ぼくはそのとき台湾のとある地方都市のホテルの客室にいて、窓から外の景色が見えるバスルームでシャワーを浴びていました。
数十分後にそのホテルのロビーで知人と会う約束があったのです。
シャワーを終えて頭をバスタオルで拭いているとき、スマホに連絡が入った。
約束の時間には少し早いが、知人がロビーに着いたとのことでした。
わかったすぐ行くよ。
急いで着替え、ぼくは客室を飛び出しました。
エレベーターでロビーへ降りると、フロントの近くにあるクラシカルなソファに彼女は姿勢正しく座っていました。
顔はこちらを向いていませんでしたが、そのゆるくウェーブのかかったロングヘアと、仕立ての良い紺色のスーツですぐにわかりました。
「待たせてごめん」
遅刻したわけではないのですがいちおう謝ると「いえ、早く着きすぎて、こちらこそごめんなさいね」と彼女は頭を下げました。
ロビーにあるカフェへ二人で向かいます。
彼女とは大学時代の友人でもあるのですが、台湾のIT系の企業の執行役員を務めています。
会うのはかれこれ10年ぶりですが、彼女はあまり若い頃と変わっておらず、むしろいまのほうが若々しくキレイに見えました。
今日は同窓会ではなく、商談でした。
コーヒーを飲みながら商談を進めていたとき、ぼくはふと気が付きました。
(あれ、おれはなぜコーヒーなんかを飲んでいるだろう)
ぼくはパニック障害をやっていらいカフェイン類全般がだめになってしまっていて、ノンカフェインのものしか注文しません。
しかしその日はなぜかコーヒーを注文していて、久々に会う女性の同窓生を前に緊張して、思わず常識的なものを注文してしまったのかもしれません。
しかしとくに身体に違和感はないので、それ以上気にかけることはありませんでした。
話は順調に進み、最初の10分ほどで商談は終わりました。
そのあと大学時代の思い出など雑談をしていましたが、ふと尿意をおぼえたのでぼくはトイレに立ちました。
そのホテルのトイレはかなり豪華で、大理石の床は眩しいぐらいに磨かれています。
しかし一部、おかしなところがあった。
5つ並んでいる男性用の小便器が、すべて冷蔵庫のような形をしているのです。
「はて、台湾のトイレというのは、こういう形だったろうか」
冷蔵庫の扉をあけると、中もまったく冷蔵庫で、空っぽでした。
(そうか、ニオイが外へもれないように、このようなつくりをしているのかもしれない)
そのように解釈し、ぼくは冷蔵庫のなかに放尿をしました。
そのとき、じんわりと下腹部あたりが暖かくなる感覚をおぼえた。
(おや。この感覚は、寝小便をしているときの夢の感覚に似ているぞ)
まずい、と思って小便を止め、じぶんの意識を確認しました。
冷蔵庫の質感や着ている服の生地の感覚などに意識を向け、呼吸にも注意してみる。
「うん、まちがいない、これは現実だ」
冷蔵庫の白いアルミボディーの冷たくなめらかな感覚、すこし突っ張るワイシャツの背中あたりの感覚、鼻孔を擦過する空気の感覚。すべて本物である。
血行循環的なことでたまたまそう感じただけだろう、もしかしたらすこし風邪気味なのかもしれないな。
そう考えて放尿を再開し、トイレを後にしました。
ロビーへ戻るとそこはいつのまにか巨大なシャワールームになっていて、広大なロビーの壁一面に数十のシャワーヘッドが設置してあり、それぞれの下で全裸の男女がからだを洗っていた。
しまった、戻る道を間違えたな。
引き返そうとしたとき、ぼくを呼び止める声があった。
振り返ると、そこにはさきほどまで商談をしていた女性が全裸でシャワーを浴びていた。
「あなたも身体を洗ったら?」
は?
なんじゃ、このシュールな展開は。
ここにきて、ぼくは確信した。
「これは、夢だ」
夢だった。
そりゃそうである。
どこの世界に、トイレの便器が冷蔵庫などということがあるだろうか。
時計を見ると、朝の5:46を示していた。
いつもは朝の5時には起きているので、けっこうな寝坊をしている。
しかしまあ、あの彼女の全裸はもうすこし拝んでいてもよかったかな、などと思ったりして、それになんだよ、トイレが冷蔵庫って。
あんなところに放尿して夢だと思わないだなんて、ほんとにもー、俺ったら・・・。
俺ったら・・・。
ああっ!
やっぱり!
おもらししてるじゃねーかーー!!!
ワーーー!
床を蹴って立ち上がり、2秒で全部の服を脱ぎ、4秒で敷布団のシーツを剥いだ。
幸い、掛け布団への被害はなかったようである。
5秒で階段を駆け下り、1秒ですべてを洗濯機に放り込み、スタートさせた。
疲れがたまっていたり風邪気味だと、たまにこういうことがあるんですよね。
ええ大人のくせして、寝小便をしてしまう。
疲れているので尿意があっても目が覚めないのでしょうか。
いやもう、そんな屁理屈いいから、目、覚めろや!
目覚めろ!
ていうかまあ、そんなことよりも、感慨深いのですよね。
あの夢の中で、ぼくは確かに、精密に確認をしたのです。
「これは、現実だ」
そう判断した。
あのときは、まちがいなく、どう考えても、現実だったのです。
主観のおそろしさ。
ぼくはこのことについて、深く思慮するのであります。
わたしが考えていることは、ただしい。
わたしは、いつも、そう思っている。
しかしそれは、そうではないのかもしれない。
本人の脳の機能によってその感覚と認知は主観として規定されるので、茫洋とした脳機能の状態にあって得た「あやまった認識」も、「事実」となってしまう。
現実でも、まるで同じなのであります。
カルト宗教などにハマってしまい、これは正しいと思いこんでいても、正しいと思うその主観は夢の中のそれとまったく同じ。
とにかく、もう、だめなのである。
そう「思って」しまったら、真実に気がつくことは、ひじょうに難しい。
酔っ払いが自分の酔っていることに気が付かないように、愚者が自身の愚鈍さに気が付かないように、これはもう、ほんとうに、どうしようもないのであります。
ドグラ・マグラの世界である。
そこでぼくは、強く強く、決心したのであります。
「寝る前には、必ずトイレにいこう」
ほとんど出なくてもいいいから、寝る前には、オシッコしようね。
ね。
わかった?
いい子ね。
どんまい ˘ ω ˘*
あ いま これ も 夢なのかな ほんとは ˘m˘*
ぐっすり 眠って 目覚めよう (o^-‘)