生まれた。

そういうのをいちいち否定するのは、天の邪鬼というよりは、こころのなかに「現世否定」という「うんこ」が溜まっているからですね。

いまあるものは、否定せず、使えばいいじゃん。

ぼくはいま、いまを生きているのだし、いまの人なのだもの。

 

でも・・・

難しいなあ。

学べば学ぶほど、登山グッズの世界は深い。

でもまあ、お酒はすっかりやめたことだし、飲み会に行くカネに比べれば登山グッズはそんなに高くはないですね。

たった1日で1万円を排水溝に流すぐらいなら、数年使える1万円のトレッキングパンツ買ったほうがいいよね。

もう「へんなこだわり」はすてて、人が良いというのなら、試していこうと思います。

 

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