怠惰を恐れるべからず

コロナの影響で在宅ワークの人が増えていて、それだけ聞けば例の「働き方改革」が(意図せずにせよ)推し進められているような感があり、人々の心身の健康に良いのではと思うところもあります。

しかし皮肉なもので、実体としてはむしろ逆、過労が増えていっているという話もあるようです。

やはり日本人には根が真面目なところがあるのか、在宅ワークだとかえって仕事を詰め込んでしまって心身がギブ・アップしてしまう人も多いのかもしれない。

 

在宅ワークで過労。

ぼくも在宅ワーク歴は10年を超えていて、このことについては実感があります。

通勤がない=楽、という方程式はとてもやんちゃで幼稚な発想で、家で仕事をするというのは「会社の2〜3倍」の労働濃度がある。

だから9:00〜17:00などという長時間の勤務体系をそのまま在宅ワークに導入したら、いっぱつで心身がパンクする。

家の1時間は、会社の2時間。

ぐらいに思っておいたほうが安全で、だからもし仕事が9:00スタートだとしたら、午後1時には終わっておくぐらいのスケジューリングをしておいたほうがいい。

 

さて、以下の記事を読んでぼくはたいへん気が楽になったのであります。

在宅ワーク歴25年男のアドバイス「仕事とプライベートは分けるな」

https://wanibooks-newscrunch.com/articles/-/523

家で仕事をする場合、一般的によく言われる方針「通常勤務と同じ時刻に起床する」「スーツを着る」「テレビも音楽も禁止」「1時間おきに休憩、ストレッチ」「仕事とプライベートを区切る」……などについて、筆者は「コントかよ」と喝破しておられる。

そう、コントなんだよなあ。ほんとに。

じつはぼくも最初の頃やっていたんだけれども、気がついた。

そんなことをしていたら、いのちが減る。

 

とかく世間では「集中神話」に毒されているのでございます。

集中することはいいことだ……などという、まるで白痴のような前時代的で幼稚な思想に完全洗脳されておるのでございます。

うそつけ。

じつは「集中」こそがこの世の害悪なのであって、これほど心身と生活、生産性に悪影響を及ぼすものは他にないのであります。

むしろ「いかに集中すべきか」よりも「いかに気を散らすか」ということが、とくに在宅ワークにおいては重要な課題なのでありました。

 

ゴリゴリに集中しているときに、たとえば子どもが仕事部屋に入ってきたりすることがあります。

「ぱぱ〜、なにしてんの〜」

集中していればしているほど、「イラっ!」とくることがあるんですね。

むろん休みの日ならそんなことはなく、むしろ可愛いなあ、ウフフ、なんて思う。

しかしゴリゴリに集中していると、家族などに話しかけられるとなんだか邪魔をされたような気がして、イライラしてしまうのであります。

つまり、集中すると人間の器が小さくなってしまうのでありますね。

そしてこのイライラこそが、じつはこの世の大悪魔なのであります。

心を疲弊させ、からだを傷つけ、精神を壊し、継続性を貶め、生産性を低下させ、創造力を弱らせ、喜びを見失わせ、病を呼び込み、不和を引き寄せる。

いらん。いらんのであります。

 

集中するから、イライラするんですよね。

さきの記事の筆者さんも書かれておられましたが、

子供やペットが乱入してきたら、ひと休み。

 

家族からの「邪魔」は、邪魔ではなく、「休憩のサイン」なんですよね。

ここぞとばかり、もう休んでしまう。

そうすると当然、イライラしない。

そのそもの話として、この世に「大事な仕事」などありはしない。

地球防衛軍ではないんである。

それにそんなに賢くないおまえがいくら集中したって、できる仕事のクオリティはたがが知れている。

その鼻くそのような成果のために、その「いらつき」を使用することは、全体のバランスシート的にダイジョウブなのか。

まっ赤っ赤ではないのか。

心身や家族との和平を犠牲にしてまで得られた対価は、その鼻くそのようなおまえの仕事なのか。

なーにをやっとるんじゃ。

そういうPLを見極分けられないところが、まさに無能のアカシなのである。

 

すきな格好をして、すきな時間に、すきなように働け。

テレビ見ようが、ゲームしようが、音楽を聴こうが、いっこうにかまわん。

「ながら」けっこう。

邪魔が入ったときが、休み時間。

いろんなことに注意散漫せよ。

いやなら、逃げろ。

疲れたら、やめろ。

気分が乗らなければ、仕事はするな。

とにかく「イライラする」のだけは、ぜったいの、ぜったいに、回避すべきである。

納期が遅れるよりも、イライラしているほうが、仕事は圧倒的に減る。

ひとは、機嫌よく仕事をしてくれる人にお願いしたいと思うものである。

 

真面目というのは、ちっとも美徳ではなく、じつはただの「ビビリ」なんですよね。

「怠惰になっていく自分がコワイ」

「期限に間に合わないのがコワイ」

「収入が減るのがコワイ」

「信用を失うのがコワイ」

「不測の事態がコワイ」

「計画が乱れるのがコワイ」

「遅刻がコワイ」

「怒られるのがコワイ」

 

なんやねんお前

 

そういうのは生きているのではなく、怖がっているだけである。

仕事をしているのではなく、怖がっているだけである。

それは人生とは、いいがたい。

それは仕事とは、いいがたい。

ビビリだからこそ、できもしないような計画を立てて、それで満足しようとするんですよね。

そして計画どおりできなかったことで、こんどは勝手に落ち込んで行く。

つまりやっていることは「ビビリのアホ」。

 

ビビるのは、先のことばっかり考えてしまうからだったんですよね。

「いま」を見ずに、「あとのラク」を重視している。

だから無理をしたり、我慢したり、怒ったりする。

ビビリの、アホの、ケチである。

そこまでカロリーを使って成し遂げた仕事は、いかほどの価値があったか。

どうせ鼻くそみたいな仕事しかしてないんだなあ、そういうやつはなあ。

りっぱな仕事をするひとはみんな、我慢じゃなくて「喜び」のなかでやってる。

 

遊ぼう。

 

 

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