小学生のころ、大きな机をみんなで共用しているときに、必ず言うやつがいるんですよね。
手で架空の線を机の上に引いて、所有権を主張する。
「こっかーら、こっこまーで、おーれーの領〜地〜!!」
なにゆーとーねん。
それはお前の領地ではない。
この机は、学校の持ち物なのである。
ふと思ったんだけど、これって大人も一緒なんですよね。
ぼくの家は持ち家だから、この土地はぼくのものだ、と思っています。
でも、よく考えてみよ。
「ほんとうに」ぼくのものなのか?
ちがうよなあ。
法律的にというか、暫定的に便宜的に「ぼくのものである」という名札をつけたにすぎない。
所有って「概念」なんだよなあ。
この土地は、たぶん日本列島が誕生したころから、ここにあると思う。
そこへ人類が住みだしたのはここ数百万年の「つい最近」であります。
そしてそこにぼくが住みだしたのは、15年前。
あとから来たもののくせに「ここはわたしのものだ」というのは、なんかおかしいのではないか。
あくまで「人間の世界において所有していると定義しておこう」というだけの話である。
人間の世界が、この世のすべてではない。
ということは、所有というのは、特定の狭い世界における定義だといえる。
ぼくは「人間社会という特定の狭い世界」で生きているけど、この特定の狭い世界は、宇宙全体という「全体世界」の中にある。
だからぼくは、人間社会とそれを包含する「全体世界」の二重の住人であるといえる。
しかるに、「全体世界」の概念は無視して「人間社会という特定の狭い世界のおける定義」のみをもって、「ここは私の土地である」というのは、これは、どういう意味なのだろうか。
本質的なところでいくと、土地というか、この地面について「だれかれのものである」というのは、ちゃんちゃらおかしいではないか。
地面は、地面である。
みんなのもの……でもないのであります。
人間のものでも、動物やムシのものでも、草木のものでもない。
だれのものでもない。
地面は、地面である。
むむっ。
あれだ、小学生の「こっかーら、こっこまーで、おーれーの領〜地〜!!」と、構造的にはまったく一緒ではないか。
たしかに、ぼくはローンを組んでこの土地を「買った」。
買ったけど、そもそもこの「買う」とは、どういうことなのだろうか。
お金は「人間社会という特定の狭い世界」でしか役にたたなくて、つまりは概念ということである。
「所有」ということもまた、概念である。
だからぼくは、概念で、概念を買ったのである。
むむっ。
何を、しているの?
何をしているのだろうか。
ぼくたちは。
いっしょうけんめい働いて、いっしょうけんめい所有権とか経済とか商法とかいうけれども、構造としては小学生と同じことをしているではなか。
そもそも、「国」というのも、そうなんだよなあ。
国家だって、極論すればだれかケンカの強いやつがいて、「こっかーら、こっこまーで、おーれーの領〜地〜!!」といって、特定の範囲の土地を「おれのものだ」と、言っただけにすぎない。
ちがうよ。
いくらケンカが強くても、それはおまえのものではない。
「おれたちのもの」でも「おまえたちのもの」でもない。
「地球のもの」でもない。
だれのものでも、ない。
土地は、土地である。
むむっ。
「所有」
なんじゃこりゃ!
所有って、なんなの?
いかんなあ。
いかんぞう!
これ系は、例の仏教の「中観」「唯識」のことを考えた時といっしょで、アタマがネコ的になってしまうアレだ。
あうあうあー。
あうー、あうーッス。
あうあうあー。
春なので、発情したネコみたいに、あうーあうーいってしまうあー。
この世のあらゆるモノはすべて、当たり前だけど「宇宙にある物質」で構成されていて、それは生き物も例外じゃない。
地球も、地球上にある物質も、いきものも、すべて「星の死骸」からできていて、恒星が赤色矮星になったり白色矮星になったりして、さいごに大爆発して死んだカスが、この世の物質。
物質が複雑に集まって、そこに「いのち」と「意識」が存在するようになって、その意識が「所有という概念」を生み出したからといって、ほんとうになにかを所有しているわけではない。
所有しているような気になっている、だけだ。
妄想だ。
どれも、だれのものでもない。
「みんなのもの」っていう考えも、完全にまちがえてるんですよね。
だれのものでもないから、みんなのものでもない。
共産主義が気持ち悪いのは、じつはここかもしれない。
「個人の所有」は許さない代わりに、すべてを「国家の所有」にしてしまったんだ。
いやいやいや……国家のものでも、ないんだよなあ。
ほんとうのところは。
だれのものでも、ないのだから、国のものでもないのです。
アレだな、結局この「所有」っていう妄想のおかげで、ややこしくなっているのかもしれないなあ。
政治とか経済とかそういうのって、その根本にあるのはぜんぶ、
「こっかーら、こっこまーで、おーれーの領〜地〜!!」
みたいな、「妄想」を起点にしているんだ。
ほんとうは、だれのものでもないのに。
ウソつくと、ウソをつき続けなくてはならなくなるのと同じで、妄想から始まった概念だから、妄想しつづけなくてはいけないのかもしれない。
そりゃあ、保たんわな。無理がある。
だって、根っこがウソなんだもの。
困ったなあ。
じゃあ、どうすればいいんだって思っても、どうしたらいいのか、全然わかんねえや。
あ。そうか。
考えてもわからないことは、考えなければいいんだよ。
そうすれば、困らなくていいじゃん。
……いや、そうじゃなくて、なんか、「出てきそう」なんだけどな。
なにかが。
それが、なにかは、全然わからないのだけれども。
おれはいったい、なにを言っているのだろうか。
春の陽気で、「なんか出てきた」だけかな。
あっ。
オナラ出た。