コロナウィルスによる緊急事態宣言を受けて、ぼくはなんと、こんなふうに思ってしまいました。
やったー! 休みだ!
なんという、フザけた野郎でありましょうか。
われながらぞっとするのであります。
まあ幸いなところぼくたちの業界はいまのところそれほど影響を受けていないというのはあります。
接客業でもなくエンターテインメント業でもなく、在宅ワークでほぼ完結できてしまうので、とくに影響を受けていないのですね。
でもじつは、それが理由ではないです。
ふつうに営業成績が落ちてきて、仕事の量が減ったら、ぼくは思うのです。
「やったー! 休みだ!」
個人事業主としてどうなのよ、その考え方は。
ほんとうに思うのですから、しょうがないです。
正直なところ、仕事が減ってくると、すこしうれしい。
ぼくはパニック障害になっていらい、このブログなどで書いてきました。
「神経質をやめたい」
「繊細さを減らしていきたい」
「もっと図々しくなりたい」
「もっと呑気になりたい」
うそつけ!
よくもまあ、こんなことを書けたものです。
ぼくはとても、恥ずかしいであります。
アイム・ソー・シェイム、であります。
ぼくはじつは、常軌を逸したお気楽なところがあるのかもしれないです。
先のことをあんまり考えていない。
なんかしらんが、なんとかなるような気がしている。
理由もないのに、そんな気がしている。
これは生まれたときから、ずっとです。
しかしパニック障害をやってから、それが徐々に変わっていきました。
先のことを考えるようになり、まじめであろうとし、努力を怠るべからず、と思うようになった。
このことについて、やはりパニック障害というストレスが、ぼくをそうさせたのだと思っていました。
案外、そうじゃないかもしれない。
ぼくはパニック障害をやってから、それを自力で治そうと思って、まずヨガに手を出しました。
そこから、インド哲学や仏教にも目を向けるようになりました。
そういったイデオロギーの中には、厳然としてあるのです。
具体的にそう書かれているわけではないが、それこそ「文底秘沈」的に存在しているものがある。
「真面目であれ」
そもそも、イデオロギーというものじたいが、真面目なのです。
完全にフザけていたら、あんなに難しいことを思いつくはずがありません。
ヨガは「リラックスしましょう」と表面的には言ってくれるけど、あんなメソッド、真面目じゃないと思いつきませんよね。
またあんな肉体操練を毎日やるとか、真面目じゃないとできるわけないです。
表面的には、癒やしだのリラックスだの無理するだの、やさしそうなことを言っているけれども、ヨガのイデオロギーの中核は「くそまじめ」です。
なじめなひとほど、ヨガに惹かれるのがその証拠です。
類は友を呼ぶのです。
ぼくは「そのへん」を、先日ゴソっと捨てました。
べつに本を捨てたということではなくて、こころのなかから、全部追い出してやった。
そんなものは、ぼくは一回も勉強したことない。
そう思い込んで、完全に忘れることにしたのです。
見よ。
「忘れよう」と思ったら、ほんとうに忘れられた。
ぼくは気づいた、ぼくは自分が思っているほど真面目でも神経質でもありませんでした。
むしろ、ふつうの人の数倍呑気であるのかもしれません。
「真面目」という毛皮をかぶっていただけなのでした。
そしてその毛皮は、ヨガとか仏教とかのイデオロギーが主原料だったのでした。
イデオロギーを捨てちまったら、変化がありました。
仕事がイヤになった。
あー、もー、メンドクセー!
