「エナジー・バンパイア」という概念があるそうです。
まるで吸血鬼のように人のエネルギーを吸い取る人。
そういう人と一緒にいると、とても疲れてしまうのだそうです。
エナジー・バンパイアの特徴としては、
・自己主張が強い
・承認欲求が強い
・愚痴が多い
・相手を利用する
・被害妄想が激しい
・気を引こうとする
・人が嫌がることをする
・ネガティブ思考
・注目を集めようとする
・正論で打ち負かそうとする
・相手の上に立とうとする
・相手を脅す、あおる
・同情を誘う
という感じなんだそうです。
(https://odamasayoshi.com/communication/energy-vampire/ さんからのコピペです)
うん、たしかにそういう感じの人はいる。
一言で言えば「けつのあなの小さなやつ」といえるのかもしれない。
いっぽうで、そういったエナジー・バンパイアに狙われやすい人もいるそうで、
・相手の言葉に相づちをよくうつ
・人に話に同情・共感しやすい
・相手の話を聞きすぎる
・助けてあげたい気持ちが大きい
・情報に無防備(鵜呑みにしやすい)
・相手の発言を信じやすい
・本音が言えない(イヤと言えない)
ふむなるほど、たしかにこれも、そういう人はいる。
一言で言えば「気の弱いあほ」ですね。
つまり、「けつのあなの小さなやつ」が、「あほ」を狙う。
あれ?
これべつに、珍しいことじゃないな。
よくあることじゃねえか。
一般にエナジー・バンパイアは加害者で、吸い取られる側は被害者である、という構図のようです。
あれ?
これ、ちがうんじゃないかなあ。
むしろ「吸い取られる側」にこそ、最大級の問題があるのではないか。
矛盾があるのです。
エナジー・バンパイアの特徴として「被害妄想が激しい」というのがある。
では「私はエナジー・バンパイアにエネルギーを吸い取られている」という認識は、被害妄想といえないのか?
むしろこちらのほうが、つよい被害妄想ではないのか。
エナジー・バンパイアの特徴をみていると、こんなもの誰でも多少なりとも持っている傾向です。
これらの傾向が無意識レベルまで含めて一切ない人間など、おそらく存在しないだろう。
一般的、とさえいえる。
ということは、このような一般的特性を持つひとと接してエネルギーが奪われるような感覚を持つということは「吸い取られる側」にこそ中心的問題があると考えられる。
確かに「一緒にいるとなぜか元気になれる人」というのは存在します。
またいっぽうで「一緒にいるとなぜか疲れてしまう」という人も存在する。
そこで後者の「疲れてしまう人」に注意せよとか付き合うなとか離れろとかいうのは、それこそが「他者依存」であります。
他者が自分に影響を与えている、という妄想に没頭しているのですね。
それはまさに、依存なのです。
エネルギーを奪うひとを遠ざけたいということは、逆にいえば、エネルギーを与えてくれる人に近づきたい、ということなのかもしれない。
他人が、じぶんのエネルギーを奪うことなど、決してありえない。
天地がひっくりかえっても、ありえない。
ある人に会うことで生気が抜けるのは、その本人に決定的な原因がある。
相手の言葉や行動などにいちいち反応し、それを内部処理しようとして疲弊している。
なぜ「処理」をしようとするのか。
自分のこころに、何らかのつよいこだわりがあるからかもしれない。
それと合致しないものをなんとか消化しようと、むだに精神エネルギーを使っている。
・消化しない
・こだわりを捨てる
このどちらかを行えば、無駄な処理はせずにすむ。
けれども、それをしてしまうんである。
こういった「本人の内部処理特性」については完全に放置して、被害者被害者といっている。
むしろ、こっちのほうが「依存型」ではないのか。
無限とつながっていない。
これこそが、最大の問題だとおもうのですよね。
社長さんなんかに多いけど、会うとすごくエネルギーがもらえて元気になれる人っていうのはいます。
でもそういう人たちが特定の人に会うことで極端に元気を失って「あいつに生気を吸い取られた」だなんていう愚痴はいいません。
ひとに元気を与えてくれるようなひとは、どんなひとに会ってもそれほど強くは疲労しないのです。
なぜか。
「無限とつながっている」
からだと思うのです。
だから多少バンパイアっぽい人と接したとしても、「無限」マイナス「定数」は、やっぱり「無限」。
無限から10を引こうが100を引こうが1000を引こうが1億を引こうが、残高は「無限」。
人に元気や活力を与えるというのは、そういうことなんだと思います。
人と会って疲れるのは、その相手が原因ではない。
じぶん自身の「処理方式」「認識」が原因である。
じぶんの活力が有限であるという妄想に支配され、エネルギーというものが「吸う」「吸われる」という特性を持っているという妄想に、支配されている。
んなわけあるか。
ひとは全員、いままさに、おなじ無限エネルギーの中にいる。
そのなかで吸った吸われたなど、あるものか。
ひとのことをヴァンパイア呼ばわりするものこそ、ヴァンパイアである。