掃除を続けるようになってから、パニック発作が全然出なくなってきました。
発作に至る「あの感じ」も、まったく出てきません。
よって併発していた外出恐怖もかなりマシになってきていて、寝不足の風邪気味という最悪のコンディションでもいちおう近所のスーパーに行くぐらいなことはできるようになってきました。
さて、そんなことだから、ぼくのパニック障害の原因のひとつはハウスダストだったのではないか、と推論するのでありました。
今でもそう考えていますが、最近ふと思うこともあります。
ハウスダストへのアレルギー反応による炎症が発作のトリガーではあったことは確かではあるが、ではそもそもなぜ、ハウスダストに過剰に反応するようになっていたのか?
掃除を毎日するようになって、明らかに変わったことがあります。
歯を丁寧に磨くようになった。
考えてみれば当然で、掃除というのは「汚れ探し大会」みたいなものです。
それを毎朝やり続けるのだから、当然汚れているところを見つける能力が身についてくる。
そして、それを取り除くための根気も醸成されていくのであります。
そのような「アビリティ」が身についてきたときに、忽然と気がつく。
「歯、きったね」
掃除の対象は原則「外」であります。
じぶんの外の環境を、清潔にしたり整頓したりという行動。
その行動を続けることで何かが改善した場合、原因は外にあったのだ、と考える。
しかし、それは早計なのかもしれない。
古来より、あらゆる原因は畢竟「内」にある、とも言われているのであります。
わが歯の状態に気がつき、そこでそれこそ神経質に丁寧に歯を磨くようになって、また変化が訪れた。
まず、歯があちこち痛むようになったのです。
知覚過敏である。
いままで歯垢などの汚れや歯肉炎による炎症で腫れ上がっていた歯肉に覆われていた歯の根っこがむき出しになり、ちょっとした刺激でも虫歯かと疑うような痛みを発生するようになったのだと思います。
またどういうわけか、歯茎のあちこちがかえって腫れるようにもなり出血も多くなった。
これはおそらく歯肉炎の「抵抗反応」ではないか、と思っています。
菌の特性として、排除されると一時的に強硬な抵抗と繁殖拡大を示すことがあるそうなのです。
「さいごのあがき」は、菌にも起こることなのかもしれません。
しかしこれにメゲずに除去を敢行していくと、かならず霧消する。
ぼくの歯についても、血が出ようが痛もうがムシしてていねいな歯磨きを継続することで、徐々に痛みも出血も消えていきました。
さて、この歯の不具合すなわち、歯肉の炎症が消えるとほぼ同時に、一昨年から続いていたムネの息苦しさも消えてきたのであります。
いままでは呼吸するとヒーヒーと喘息のように擦過音が出ることがあったのですが、歯磨きを丁寧に続けるうちに、大量に痰が出るようになり、そのうち喘鳴も減っていったのでした。
そしてこれにともなって、発作に至る「あの感じ」が極端に減っていったのでありました。
原因は、いつも「内」
掃除をすることで改善したので、ぼくの諸々の不具合の原因が「外」にあったと思いこんでいた。
もしかするとそうではなく、はやり実態は「内」にあったのではないか?
かつてぼくは大酒飲みで、お酒というのは一部の蒸留酒を除きその本質は「水と糖」です。
とくにぼくが好んでいたビールや日本酒というのは、糖分が非常に多い。
この糖分は、口内環境を極端に悪化させる最大の原因です。
酔っ払うとどうしても歯磨きがおろそかになるので、酒飲みには歯肉炎のひとがとても多いらしい。
甘党も酒飲みも、ともに口内環境は劣悪になっていく。
口内環境が劣悪になると、つながっている腸の環境も悪化していく。
ある説によると、糖尿病の原因は糖分というよりも、糖分の過剰摂取により口内で歯周病菌が増え、その毒素によって引き起こされるのではないかという。
糖尿病と歯肉炎には、強い相関関係が見られるのだそうです。
腸内環境が悪化すると、自律神経にも甚大な被害を引き起こすようになり、アレルギー反応も強化されていく。
また精神疾患の呼び水にもなるというのであります。
つまり腸内環境の悪化は、神経反応や脳髄の不具合を引き起こす可能性があるということである。
ということは、ヨーグルトだの乳酸菌だのということをぬかす前に、まずは口内を清潔にする必要性のほうが優先順位は高いということである。
ここもやはり、原因は「外」ではなく、おのが口内環境という「内」にあったのかもしれない。
潔癖症のひとの思想は、こうである。
「わたし以外、全員不潔」
もしかすると、潔癖症の原因もまた、口内環境にあるのかもしれない。
潔癖症のひとは口がクサイという話も、たまに聞きます。
わたし以外が不潔なのではなく、わたしの「内側」こそが不潔なのかもしれないのでありますね。
原因は、わたしの外にある。
そういうことばかり考える人間は、ある意味クソ野郎ともいえます。
何事につけ、ひとのせい、世の中のせい、環境のせい、社会のせい、会社のせい、国のせい。
「ひとのせい」をこじらせたひとは、最悪テロ行為や大量殺人を働く場合もある。
だいたいのことは、ふつう逆なのである。
だいたいのことは、じぶん自身の内側にこそ、その最大の原因がある。
世の中がわるいのではなく、てめえが悪いことのほうが、圧倒的に多いのでありますよね。
しかしこれに気がつくのは、なかなかむずかしい。
だから、掃除なのだと思うのであります。
ひたすらに掃除掃除、掃除掃除をつづけると、最初「外にある」と思い、感じていたことが、ほんとうは「内側にあった」ことに気がつく機会がふえる。
そもそもじぶんの家や部屋が汚れるのは、てめえのせいなのである。
なにもしなければ汚れない、てめえがなにかをしかたら汚れるのである。
そしてその汚れを放置しているのも、てめえである。
つまり、家の汚れもまた、原因はわたしの「内」にある。
掃除をしたら金運が上がるだの、彼氏彼女ができるだの、病気が治るだの、気分が良くなるだの、そんなチャラチャラしたことを考えているうちは「まったくなんにもできていない」のかもしれないですね。
掃除の道は最終的に「すべてはわが内にあり」という、一種の唯識の世界への参入を果たすことなのかもしれませんなあ。
なーんつって。