愛のマスク

ううっ。また泣いちった。

ほんとトシなんだろーなー最近すぐにカンドーしてしまうの。ぐすん。

とはいえ嗚咽、叩頭シ印堂壁面ニ激突、家屋激震シ山野鳴動スというほどではなく「うるっときちゃった」程度ですけれども。

 

春眠暁ヲ覚ヘズ的に少々寝坊して朝飯を食っているときNHKを茫漠と眺めておりましたら、ニュースをやっていた。

後で調べたらネットにも出ていました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200317/k10012336671000.html

つまり中学生の女の子が、マスクを600枚手作りして寄付をした、というのです。

1日5時間かけて縫い、その原価もぜんぶ「お年玉」で賄ったのだそうです。

 

ううっ。

なんなの、この子!

 

つい先日は、議員さんがマスクを転売しまくっていて問題になりました。

看護師が勤務する病院からマスクを大量に盗んで転売しようとしていた事件もありました。

メルカリやヤフオクでは禁止されたのに監視の目を盗んで、いまだにマスクを転売しようとしている人たちもたくさんいます。

 

大人、なにやってんのかな?

 

いやもうほんとに、あの議員さんとか看護師さんとか転売ヤーさんとかに、この女の子の爪の垢を2mgづつ郵送してあげてはどうかな。

「食後に飲め!」

っていうメモもつけて。

ぼくも飲んでもいいよ(あぶね)。

あ、だめか。

そんなことしたら、あの子の指がなくなってしまう。多すぎて。

 

冗談はさておき、でもほんとうに、えらいなあと思いました。

なにがすごいって「裁縫が好きだから」なんだそうです。

べつに「明日の日本のために」とか、「熱き使命感や倫理観に燃えて」とかじゃないんですよね。

つくるのが好きだからやったんだそうです。

たぶん今は学校も休みで時間もあるし、趣味がだれかの役に立ったらいいな、っていう純粋な感じだったんだと思います。

マスクを袋に入れるとき、ちゃんと手を消毒していたのもえらいなあ。

 

思ったのが仏教、とりわけ大乗仏教というのは結局こういうことなのかなあと思いました。

カルト系の仏教などではええオッサンオバハンが大集合して「大宇宙が」「菩薩道が」「身命を惜しまず邁進せよ」みたいなことをエラッソーな顔して屁理屈をこねまわして絶叫しておるけれども、菩薩道というのは結局こういうことなんじゃないのか。

題目や念仏を100万回唱えるよりも、怒涛の滝に打たれるよりも、彼女のほうが立派ではないか。

じぶんにできること、じぶんが好きなことで、ほんの少しでいいから、手助けをしてみる。

「功徳」を得るためじゃなくて、ただそうしてあげたいから、かるい気持ちでいいから、してあげる。

 

おとなって「大げさ」にしたがるんですよね。

よけいな理屈をひっつけ回して、事実や現実や目標を、とかく拡張したがる。

これこそがきっと「妄想」なんだろうなあ。

 

ぼくも些細なことでいいから、ひとに親切にしようって思いました。

それも無理するんじゃなくて、がんばるんじゃなくて、できること、得意なことで、ちょっとだけでいいから、してあげよう。

おおきなシステムやアルゴリズムを使ってごっそり人助けをすることもだいじだけど、「ちょっとしたこと」の積み重ねが巨大システムの機能を凌駕することもある。

それができるのも、じつは人間だけなんですよね。

良い行いが菩薩道なのではなくて、そう思うことじたいが、菩薩様なのかも。

ほんのちょっとでいいから、親切にしよう。

だれかをすこし、助けてあげよう。

そう思わせてくれた彼女に、感謝です。

 

彼女がプレゼントしたのはマスクじゃなくて、やさしい気持ちなのかもしれませんね。

 

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