子どものころに反抗期がない人、というのがいるそうです。
いわゆる仲の良い親子、仲の良い家族というやつですね。
これは一種の幸福のようで、すばらしいことのような気がする。
しかし「いいこと」の裏には「わるいこと」が、恋人のように睦まじく寄り添っているもの。
反抗期のなかった人はメンタルが弱くなる傾向があるのだそうです。
逆にヒドい反抗期を過ごした人は、メンタルが頑丈になる傾向もあるらしい。
どういうことなのか。
思うにこれは「脳の発達」に関係しているような気がします。
生きていく上ではなんでも肯定し、ウンウン、そうねそうね、そうだよねと八方美人をカマしておけば良いことばかりではないです。
ときには激怒し、拒否し、反発し、抗争することが必要なこともある。
怒り・反抗・拒絶は決して「不要なこと」なんかではなく、たいへん重要な機能であると考えられます。
反抗期というのは、脳がその「機能」を発達させている過程なのだと思うのです。
ウチの娘もまず4〜5歳のころ、それがありました。
「いやいや期」というやつですね。
とにかく「イヤ」なのです。
そこに道理なんかなくて、目につくこと触れることすべてが、イヤ。
「ママきらい! パパがいい!」
といってぼくのほうに逃げ込んできたら、
「ママがいいーーー!!」
といって泣きわめく。
なんじゃワレ!
なめとんか!
はったおすぞ!
……と思わずキレてしまいそうになりますが、これもまた致し方のないことなのですよね。
そしてその後、高校生ぐらいになると、
「とにかくお母さんがキライ」
という時期がありました。
さすがにもう4〜5歳のガキではありませんから話を聞けばちゃんと道理はあります。
この点がいや、この点がきらい。
でもその根底にあるのは、とにかくイヤだという感情なのです。
本人にしてみればとてつもないストレスを感じているので、可愛そうではあります。
しかしこういったことも、大学生になって大人になっていくにつれ、なくなっていく。
人間は人生で2回、「拒否トレーニング」をするのだと思います。
これを経過することで、こころの「バリア機能」がちゃんと発達していくのだと思います。
一般にメンタルが弱いと言われている人って、冷静に観察すれば「弱い」わけではないことが多い。
弱いのではなく、こころのバリアーが薄すぎることが非常に多い。
いわゆる「ええやつ」なのですよね。
すなおで人の話を鵜呑みにしたり、性善説に立っていて疑いが少なかったり、まじめで約束をきちんと守ったり、ひとのいやがることを進んで行ったりもします。
ほんとうにいい人で、こういう人がいなければ困るし、こういう人のおかげで、世の中はしあわせになっていく。とても貴重な人なのです。
でも可愛そう。
いろんなことを背負い込んでしまって、こころを疲弊させてしまったりしてしまう。
「バリアー」が薄すぎるのです。
イヤなもんはイヤじゃボケ、そんなもんお前がやっとけや、おれは知らんわ、と拒絶するちからが弱い。
そのせいで、まさにしわ寄せよのようにその人のところへ「つらいこと」が集合していく。
地面の窪みに水が流れていくように。
本人の考え方や性格がわるいわけではなく、これは「発達遅延」なのではないか、と思ったのです。
通常ならば4〜5歳ごろ、そして思春期の12〜18歳ぐらいに「とにかく拒絶」という、まったく非論理的な無根拠反応をもって「拒絶する脳」を発達させていく。
しかし何らかの理由でそれが阻害される場合がある。
誤った人道観や迷信にもとづくイデオロギーです。
「親子は仲が良いほうがいい」
「人の嫌がることを進んでやれば功徳がある」
「親は大切にしなくてはいけない」
「不機嫌な顔をしていては不幸が寄ってくる」
「悪いことばは波動がわるい」
などなど。
うそつけ!
も、ほんと、マジで、うそつけっ!
この、大うそつきめ!
親が厳しすぎたり、あるいは宗教やスピリチュアルなものごとに傾注しているとそのようなことがよく起こるのだそうです。
人間には知性があるので、論理的に「こうあるべきである」ということを聞かされると、そうかもしれない、と思ってしまう。
この上位脳が、原始脳に存在している「必要悪の発達」を阻害してしまう。
倫理観という高等理論がベーシックプログラムの実行を封印してしまう。
どうしてこういうことを思ったかと言うと、ぼくがそうだからです。
幼少のころはいざしらず、「2回めの反抗期」というものは一切ありませんでした。
まるで友人のように両親と仲良く接していました。
ケンカらしいケンカなどしたことがありません。
そして36歳頃、ぼくはパニック障害を発症しました。
一般にこういった病気はストレスが原因であると言われますが、どうもおかしい。
主観的にも、客観的にも、それほど強度のストレスは感じていないからです。
人生はむしろ順風満帆、すくなくとも平穏無事。
なのにストレスだという。
そしてそのうちとうとう外出恐怖にもなってしまった。
人が嫌いなのでもないし、この世に恨みなどない。そんなトラウマもない。
おかしい!