それまでぼくは、朝の6時に起床したら、その30分後には仕事についていました。
そこからずっとまじめに、夕方まで仕事を続けます。
途中でゴロゴロしようとか、サボっちゃおうかなとか、いっさい考えない。
「きょうやること」を、なにひとつ違わず消して行くことにやっきになるのでした。
まあ、それは良いことではある。
でもひとつだけ言えることがある。
「異常である」
そんなもん、四六時中ずーっと仕事してたら「もー、ヤダー!!!」ってなるのが、ふつうです。
いくら好きなことであってもいい加減飽きてきて、逃げ出したくなるものです。
ぼくは、それがなかったのです。
そんなのだから、仕事中に異様に息苦しくなったり、立ち上がったらめまいがしたりしていたのだと思います。
最近は仕事中に、きゅうにソファでゴロゴロしだして、漫才とか見ながら
「あはははは……」
などと笑っていたりして、そのまま眠ったりしてしまうことも多いです。
で、そのうちに、
(いくらなんでも、サボりすぎだな)
と思い直し、気合を入れ直して、仕事します。
でもそれも2時間ぐらいしか続かなくて、またソファに行ってゴロンゴロンしだす。
考えてみれば、これ「ふつう」なんですよね。
そんなもん、キカイじゃあるまいし、何時間もぶっ通しで働けるか!
ナメんな!
だから今回のようなことが起きると、よけいに思ってしまうのです。
「神様が休めって、言ってんだよなー」
なんつって。
昼間っから、ゴロゴロー、ゴロゴロー。
Be Lazy.
このさいだ、おもいっきり、だらだらしようぜ。
ひじょうに自己都合な考え方ではありますが、思っちゃうんだなあ。
もしかしたら、このたびの件でみんなも気づいちゃうんじゃないかな。
飲みに行かなかったり、お酒をやめたり、外食しなかったり、旅行に行かなかったり、買い物に行かなければ、案外生きていくのってカネかからねえんだなって。
ぼくはパニック障害から外出恐怖症になって、このたびの非常事態宣言の状態をいわば「先取り」していたところがあります。
どこにもいけなくなって、ずっと家にこもりっきりだったのです。
そうすると、確実にわかる。
いままで、いかによけいな出費をしていたか。
いかに、無駄遣いが多かったか。
生活するのには、ほんとうはそれほど収入は必要ではなかった。
これに気がついたとき、思う。
「だったら、そんなに血相変えて働かなくていいじゃん」
もし人民全員がそう思ってしまったら、マクロ的にはエラいことになります。
現在の経済システムの抜本的な変更が必要になる。
じつは現代社会は「浮ついた消費」「無駄遣い」によって回っているところが大きいです。
ほんとうに必要なことだけに絞り込んだら、びっくりするぐらいカネはかからない。
みんながこれに気がついてしまったら、冗談抜きで「革命」が必要になるだろうと思います。
いまのシステムのままだと、社会は完全に崩壊する。えらいことになる。
システムそのものを、変えてしまわないといけなくなる。
技術革新の成れの果てには、意外なオチが待っているのかもしれません。
SF作家でさえ、漫画家でさえ思いつかなかった、奇想天外なオチ。
「経済システムの完全な入れ替えが必要」
だれが、これをやるんだろう。
だれも経験したことのない未来。
これは、難しいぞ。
……でもまあ、未来を経験した人なんて、もともと一人もいませんからね。
だから、もう、いいぜ。
考えなくても。
いまのうちに、ゴロゴロしてよう。
いますべきことは、なにもしないことだし。
欲望 に
引きずり回されず
奴隷 に されず
しずかにいることの やすらかさ を。
いいもんだね って。
きづく 者 は きづく。
好機。
チャンス。
移行する とき
なのかも しれません。
みえてくるもの が あるはず。
ほんとう に
大事な
大切な
は
なにか って こと。
そうなんですよねー。
べつにこれといった楽しいことがなくても、それはそれで案外いいじゃねえか。
っていうことに気がついてから、ぼくは「強く」なったところはありますね。
自由意志で動いていると思っていても、じつは欲望のドレイになってることも多いんですよね。
欲望のままに動けることが自由なんじゃなくて、欲望からも自由になったときが、ほんとうの自由なのかもしれません。
わたしの ウン十年来˘m˘* すきなアーティスト です。
よかったら。
(_ _)*
https://www.moto.co.jp/konomichi/
うー、いい曲ですね~サワヤカ。
この道は、もっと明るくていい。ですか。
歌詞もいいですね。
いい曲のご紹介ありがとうございます。