最近気になっているのは「右翼的ななにか」です。
いえべつに右翼思想に目覚めたとかではなくて、むしろ逆。
右傾化することに、とても危機感を感じています。
やや予言めいていますけど、ぼくはこのたびのコロナ禍は最短で2022年の春まで続くのではないかと思っています。
理由としてはまず、100年前のスペイン風邪でピークが2年続けて起こっているからです。
冬に流行しやすいウィルス性の風邪は夏になればある程度収束する可能性があるけれど、北半球と南半球で季節が逆転するので、北半球で収束しても南半球で拡大するかもしれない。
スペイン風邪が流行った100年前に比べればずいぶん医療も発達しているし、人々の危機感も強くなっているからマシになるのではとも思ったのですが、いかんせん、飛行機などの発達で人々の移動の頻度は高くなっています。
交通の発達が医療の発達と相殺して、結局は同じような期間、これが続くのではと考えます。
あと最近予測しているのは「社会が右傾化していく」ということです。
信頼のおける調査によると、ネットに長時間触れることで右傾化しやすくなるというのがあります。
また、不安が強まることで右傾化していくという事実もある。
このたびのコロナ禍は、この2つの条件を完全に満たしてしまうのです。
在宅勤務の時間が長くなれば、ネットニュースに触れる時間も長くなります。
言うまでもなく、コロナによる健康的・経済的不安は否応なしに高まっていきます。
この両者が合致したとき、一気に社会の右傾化が始まるのではないか。
なにより怖いのは、これは日本だけの話ではないということです。
外出の抑制による引きこもり長期化によるネット情報との接触時間の増大、健康や経済に対する不安、これは全世界で起こっています。
世界的な規模で右傾化していくことが考えられるのではないか。
右傾化の怖いところは、各国がそれぞれ同様に右傾化した場合「他国の排斥」「自国利益のみの忖度」という力学を生み出してしまうということです。内向きになっていく。
自国ファーストであるとか、民族ステータスの復活であるとかという思想が強化されると戦争の口実を生み出しやすいというのがあります。
長時間ネットに触れることで右傾化していく「ネット右翼」のおそろしさは、その無自覚性にあると思います。
べつにもともとそのような教育を受けたわけでもなく、右翼的イデオロギーに積極参加していたわけでもない。
どちらかといえば教養もあり、リベラルでバランスの取れた人であったのに、まるでゆるやかな洗脳を受けたかのように徐々に徐々に右傾化していく。
これはぼくも経験があることで(とはいえぼくは特段教養があるわけではありませんが)、元来右傾化する素養はほとんどなく、ほぼ完璧な「ノンポリ」だったです。
でもネットの使用時間増えていくと、なぜか嫌中・嫌韓の意識が芽生えてくるようになるのです。
まるでこころにカビが生えてくるかのように。
そして自分が考えていることはきっと正当である、いままで知らなかった事実である、とも強く感じてしまうようになる。
ノンポリというのはいわば、浮動票とも日和見菌ともいえます。
特定の色に染まっておらず知識がないがゆえに、かえって洗脳されやすく、また全体がある方向に傾いたとき容易にそちらに流されていってしまう可能性が高い。
なぜそうなるか、これはよくわかっていないようですが、おそらくは「右傾思想」というのは人間の本能に関わっている部分だからではないかと思います。
逆の左傾思想というのは、いわば本能と戦うイデオロギーでもあります。
ゆえに不自然で、継続性のない、机上の空論に陥りがちでもあります。
いっぽう右傾思想は「仲間を守りたい」という本能的正義に依拠するので、ひじょうに強固でサステイナブルなイデオロギーになっていく可能性がある。
国際的にひどく右傾化すると最悪の場合は「戦争」ということが考えられます。
戦争にならなかったとしても、国際協調の断絶が起こるかもしれない。
そうなると観光業は壊滅してしまいますし、貿易依存型の商売は大打撃を受けることになる。
経済制裁という理由で関税を上げる国が増え、そうなると経済摩擦が激化して戦争になる可能性も高くなります。
おそらくは各国がてんでバラバラになるというよりも「2〜3分割」されていくのではないか。
利害の一致がある国同士で結託し、三つ巴で争うようになるかもしれない。
そして世界的な右傾化が起きると、その数年後、こんどはまるで振り子が戻すように、極端な左傾化が一部で起こるかもしれません。
戦後日本で学生運動が多発したように。
歴史は繰り返すといいます。
そのようにして結局、また人は人を殺し回るのかもしれない。
「一生のうちに戦争を経験しないひとは少ない」というのがほんとうになるかもしれない。
そのように、運命づけられているのでしょうか。
断固として、お断りであります。
民族の優秀さを持ち出すなど、いじめられっ子の発想であります。
弱いものほど、じぶんを大きく見せたがるのであります。
弱いものほど、じつはじぶんは強いのだと思いたがるのであります。
臆病者ほど喧嘩を好み、喧嘩腰になるものなのであります。
隣人の悪口を叩くものは、こころが弱い証拠である。
もっと、こころを強く持たねばならん。
大和魂を持っているのであればこそ、男であればこそ、他国へのくだらない悪口と陰謀論のような臆病者の憶測に心を奪われるなど、恥を知るべきである。
すべての多様性を包み込む度量を持て。
それが本物の大和魂である。
右傾化するということは「多様性を認められなくなる」ということと同義なのですよね。
正義という麻薬にラリって脳の機能が低下して、多様性が受け入れられなくなっている。
老人が右傾化しやすいのは、それが理由である。
つまり右傾化は痴呆の一種である可能性がある。
多様性を受け入れるためには、脳の若々しさが必要だ。
脳の若々しさを保つにためには、悩みから逃げず、悩み抜くことが必要だ。
悩むことから逃げたとき、ひとは右傾化していくのではないか。