掃除を毎日するようになってとうとう200日を過ぎたわけですが、ここにきてほぼ確信をしていることがあります。
ぼくのパニック発作はハウスダストが原因のひとつであった、と。
ワタボコリなどどこにもない、ぴっかぴかの状態が続くに従って、あの「ワー」っとなる感じが激減していきました。
ストレスもとくにない、心配ごともとくにない、睡眠不足でもない、それほど真面目でも神経質でもない、なのにまったく予測不能でとつぜんに発作が出ていました。
ほんとは「予測不能」だなんてちゃんちゃらおかしくて、単純に家のホコリが舞っているときによく出ていたことが記録で見えてきました。
もともと軽いハウスダストアレルギーがあって、咳やくしゃみにまでは至らないが、軽度とはいえ粘膜の炎症が長時間続いたとき、神経が炎症反応を起こしていた。
その刺激がパニック発作に至る「あの感じ」だったのだと思います。
昔はよくお酒を飲んでいて、お酒は炎症を助長するから、余計にハウスダストによる炎症が出やすくなっていたのだと思います。
掃除を習慣化することでパニック発作はまったくといっていいほど出なくなりましたが、いまだに継続している違和感があります。
それは「気管支の炎症」。
きっぱりと掃除をしたときは調子がよく、雨が続いて掃除機をかけられなかったり、換気がおろそかになったとき、あるいは衣替えなどで大量のホコリが舞うとき、胸がすこし苦しくなる。
咳は殆ど出ませんが、タンがからむことが多く、呼吸するたびにヒーヒーいう。
鼻もすこし詰まったようになり、目も充血する。
いずれも症状はそれほどひどくはありませんが、けっこう不快ではある。
これも解決策はあって、とにかく掃除をして、床の雑巾がけをすると格段にマシになっていきます。
さて。
さてさて、もろもろの原因が、ある程度わかったところで、さて、どうなんだ。
ぼくはこのまま一生、神経質に掃除を続けるのか。
はい、掃除はいずれにせよ続けるつもりだから、かまわないのです。
掃除はアレルギー反応の軽減だけでなく、「精神の明瞭化」にも一役買ってくれます。
きれいな環境にいると、きたないことを考えなくなる。
これはテッパンで、うすぐらい、うすぎたない環境にいれば、うすぐらい、うすぎたないことを考えがちになる。
だからぼくは一生、掃除は習慣として基本毎日続けていくつもりです。
問題は「ホコリのない清潔な環境でなければ生きていけない」ような人間に成り下がっていくしかないのだろうか? ということです。
ぼくの各種不具合が、ハウスダストに起因することが多いということは、わかった。
わかったが、では「ハウスダストを拒絶する」だけがソリューションなのだろうか?
別の道はないか?
そう、それはたとえば、
「ハウスダストに負けない粘膜」
の獲得である。
じつはぼくは、幼少のころ喘息持ちでした。
当時のかかりつけのお医者さんが、
「冬の早朝に山登りをすれば改善します」
というアドバイスをくれたので、家族全員で早朝登山をしていた時期もあります。
しかし残念ながら、体力は向上したものの、喘息はあまり改善しませんでした。
ずっとノドに違和感があり、鼻もつまりぎみで、しょっちゅうヒーヒー言っていて、よく風邪を引く。
考えてみれば、これはここ最近のぼくの状態とほぼ同じです。
しかしそのような小児喘息も、あることがきっかけで、「完全に」治ってしまいました。
それは中学に入って柔道を始めたことです。
こう書くと、あたかも「筋力向上」や「心肺機能向上」のようなことが功を奏したように思えるかもしれません。
しかしぼくは、身を以て知っていることがあります。
それだけではない。
たしかに筋力や心肺機能の向上は各種アレルギーの改善にもよい影響はあると思う。
しかし肝心はそんなピタゴラスイッチのような間接的なことではなく、もっと物理的・直接的なことなのでありました。
皮膚が強くなった。
柔道着というのは、見た目は白くて柔らかそうに見えるけど、あれ、じつはガッチガチなのです。
新品のジーンズよりも硬い。
刺し子縫いといってタコ糸のようなものでギチギチに縫い固めた木綿の布だから、ザラザラもいいところなのであります。
そんなものを地肌に着て、タタミの上に100kgもある巨漢に押さえつけられ、ザリザリと全身をこすり回されるのであります。
ああぼくは、まるで大根おろしだ。そんな感覚をよく持ったものです。
だから柔道をしていたころは擦り傷のない日はない、というほどに、全身傷だらけになっていました。
じつは粘膜も「皮膚」なのでした。
皮膚を強化すると、粘膜も「つられて」強くなっていくのであります。
靴ずれのように一箇所だけをこすっているのなら、カラダはその部分「だけ」をうまいこと器用に強化してくれますが、全身となるともう「ぜんぶ」を強化しようとするのでありますね。
ザリザリの柔道着を着てザリザリのタタミにザリザリと全身を毎日こすりつけられていると、ああもう、めんどくせえなあ、いっそぜーんぶ強化しちゃえ! ってなるのだと思います。
「乾布摩擦」を続けていくと喘息が快癒するという話は有名です。
ぼくが柔道をはじめたことは、乾布摩擦を習慣化したことと、ほぼ同義だったのでありました。
ぼくは最近、幼少のころのように、ノドやハナに違和感をおぼえている。
この理由は明白であります。
トシだとか、運動不足とか、もちろんそういうのもある。
でももっと根本的で基本的な原因がある。
「皮膚や粘膜が強くなるようなことを、なにもしていない」
ビタミンCやコラーゲンをがぶ飲みしたって、まったく意味ないのであります。
皮膚じしんが「強くならねば」と思わなければ、いくら材料を放り込んだって、なんの意味もない。
強くなるためには「強くなる必要性」がなければ、その原理はまったく発動しないのであります。
皮膚が弱体化したことで、粘膜も弱体化した。
ぼくは最近、このことを実感しておる次第でございます。
そこで、復活させたのであります。
「タワシで全身を洗う」
忘れておりました。
これを続けると俄然、体調が良くなってくるのです。
からだを洗うタワシなどではなく、鍋釜を洗うあの「亀の子タワシ」で全身をガシガシやる。
痛いです。
とくに胸や腹、ノドをこすると、叫びそうなほど痛い。
案外、腕や顔は痛くないのですが。
「皮膚を広範囲で鍛える」
ぼくは、これが「粘膜強化」の最短距離であろうと考えます。
理屈ばっかり言っていても、しょうがない。
理屈をこねずひたすら掃除を続けてきたように、これからはタワシでカラダを洗うことを、また100日以上続けてみようと思います。
苦手なものを、拒絶ばかりして生きていくなど、まっぴらごめんであります。
ホコリから逃げ回るばかりでなく、ホコリに打ち勝つ、つよい鋼板のような皮膚と粘膜をぼくは手に入れるのである。
これに必要な基本原理はただひとつであります。
継続は、ちからなり。
ハウスダストなんかに負けるもんか。
ばかやろう。