もう、あれだな。
アレですわ、あの「アフィリエイト」のせいで、ネットが濁ってしまった。
だからもう「ググる」のをやめようと思いました。
ちょっと深いことを探そうとしたら、ほんとうにどうでもいい情報や、まちがった情報、てきとうな情報ばっかり上位にくる。
マジでもう、使わないほうがいいです。
とくに健康関係はそれがヒドい。
も、やめ。
これからは「クオる」のがいいね。
調べごとはググる前に「Quora」を先に使ったほうが、よけいなウロウロがなくてすみます。
あえていうなら「Yahoo知恵袋」のようなものなんですけどね。
いわゆる質問→回答サイト。
でもクオリティが、ぜんぜんちがいますね。
「知恵袋系」はGoogle検索よりもヒドいことが多いので、ぼくはいっさい使いません。
ほんとうに、ひどいから。
Quraのいいところは「完全実名制」なんですよね。
これが例の「知恵袋」と決定的にちがう。
もちろん、Quoraに書かれていることが絶対に正しいとは限らないけど、書いてくれているひとはほとんどちゃんと精査して書いてくれているようです。
つまり無責任なことはあまり書いていない。実名だからでしょうね。
もちろんなかには「なんじゃこいつ」っていうのもあるけど知恵袋系に比べたら、全然少ない。
知恵袋系は匿名で、かつ「ポイント制」なので、あんまり知らないくせに答えていたり、ポイントほしさに書いているだけというのが目立つ。
いらなーい。
そしてQuoraで回答をしてくれているひとは、かなり賢そうに感じます。
どこまでが事実で、どこまでが個人の推測なのかということをちゃんと整理して書いてくれていることが多い。
あと文章がうまい。
読みやすくて、情報精度が高くて、情報の希少性も高い。
ぼくはパニック障害をかれこれ10年ちかくやっていて、これがなぜ起こるのか? ということをいっしょうけんめい探してきたんですけど、10年かかって到達した結論とまったく同じことが、すでにQuoraにはありました。
パニック障害と強迫性障害は似ていて、臨機応変さの欠如があります。それは未来を想定する方法が狭くて、ゴールを一つに絞ってそこに向かおうとする思考があると思います。たとえば自己ルールの課しかたついてで、この内容を思った通りに言わなくてはならないと考えていたときに、不意に横槍を入れるような質問を他の人にされたときに、それが想定外な質問であり、混乱します。というのはその質問に返すことで自分の話したいことがキチンと話せなくなったりすることが想定外の結果に落ちるからです。
パニックに陥るのは、自分の思考が現実に対する判断に向けられているのではなく、自分の行動のあるべき目標やその達成とか、現実以外のことで頭を占めているからです。
そうなのです。
臨機応変の欠如、未来への視野の狭さ、ゴールの集約、過剰な想定、現実からの思考の乖離。
なぜ、そうなるか。
「主観・妄想が強すぎる」。
ここをまず自己認識していないと、いくら呼吸法やヨガをしたって意味ないんですよね。
いくらブウブウ息を吐いたって、からだをぐにゃぐにゃ動かしたって、背骨を矯正したって、じぶんじしんの「つまづき」の位置をきちんと知らなければ、なんの役にもたたない。
驚いたのはこの回答を書いた方はパニック障害経験者ではなく「作業療法士」さんなのです。
もしかすると、患者さんなどを客観的に観察しておられたのかもしれません。
結局、そういうことなんですよね。
主観的で、妄想的である原因は、なにか。
「現実への指向性と客観性が欠如している」
ことであります。
このことが体調の不具合と発作をニカワのように貼り付けてしまう。
現実主義になり、客観的視点を養う。
まずはここから開始しなければ、改善が見込みにくい。
座禅や瞑想、掃除が効くというのも、結局はこれだったのだと思います。
座禅や瞑想、掃除は、脳の客観性を司る部分を発達させます。
客観性と現実指向性が強くなってくると、症状と発作の分離が行いやすくなる。
時間はかなりかかるかもしれないけど、たぶん本質的な改善にはこの部分を攻めていかないと実行できないと思っています。
主観的で、妄想的。
このことはまた、パニック障害以外の普段の生活にとっても拘束具になるのですよね。
主観と妄想の世界に入り込んで出てこれなくなると、苦しみが増え続けていく。
この「闇」を払うものこそが、つよい客観性と現実指向性だと思うのです。
Googleで10年かけて探しても見つからなくて、結局自分自身で経験して導き出した答えが、Quoraでは一発で出てきた。
インターネットは「知の共有」だといわれます。
たしかに、そのとおりなのです。
でもそこに「広告」や「小銭稼ぎ」が入ったせいで「知」が「痴」に変わってしまった。
知の共有ならぬ、痴の共有。
Quoraの回答者は、かなりレベルの高い知の領域にいる方が多いようです。
朱に交われば赤くなる。
「痴」に接しすぎるとそうなってしまうから、できるだけグレードの高い「知の領域」に接するようにしたいものです。