最近感じることがあるのです。
「家から邪気が消えた」
消えたというのは言いすぎで、もしかしたら正確には「減った」というべきなのかもしれませんが、とにかく邪気のようなものが格段に減少したような気がするのであります。
毎日掃除をするようになって、180日以上。
ここにきてやっとその効果を感じられるようになってきました。
・「焦り」が消えた
・倦怠感が消えた
・息苦しさが消えた
・全身が炎症している感じが消えた
・よけいな不安が消えた
・原因不明の怒りが消えて、怒りにくくなった
・目の奥の重さ・痛さが消えた
・背中の痛みが消えた
・パニック発作が出なくなった
・腰痛が消えた
・皮膚のかゆみが消えた
・暑さや直射日光に異様に強くなった
・のどがあまり乾かなくなった
・異様な食欲が消えた
・あまりタバコをほしいと思わなくなった
・活動的になった
・仕事が楽しくなってきた
・夜よく眠るようになった
・神棚の榊がまったく枯れなくなった
・部屋が明るく感じるようになった
・観葉植物が異様に大きくなってきた
・犬が元気になってきた
などなど。
非科学的だ、迷信だ気のせいだと言われそうだけれど、でもぼくは最近確実に感じています。
「邪気というものは、実在する」
ハウスダストや汚れ、抜け落ちた体毛、衣服の繊維、ニオイ、ペットの毛、各種害虫微生物およびその死骸や排泄物など「不要物のコングロマリット」として名称されるのが「邪気」なのかもしれません。
怪しげなスピリチュアルではお香や精油を炊けば邪気は消えるというけれど、あれはウソだと知った。
また空気清浄機をかければ空気が浄化されるというのも、ウソだと知った。
まったく効果がないわけではないが、「やるに値しない」ほどの効果しかない。
つまりそれらはほぼ、ウソであった。
そんな安易なことで、邪気は消えたりはしない。
やはり明示的に、徹底的に、汗水を垂らして、息を切らせて掃除をしなければならない。
そしてその掃除はある日思い立って1日や数日でやってしまうものではなく、100日、200日かけて継続的に行わなければならない。
するとある日の瞬間、空気が完全に変わる、驚くほど変わる。
「気のせい」などという曖昧な次元を明らかに超え、圧倒的な差異をもって家の空気が浄化されたことに気がつく瞬間がある。
そうなったとき、ふしぎなもので、以前は1週間と保たずに枯れていた榊が「一切枯れなくなる」。
もう3ヶ月以上、神棚の榊は枯れていない。
むろん100日を超えても、掃除は続けなければならない。
掃除とは行為ではなく、生き方であるということにも気がついた。
ぼくは「邪気」にあてられていた。
そうとしか考えられないような変化が最近続いている。
邪気が消るごとに、からだも、こころも調子がよく、強くなっているようである。
考え方や、哲学や、思想や、知識や、信仰や、心理や、血流や、呼吸や、骨格や、栄養なども大切な要素ではある。
しかしそれらの改善努力で明らかな変化がないばあいは「邪気」が原因なのかもしれない。
神経質すぎることが頭ではわかっているのに、それを抑えることができないのは、必ずしも神経や性格、考え方が問題ではないのかもしれない。
「邪気への防御反応」としてあらわれている、身体の機能的反射なのかもしれない。
そのばあいの解決策は、おそらく掃除をおいてほかにはないと思う。
掃除を100日、200日と続けていくと、なぜか神経質さが消える。
汚れを神経質に嫌うのは掃除が「生き方」にまで変化していないからかもしれない。
掃除が「生き方」になってくると、じぶんや家が汚れることにはあまり頓着しなくなる。
「どうせまた掃除をすればよい」と思うだけではなく、なぜかふしぎに、汚れへの恐怖や嫌悪感がなくなって、とくになんとも思わなくなる。
虫やクモなどへの恐怖感や嫌悪感も消えていって、ハチも怖くなくなってくる。かわいいとさえ思う。
逆説的ではあるが、潔癖症のように掃除を続けると、潔癖症が消えていく。
おそらく潔癖症も「邪気」の影響なのだと思う。
邪気が消えたら、潔癖症も消えていく。
きれい好きこそ、じつはこころが、穢れている。
こころに穢れがなければ、穢れをあまりいとわない。
そんなこともある。