知らんかったなあ。
「埃」と「誇り」は、同じ語源だという説がある。
http://ppnetwork.seesaa.net/article/447072429.html
まあ同じ音だから、それはそうなのかもしれない。
「埃」はいわばゴミなので、あまり良いイメージはないです。
しかし「誇り」のほうには、わりと良いイメージがある。
これはどういうことなのかずっと謎だったんだけれども、なるほどな、と思った。
上記のサイトを読んでもこの謎が解けるわけではないが、なんか推測はついた。
おそらくは日本語特有の「省略」が関係しているのだと思う。
「ほこり」というのは、「火(ほ)+起こる=ホ・オコル=名詞化 -> ホオコリ=ホコリ」、ということらしい。
つまり火が立ち上がってくるように、「ゆらゆらと生起する」という意味があったのかもしれない。
ゴミのほうの「埃」は、塵(ちり)がふわふわ、ゆらゆらと浮き上がってくるさまの表現だったのではないか。
つまり「チリがホオコル」の「チリ」の部分を省略して「ホコリ」だけが残った。
こういうふうに「いちばん肝心の部分を省略してしまう」というのが日本語らしいです。
そうなってくると「誇り」のほうは、よくわからない。
なにが「ホオコッテ」くるのか。
目立ちたい、自慢したい気持ちが「ホオコッテ」くるのだろうか。
うん、なんか、ちがうような気がする。いくらなんでも、強引すぎる。
やっぱり「誇る」のほうの語源は「オゴル」なんじゃないかなあ。
あるいは「おおいに凝る=オホ・コル」ということなのかもしれない。
自慢したり目立ちたいというのは自己顕示欲の一種で執着ともいえるから、「こころの巨大な煮こごり」的なことであれば、なっとくはいく。
でもまあ、これもちょっと仏教寄りの考えだから、すなおに「オゴル」のほうだったんじゃないかな、と思いますね。
誇りというのは傲慢(奢り)と同じ位相にあるから。
ていうか、略すなっつうの!
肝心なところを。
今後ぼくは、埃のことはできるだけ「チリ」あるいは「舞うチリ」というようにしよう。
っていうのはウソ。
ホコリはまあ、ホコリでいいね。
それに「誇り」のほうも、よく考えたらゴミみたいなものだから、同じでいいんだと思う。
誇りなんぞ、きっぱり捨ててしまったほうがココロは清潔になります。
「○○の誇りである」とか言ってる内容は、だいたい的はずれなことも多い。
「我が社の誇りは優秀な人材である」とか言っちゃうってことは、てめえ結局ヒトをコキ使ってるだけじゃねえか馬鹿野郎、ていうかてめえのところの人材なんてそれほど優秀でもねえだろうが馬鹿野郎、そんなに優秀ならなんでもっと超デカい会社になってねんだ馬鹿野郎、と言いたくなる。
誇りってじつは、主観的に自己評価した「正の印象」に過ぎないんですよね。
ていうことは、それは、ゴミだ。