これは、どういうことなのか。
遅れてきた反抗期ではないのか、と思ったのです。
発達遅延していた「反抗脳」が、いまになって独立宣言を発布したのではないか。
肉体も壮健、人生も満帆、人間関係も良好、拒否感もほとんどない。
なにぼくはそれこそ「なにをやっても」治らなかったのでした。
客観的に見ればぼくのパニック障害や外出恐怖は「反抗」としか見えないのです。
「いや」だと思うときにする反応ばかり。
理由なんか、もちろんありません。
とにかく人に会うのも人と歩調を合わせるのもイヤ、人が良いと言っていることはすべてが信じられないし、すべてが不快だった。
だから思った、「狂っている」と。
そう、狂っているのです。
ではこの狂いは、どこからきたのか?
「時間が狂っていた」のかもしれない!
本来のスケジュールから大幅に遅れて「それ」がやってきた。
思い当たる理由は、ふたつあります。
まず直接的には母の宗教です。
一時期創価学会に傾注していた母は、その教義にもとづく倫理観をぼくに植え付けました。
そこには今考えれば明らかに誤った倫理観念が多く含まれていました。
もひとつは、母が宗教に至った理由です。
母は幼少のころから両親にコキ使われていました。
古い武士の家系で、女の地位というのは「家畜」に等しい雰囲気もありました。
学校もまともに行かせてもらえない時期があったそうです。
しかし時代が変わり、女性の教育ということにも視線が向かうようになって、母の妹が生まれてからは、妹のほうはとても大事にされた。
母はそのまま、奴隷のように扱われていたのだそうです。
とても裕福な豪農だったので、お金がないということではなかったのです。
母はとても微妙な時代にいて、周囲の女性が自由闊達にオシャレや文学を堪能し夢を語っている中、母だけは毎日田んぼでドロと家畜のウンコにまみれていた。
そんなころ、母の母つまりぼくの祖母もまた自律神経を極端に失調させて寝たきりのようになってしまって、母親のしごとまで請け負うことになった。
いろいろなタイミングが重なって、母は年頃になっても「反抗期」をいっさい発動できなかった。
そしてとうとう、母は故郷を逃げ出した。
すべてを捨てて、神戸に逃げてきたのでした。
「遅れてきた反抗期」による現実的なエクソダスは、残念ながらさまざまな阻害があります。
母はこころを疲弊させていき、そんなとき、創価学会に出会った。
そこでさまざまな教義を仕込まれていくことになります。
そこには明らかに人間の自然なる発達ということを無視した机上夢想の理想論が溢れかえっていました。
ぼく「だけ」が理由なのではなく、母が受けた抑圧もまた、ぼくに影を落としている。
思うに、ぼくのおばあちゃんも自律神経を壊してしまっていたのは、当時の社会背景や家系の思想によって「反抗期が許されなかった」というのもあったのかもしれません。
もしかするとこれを「カルマ」というのではないか、と思いました。
さて、ぼくは座禅や掃除を毎日真剣にするようになって160日め、はっと気がついたことがあります。
「【拘】を捨てなければいけない」
いわゆる正義感、倫理観、常識と、それまで得た仏教的な観念などです。
そういうものが、ぼくの「道」を阻害している。
そういうものが、ぼくの【拘】である。
そんな感覚があった。
大脳の上等な部分だけを使って編み出された屁理屈だらけの倫理観念が、もっともプリミティブな部分の発達を阻害している。
ひとは本来、自由である。
ひとは本来、自由である。
ひとは本来、自由である。
しかしひとは、自らの「思考」によってその自由を失う。
自らの成長を、阻害する。
ぼくはいま、病気ではないのかもしれない、と思った。
遅れてきた【拒否トレーニング】の真っ最中である。
だからこれは、そのまま継続するしかない。
拒絶せよ、拒絶せよ、拒絶せよ。
反抗せよ、反抗せよ、反抗せよ。
「なにゆえに」とか「どうすれば」なんか、いらない。
いちばん、いらない。
ダダをこねよ、嫌え、ばかにしろ、ケンカしろ。
なんでもかんでも、「NO!」といえ。
人間には、そんな時期が必ず必要である。
それを経るからこそ、バリアーが強くなる。
なにものをも跳ね返す、強力なこころの結界ができあがる。
「いま、こころの第二次結界を作成中です。少々お待ち下さい。」
看板でも、かけておこうか。
わが子の反抗期を温かい目で見守るように、わが反抗期も認めよう。