ふと思うところがあって、スマホの2台持ちをやめた。
いままでは「仕事用」「プライベート用」の2回線を契約していました。
理由は「仕事とプライベートを分ける」「けじめをつける」という目的があったからです。
しかし、よくよく考えてみれば、ぼくはいちおう経営者のハシクレであります。
「仕事とプライベートを分ける」というのは、なんか、違うのではないか?
いや……経営者だからっていうのではなく、勤め人であったとしても、そもそもの話として、仕事とプライベートなんか分けなくていいのではないか。
だって「仕事=人生」なんだもの。
1日に2時間しか働かないひともいるけど、みんなだいたい、1日の、週の、月の、年の大半を仕事に費やしている。
もしここに「分ける」などという概念を持ち出したら、圧倒的に「仕事」のほうが勝ってしまう。
後生大事にしているそのプライベートは、まるでハナクソのような存在感である。
「仕事」という悪魔に、人生の時間を、どんどん盗まれているのか。
んなわけあるか。
時間は、時間だ。
仕事もひっくるめて「ぜんぶプライベート」にしてしまえば、我が人生すなわちフルマンキンでプライベートなのである。
わたしから時間を奪う悪魔など、ほんとうはどこにも居なかったのである。
仕事とプライベートを、分けたい。
そう考えてしまうのは「仕事の奴隷」だからだった。
仕事=イヤなもの。
仕事=生きていくための「手段」に過ぎないもの。
じぶんには、「仕事」の時間と、「仕事以外の、ほんとうの時間」がある。
そう考え、そう思い、それでいちおう生きていけたのは、奴隷だったからなんだなあ。
仕事=人生。
仕事=人生の目的。
そう考えることができたなら、仕事とプライベートを分ける必要なんかない。
「仕事とプライベートを分けたい」っていうのは、言い訳なんですよね。
ほんとうは「仕事の電話がかかってくるのが、イヤ」なだけなんだ。
休みの日とかに仕事の電話が入ったら、イラっとしてしまう。
だから「そのへんキッチリ分けたいんだ」って思うんだな。
……っていうか、なんかいろいろ綺麗事をいってるけど、つまりはようするに「仕事の電話がかかってくるのがイヤ」なだけなんだよなあー。
そしてこの「イヤ」について「ではなぜ、わたしはイヤだと思うのか」ということを深く考えず、「イヤなものは、イヤなのっ」と、すっぽりアウフヘーベンしてしまう。
いやいや。
アウフヘーベンなんて、そんな格好のいいもんじゃねえや。
逃げてるだけ。
「電話は暴力的だ」
最近、そんな話をよく聞きます。
電話は相手の時間を強引に奪い取る凶器であり、一種のレイプである。
そのような非生産的なツールからは早々に卒業するのが、進化というものである。
「だらぼくは、一切電話に出ないようにしている」
「電話に出ないキャラを徹底している」
とか言うひともいる。
……なんだろう。
これまたじつは、よく考えたら、ヘンな感じなんだよなあ。
いいじゃん。
電話くらい、出れば。
なにをそんなに、キャンキャン吠えてんの?
まあ、それはちょっと前までのボクだったんだけど。
こういうふうに「相手の時間を奪う」みたいな考え方って、まあ確かにそうなんだけれども、ひじょうに簡潔にいえば「病的」なんだよなあ。
そんな大したもんじゃねえや。
ただの電話だっつうの。
忙しければ出なければいいだけだし、あとで折り返しするか、メールとかチャット送ればいいじゃん。
忙しくなければ、出たらいいじゃん。
たかが電話ごときについて「暴力である」とか「前時代的なツールである」とか、いちいちうるせえ。
ほんとうは、そういうことじゃなくて、
「電話がイヤ」
なだけだったりするんだよなあ。
で、なぜイヤかというと、ずーっと焦ってんの。
なんか、時間がどんどん減っていくよな気がして、じぶんの大事な時間が奪われているような気がして、怖くなって、それが怒りに変わってるだけ。
電話を神経質に排除し、すべてをチャットやメールやLINEで代替するというのも、それはそれで別に良いとは思う。確かに、短期的な生産性は上がるかもしれない。
でも、どうしてそういう行動を起こそうと思ったのかというところが、少し気になるところではある。
人間が小さいだけなんじゃないのか。
いいじゃん。減っても。
だれかと電話してるその時間も「わたしの人生の、うつくしいひとこま」で、いいじゃんねえ。
時間に「いい時間」も「むだな時間」もねえよ。
むだに思える時間も、じつはとっても大事な時間だったということはある。
じぶんで「決めた」ことだけが、
じぶんが「感じた」ことだけが、
じぶんが「思った」ことだけが、すべてではない。
一見まったく無駄で、非効率で、完全に不要だと思っていたことこそが、むしろ最も重要だったりする。
これを「人生塞翁が馬」ともいう。
ぼくは、いろいろ、かんがえる。
そして、いろいろ、否定する。
そして、しばしば、不機嫌になる。
「考えるから、不機嫌になった」
のでは、ないんですよね。
人間が、肝っ玉が、きんたまが、小さいだけなんだよなあ。
ココロぐらいは、巨根でいこう。
思わず二度見してしまうほどの、巨根でいこう。
「電話に時間を奪われた」なんていちいちキレてるようじゃあ、一生モテねえもんな。