笑うしかない

じぶんのブログをたまに読み返すのですけれども、最近思うのです。

「うわ……気持ち悪」

 

なにが気持ち悪いって、真面目すぎる。

この世でなにが気持ち悪いって、真面目すぎることなんですよね。

これにはいろんな異論があるとは思うけれども、しょうがないよー。

きもちわるいものは、きもちわるいのです。

ぼくも真面目なことは悪いことじゃないとは思うんだけれども、きもちわるいの。

それを否定してしまったらじぶんにウソつくことになるから、へんなおべっかはつかわない。

真面目すぎるのは、気持ち悪いのっ。

 

以前はなぜかこのブログを書いたその日か翌日にとても具合が悪くなることが多かったです。

だからパソコンを触るのが良くないのかなあ、とか考えたこともある。

でも最近はぜんぜんそうならない。

むしろ調子がよくなることのほうが多いのですよね。

客観的に読んでみると、最近は記事の「まじめ濃度」が低下している。

クソ真面目なことを書くと具合がわるくなり、ふざけたことを書いていると元気になってるみたい。

 

なぜか。

なぜか、だなんて、そんなに難しい話じゃないんですよねえ。

あたりまえなんだ。

「まじめに書こう」と思ったら、まじめなことばっかり考えるんですよね。

そんなの、つまらないじゃん。

でも「おもしろいことを書こう」と思ったら、面白いことを探すんですよね。

だから面白いことが増えていく。

そんなの、元気になるに決まってるじゃん。

 

このブログを開始した当初の目的は、一切薬をつかわずにパニック障害を治そうと思いそのログを記録していくことでした。

すると意外と読んでくれるひとがいて、世の中にはパニック障害で困っているひとが想像以上多いことに気がついた。

そして、ぼくとほとんど同じようなことで悩み考えているひとも多いことに気がついた。

じゃあ、そういう人のためにいろんな情報を提供していこう。

そんなのが、いわばコンセプトでした。

パニック障害的なことで悩んでいるひとに、ほんのちょっとでもいいから役立てたらいいなあ、っていうのがあったのです。

 

10年以上いろいろ試してきて、結局到達したのは

「笑うしかない」

ということでした。

考えたって、努力したって、治らん。

原因のひとつに「まじめ」っていうのがあるのです。

「考えすぎる」っていうのもある。

だから病に打ち勝つため、まじめに考え真剣に改善に取り組むというのは矛盾しているどころか、むしろ悪化の手助けをしているようなものです。

まじめに情報を集め、まじめに学習し、真剣にエクササイズを行う。

自分ではいっしょうけんめいやっているつもりだけど、ほんとうは傷口に塩を塗ってる。

笑える。

笑えるけれど、当の本人は真剣です。

笑えない。

 

笑うしかない。

ただしい情報を集めるよりも、おもしろい情報を集めるほうがだいじなんですよね。

それはもういっそ、ウソでも間違っていてもいいんだ。

笑えれば、それでいい。

 

できるだけ面白いふうに書こうと思えば、面白いことを思い出したり考えたりするしかない。

そうしたら、自動的に気分もあかるくなってくる。

鼻歌まで出たりするようになる。

でもむかしの純文学みたいな深刻なテーマに挑んだりしていたら、深淵を覗き込むしかない。

そんなことに長らく接していたら、こころが、気分が、どんどん暗澹たるものになっていく。

 

いらねえ。

いらねえよ、そんなの。

人生の無駄だよ。

 

こころのなかから真面目とか真剣とか、正義とか正解とか、倫理とか道徳とか、プライドとか根性とか、そういううざってえものをどんどん断捨離していくと、こころがからっぽになる。

からっぽのなかには、うれしそうにわらっている、ちいさなぼくがいた。

わらっているちいさなぼくを見つけて、ぼくはなぜか、泣きそうになった。

虚空の正体は、ほほえみだったのです。

抱えているものが少ないと、わらうのですね、人は。

抱えているものが多いほど眉間にシワがよってきて、深刻になっていく。

真面目なのは、こころが贅肉で太っていただけなんだ。

こころがブクブク太っているから、真面目すぎるのは気持ち悪いんだ。

ダイエットしなきゃね。こころの。

 

外へ出て「青」を探してみる。

そうしたら、ふだんの何十倍もの数の「青」を発見することができます。

でもそうしようと思わなければ、「青」はほとんど見つからない。

 

面白いこと、楽しいことも、おなじなんですね。

探さなければ、見つからない。

でも探そうとさえ思ったら、この世は面白いことであふれていた。「青」みたいに。

治す方法を探し回るということは、「深刻」をさがし回っているのと、ほとんどおなじ。

だからこころの本棚には中央図書館よりも多くの「深刻」が並ぶようになる。

だから、重かったんだなあ。

こころが。

 

まず、こころを軽くしないと、なんにも治らない。

家具が多いと、掃除ができないのとおなじ。

だいじなものだけ残して、こころがひろびろしてきたら、真ん中にはニコニコしている「ちいさなわたし」が立ってる。

よけいなものが邪魔で、かくれていたんですよね。

人はだれでも本質的に、笑顔なのです。

頭蓋骨は、わらっている。

 

どうせ書くなら「きょうのつらかったこと」じゃなくて「きょうの笑えたこと」を書こうと思います。

まじめに真剣にやるのは、しごとだけでじゅうぶん。

それいがいは、笑って暮らそう。

 

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