学校のありかた

コロナのせいで、学校の授業もオンラインでやることが徐々に増えているらしい。

そこでふと思ったんだけれども、これを皮切りとして、ものすごく理想的な学校のありかたというのができるのではないか。

 

授業はもう、思い切ってぜんぶZoomなどのオンラインでやってしまうのであります。

で、学校には「体育」だけをしにいく。

体育の授業の回数も、ぐっと増やしてもいいかもしれない。

最近は買い物もオンライでできるようになってきているし、授業のオンライン化がすすむと、子供の運動不足がひじょうに大きな問題になっていくと思う。

だから「体育」ということを、もっと重視していく必要がある。

「学校には運動をしにいくところ」っていうふに、発想を変えてしまうと良いのではないか。

学校はもはや教育施設などではなく「スポーツ会館」みたいにしてしまうのだ。

あんなにたくさんある教室を、ほったらかしにしておいてはもったいないから、学生が使わない期間は近隣地域の住民も利用して良いことにする。

いわば、地域内フリースペースである。

 

授業をすべてオンラインでやってしまうと、子供の社会性やコミュニケーション力などの醸成に問題があるという話があるけれど、それは「体育」でやればいいのではないか。

ルールを守るとか、時間を守るとか、協力しあうとか、思いやりとか、空気を読むとか、流れを読むとか、そんなのはスポーツの中に全部ある。

むしろ数学だの国語だの英語だのという座学のほうこそスタンドアローン能力を求めらることのほうが多く、社会性をあまり必要としない。

机にしがみついてチョロチョロこざかしいことを聞いて、考えていたって、社会性はちっとも身につかないんだよなあ。

全員で汗水たらして体を使ったほうが、ぜったいに社会性は身につくと思うのです。

そうなると、この世の学生はみんな体育会になる。

 

体が弱ると、あたまは賢くなっても、こころは冷たく、固く、弱くなっていくんだよなあ。

というか、こころが弱いから小賢しいことばっかり考えて、自己中心的になって、思いやりも消えていくのだと思う。

学生総体育会。

いいなあ。

「学校=体育の場」になれば、くだらない、しょうもない、小賢しいことばかりゴチャゴチャぬかすようなのが減って、あかるい社会になるような気がする。

 

 

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