あー。
あー、そうかー。
なんかさあ、きゅうにひらめいたんだ。
「しっかりしないといけない」っていうきもちが、あたまを、おかしくするんだなあ。
よく考えたらさあ、なんでさあ、しっかりしないといけないの。
ていうか、しっかりするって、どういう状態なの。
しっかりしていると、どんなトクがあるの。
なんのやくに、たつの。
しっかりする、っていうのは、「まちがいをゆるさない」っていうことでもあるんだよなー。
「誘惑に負けない」っていうことでもあるし、
「よくかんがえる」っていうことでもある。
「予測する」っていうことでもあるなあ。
でもさあ、それってぜんぶ、いらねえじゃんねえ。
っていうか、そもそも「人間がやっても、ぜったいに完璧にはできない」ことばっかりじゃないの。
にんげんは、まちがういきものであーる。
誘惑に弱くて、あたまのわるいいきものであーる。
5分後の地震でさえ、まったくわからないいきものであーる。
はじめてこどもさんをうんだお母さんなんかが、よく狂い出すんですよね。
ノイローゼとかになる。
「わたしが、しっかりしないと!」
なんて思うから。
しっかりしたって、だめにきまってんじゃんねえ。
だっておまえのこどもなんだから、おまえみたいになるにきまってんじゃん。
あしたのこともわからないくせに、こどもの将来がわかるわけないじゃん。
じぶんのことさえコントロールできないのに、こどものことをコントロールできるわけがないじゃん。
なのに、
「あんたがしっかりしないと!」
だなんて、まわりからもいろいろいわれたりして、
「わたしがしっかりしないと!」
だなんて、まったく不完全ないきもののくせして、なまいきに思っちゃったりなんかして、そしてしまいにとうとう、くるいだす。
しかりしろ、しっかりしろといわれて、そだったこどもも、くるいだす。
こどもは、しっかりしていないから、こどもなのにね。
くるうのも、あたりまえだわな。
ひつじに、うまのしごとをあたえたら、いっぱつでこわれる。
そういえばぼくも、パニック障害になったのが36歳のときで、娘がうまれたときでした。
そのころ、ぼくはたしかに、おもってた。
「ぼくが、しっかりしないと!」
でもさあ、しっかりしようとおもって、しっかりできるのなら、まえからしっかりしてるんだよね。
しっかりしよう、って思ったってことは、それまではしっかりしていなかった、ってことなんだ。
おまえは、そういう人間なの。
ふつうの、ただの、おじさんなの。
しばいぬが、しっかりしたって、しばいぬなの。
しっかりしたって、たいしてかわらないの。
「しっかりする」の意味もよくわからないまま、しっかりしようとがんばって、とうとう、あたまが、くるいだす。
とうとう、こころが、あばれだす。
しっかりしなくても、いいのよ。
わらっていれば、それでいい。
わらってるのが、いちばん、いい。
なのにしっかりすることばっかりかんがえてたら、ある日、わらいかたをわすれていた。
いちばんだいじなことを、わすれてしまった。
あほちゃうん?