最近「フォールス・エコノミー(false economy)」ということが頭に引っかかっています。
これはいわば「非合理な経済」とも訳すようで、誤った観念に基づく経済活動をいう。
・・・というとものすごく難しそうだけれども、じつはこれはとても身近なところにある。
たとえば「節電」ということについて。
例の震災以降、節電のためにエアコンをできるだけ使わないようにしようという動きがあります。
確かに夏場にエアコンの使用を控えたり設定温度を上げることは、節電につながります。
しかしこれをすることで結果的には全然節電になっていないどころか、逆に消費電力が上がってしまうということがあるらしい。
エアコンの設定温度を上げたせいで不快感が増し、汗をかいたせいで洗濯の量が増えたり、シャワーを浴びる回数が増えたり、冷たいものを食べる回数が増えたりする。
結果社会全体としてはかえって電気消費量が増えてしまう、という現象。
こういうのを日本のことわざで言えば「木を見て森を見ず」ということになるのだろうと思います。
これに似たようなことで、さらに重大なことが近々起きるのではないか……と思いました。
コロナ騒ぎ。
例の新型コロナウィルスの件でさまざまなイベントが中止になったり、旅行などを控える動きが活発化しています。
ぼくのお客さまでも軒並みイベントが中止になっていて、イベント関係を請け負っている広告代理店が悲鳴を上げています。
昔通っていたヨガ教室も現在は稼働停止しているとのこと。
「売上がガタ落ちですわ・・・」
「コロナ騒ぎが終わっても、教室が再開できるか不安だわ」
経済的にけっこうヤバいことになっているようです。
なぜイベントや旅行、あるいはさまざまなアクティビティを控えるのか。
それはもちろん、ウィルスの伝染を防ぐためです。
ではなぜ、ウィルスの伝染を防ぐ必要があるのか。
それは当然「人命尊重」のためです。
とくに老人や乳幼児など体力のない人は、コロナウィルスで死亡してしまう可能性がある。
しかし、であります。
もしこのままイベント関係、旅行関係、アクティビティ関係、もしかしたら飲食関係など、そういったものの活動停止が続くと、決定的に景気は悪化します。
中小企業は倒産してしまう可能性もある。
統計で確実に出ていることがあります。
それは景気が悪化すると自殺者が増える、という現象です。
もしこのまま経済活動に制限がかかりつづけると、景気は確実に悪化する。
ということは、自殺者が急激に増える可能性がある、ということです。
ウィルスで死ぬことは予防できたが、経済的なことで死ぬ人が増える。
このまま経済活動が停滞すれば、コロナウィルスで亡くなる人の数よりも、自殺者のほうが増えてしまう可能性もある。
死者を減らそうとしたのに、死者が増えてしまう。
まさに「生命のフォールス・エコノミー」が起こる可能性がある。
ちなみに一般的なフォールス・エコノミーは、日本によく起きるのだそうです。
なぜか。
神経質だからかもしれません。
いいふうにいえば、真面目で、すなお。
そしてリスクに対して、とても敏感。
しかし残念ながら「目先のことしか見ていない」というひとがとても多い。
電車の中で咳をしただけで白眼視する人がたくさんいて、こともあろうか殴りかかる人までいるらしい。
これを防ぐために「私は喘息です」というバッジまで考案されたらしい。
はっきり言う。
あたまおかしいのである。
このような神経質さ、リスクを恐れる臆病さのせいで差別的な行動に出てしまう国民性というものが、いじめを助長しているところも確実にある。
あと、フォールス・エコノミーならなぬ「フォールス・ヒューマニズム」の問題もある。
感情論に基づいた弱者救済の思想。
ぼくも最初は思った、サラリーマンがゲホゲホいいながら満員電車で移動することについて、むかっ腹がたったこともあります。
「おまえやおまえの会社はいいかもしれないが、おまえがウロウロしたせいでウィルスが拡散してこどもや老人に感染ったらどうすんだ! もし子どもや老人が死んだら、おまえのつまらない責任感のせいだからな!」
というやつです。
まあ、一理ある。
しかしこれは「感情論に基づいた弱者救済の思想」に染まっているところもある。
子どもや老人を大切にするべきだということを、白痴っぽい感情論で強化している。
しかし、どうだ。
そんな思想で経済活動にブレーキをかけたら、子どもや老人は助かっても、働き盛りの青年や中年が自殺をしてしまう可能性がある。それも大量に。
子どもや老人はかわいそうだが、体力のある青年や中年は可愛そうではないというのか。
経済活動の停滞によって国力が低下し、危機に晒される「国民全体」は可愛そうではないというのか。
へたをすると、この神経質さや感情論が人を殺す可能性もあるということです。
ほんとうのリスクを考えず、条件反射的なウィルス対策という自利的な目先のことに執着してしまうと全体の経済活動が「死んで」、自殺者を生み出す可能性がある。
とてもこわいなあ、と思いました。
マクロ経済ということについて義務教育でもしっかり教えていないというのもありますね。
しょうもない記憶・演算大会にはとても積極的なのに、不景気が人命に及ぼす影響ということをあまり教えない。
あと「毒性が低いからこそ蔓延している」という事実も忘れたくはないですね。
もし強毒性のウィルスなら、感染したらぶっ倒れて身動きがとれなくなる。
そうすれば移動ができないから、感染力じたいはそれほど高くはならないのですよね。
ライブハウスなんかに行けてしまうていどの症状しが出ていないからこそ、これだけ流行した。
毒性が低いからこそ、蔓延している。
むろんパンデミックで体力の弱いひとを犠牲にするということは避けなくてはならないけど、だからといって経済を破綻させて大量の自殺者を生んでも良いという話にはならない。
ウィルスを恐れれば恐れるほど経済は低迷する。
「わたしの神経質が、人を殺すかもしれない」
この可能性だけは、こころにとめておこうと思います。
なんでもかんでも、だめ、やめ、中止。
あまりにもひどい過剰反応が続けば、「風邪で日本が死ぬ」可能性がある。
風邪は万病の元。
これは人体に限らず、国家にとってもそうなのかもしれませんね。