アセンション願望

今日はすげーヒマだったので、かねてより気になっていた「アセンション」という思想について軽く調べておりました。

以前、大乗仏教の中観や唯識という根本思想について軽く調べた時は難しすぎてアタマの中にネコが出てきてしまいましたけど、こっちのほうは何も出てきませんでした。

 

アセンションというのは、もともとはキリスト教の思想で「天に引き上げられる」みたいなことだったようです。

それがニューエイジ思想とあいまって「次元上昇」という考えになっていったそうです。

そしてこの次元上昇は、3次元である現世から、5次元の世界に上昇するという意味なんだそうです。

まあそもそも、現世が3次元と言っている時点でちょっとおかしいかなとは思うんですけども、だって現世は4次元ですからね、3次元っていうのは時間のない空間のことです。

それはさておき、つまりはようするに、特定の日時をもって全世界の人々がいっぺんに次元上昇をするわけですが、次元上昇できないひともいる。

それは利己的であったり物質的なことに執着していたりする人がそうで、仏教的にいえば煩悩から切り離されているひとはスムーズに次元上昇ができる、とまあ、こういうことのようです。

 

その「特定の時期」というのは、かつては2012年とされていたことが多かったようです。

これはマヤ暦の最後がそうなっていたので、おそらくはそれと結合させたのだと思います。

しかし実際には2012年には次元上昇的なことは起きていないので、「あ、しまったッス。うるう年の計算忘れてたッス。テヘペロッス」的なことで修正され、次元上昇日時は「2020年3月20日」というふうに再定義されていったようです。

今回は前回の轍を踏まないようにするためか、「次元上昇は必ず起きるが、それは見た目にはわからない」という、高度な予防線が張られていたようです。

 

まず意外だったのは、このアセンション思想というのは特定の宗教団体の思想ということではなく、かなりバラつきのある思想体系であったということです。

きっと新興宗教かなにかの思想かなと思っていたんですけど、そういうわけでもないらしい。

ただし「言い出しっぺ」とでもいえる人はいるようで、それはどうやらエンリケ・バリオスという作家が書いた「アミ 小さな宇宙人」あたりがその起源ではないか、とするひともいるようです。

でもこれも必ずしも定説ではなく、あくまでそういう説もある、という感じのようですね。

 

そして感慨深いのが、このような「次元上昇」という思想を好む人が想像以上に多いということです。

アセンションをテーマにしている人のいろんなブログを読んでみて感じたのは、

「まじめで、いいヒトだなあ」

という感覚でした。

このアセンション思想は終末思想ともよく似ているので、人々の恐怖を煽って詐欺まがいのことをする人も多少はいるでしょうけれども、ほとんどはそれほど悪徳な感じはない。

それはまあ、ある意味当然かもしれなくて、アセンションができる人というのは「無欲」ということがキーワードになっているからでしょう。

以下のサイトあたりが、「アセンションできるひと」「できないひと」の定義がわかりやすかったです。

https://ameblo.jp/xyza9117/entry-12465224691.html

 

アセンションできるひとの特徴

1 社会道徳や世間体よりも個人の幸福を重んじる。
2 名誉や財産に執着しない。
3 こだわりが少ない。
4 動物や虫が好き。
5 自然の豊かな環境が好き。
6 相手の心が分かる。
7 引っ込み思案な性格。
8 現状に満足していない。
9 音楽や芸術が好き。
10 何歳になっても勉強が好き。

 

アセンションできないひとの特徴

1 個人の幸福を蔑ろ(ないがしろ)にし、社会道徳や世間体にがんじがらめになっている。
2 財産や名誉にすがって生きている。
3 こだわりが強い。
4 動物や虫が苦手。
5 自然が好きではない。
6 他人の心なんてどうでもよい。
7 傲慢で横柄な性格。
8 現状に満足している。
9 音楽や芸術に興味がない。
10 大人になってからは勉強していない。

 

だからまあ、ようするに「気が弱くてエエやつ」はアセンションできるけど、「気が強い強欲者」はアセンションできない、みたいなことのようですね。

 

なるほど。

なぜ「アセンション」という思想が思いのほか広まったのか、これを読んでなんとなくわかったような気がする。

そう。

この思想は、「気が弱くてエエやつ」のためにある。

 

「気が弱くてエエやつ」って、現世に不満を抱えているひとが多いんですよね。

だっていろんなこと遠慮してしまって、自己主張があまりできないから。

損をすることが多い。

つまり、現状に満足できていない人が多い。

まじめでエエやつって、だいたいそうなんですよねー。残念ながら。

だから思わず「他力」を求めるのだと思います。

こんなに真面目でやさしい、善良なワタクシは、この大宇宙の壮大なしくみによって救われてしかるべきである、と。

生きながらにして、無限の神秘なパワーによってワタクシは天国に引き上げられるべきである、ワタクシが認められる世界になるべきである、と。

そしてあの羨ましいアイツらは、言葉にはしないけど、本音としては生きながらに木星かどっかに飛んでいってほしい、と。

 

だからまあ、これは「極楽思想」と似ていますね。

これを信じるヒトというのは、かなり追い詰められているひとなのだろう、と思いました。

かなり抑圧されているのでしょう。自分に。

そうでなければ、こんなに極端な思想を支持するとは思えません。

ただ、追い詰められているといってもおそらくは経済的なことというよりも、人間関係や社会的なことなどで悩む人なのではないか。

じつのところはかなりの自己顕示欲があるものの、それを日頃から常識で抑え込んでいてたり、あるいは気が弱いため、もしくは表現する技術がないために、それを表出することができないでいる。

また人の好き嫌いも激しい傾向があるだろう。

そして自分は素直で欲が少なく柔軟だと考えているけれども、客観的にはかなり頑固で鼻っ柱が強く、強欲で、負けず嫌いなところがあるはずである。

だからこそ、この世界に不満を持っている。

ほんとうに欲がなく、こころの底から謙虚であれば、この世界に完全に満足できるはずだからです。

不満はあるけど実現できないと考えるから、なにか偉大な力で救われることを願い、自力で現世を満足の行くものに変えてやろうと考えることができないのであろう。

「わたしを認めてほしい」という、ある種の自己承認欲求の変化球であろうと思われます。

 

だからこの思想は、自己矛盾を抱えている。

「無欲で素直な人は救われる」かもしれないけど、真の意味で「無欲で素直な人」は、アセンションなど全く望まないのであります。不要である。

「次元上昇したい」と望むそのココロがすでに、強欲で傲慢である。

結局はこれも、肥大した自我が生み出した妄想レベルの定義であろうとぼくは認識しました。

 

だからやっぱり、この思想を信じる人をバカにしてはいけないと思いました。

悩んでいるのだと思います。苦しんでいるのだと思います。

だからこそ高次元の「理想郷」を求める。

 

しかし残念ながら、事実は冷酷であります。

そのような次元上昇は、絶対に起こり得ない。

なぜならば、この世界はもうすでにその「高次元」の中に存在してしまっているからです。

上昇するも何も、もうすでに、その状態になってる。

だから、いまの状態で満足できていないのなら、仮にそのような次元上昇があったとしても、その世界で絶対に満足することはできない。同じような悩みを持ち続けるだけである。

いま、ここ、この状態、この場所、この社会、この次元でしっかり満足できるよう、自分自身のこころを改変することのほうが大事であろうと思われます。

もちろんこれはぼくの思想でから、正しいとは限りません。

 

やはり神秘思想というのは、この世の人の悩みを映す鏡のようですね。

それを見れば、人が何で悩むのか、とてもよくわかります。

 

 

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