この本読んで、なんかガッカリしたのである。
ぼくはべつに国粋主義者とか右翼とかではないが、日本人はステキだと思っていた、あるいはそう思いたい気持ちを持っていた。
みんな真面目で勤勉でやさしいし、誠実で、マナーも良くて、道徳的。
もちろんそうではない人もいるが、あくまで少数派である。
日本製品は丈夫で精密ですばらしいものが多い。
だから日本人であることを、多少誇りに思っているところもあった。
きっとずっと昔から日本人にはなにか特別な特性があったのではないか、と夢想することもあった。
全然ちがうじゃねえか。
なんじゃこの国。
明治以降の日本は、もう「むちゃくちゃ」と言って良いかもしれない。
その頃の日本製品は「粗悪品」の代名詞だったらしい。
商売人や職人は平気でウソをついて消費者をだますし、著作権なんか完全無視でパクりまくるし、詐欺まがいの行為も横行していたらしい。
鉄道などの公共の場では迷惑行為を多くの人が働いていて、タンやツバをそのへんに吐きちらかし、行列なんか絶対に並ばずに、われよしで人をおしのけ、服を裂き、怪我をさせる。
銭湯では風呂桶のなかで小便はするわ、公園だろうが道端だろうがゴミをポイポイそのへんに捨てまくるし、河川にもゴミを捨てまくる。
収賄が横行していて、鉄道会社は輸送品を勝手にちょろまかす。
子どもを虐待し、女性蔑視で、高齢者を虐待するかと思えば、我が子は甘やかす。
子どもはシャレにならないようないたずらばかりするようになり、法改正せざるを得なくなった。
外国人は、ホテルに泊まって隣が日本人だと落胆していたらしい。
うるさいし、汚いし、自己中心的でマナーもなっていないので、大迷惑だったそうだ。
とにかく、戦前の日本は、ひとことでいえば「道徳心のかけらもなかった」のだそうである。
なんやねん、これ。
クズやないか!
上記の内容は、べつに著者の妄想でもなければ、偏った情報収集によるものではないようである。
社会問題化して当時の新聞にも取り上げられていた上に、道徳向上のために法改正もされているからである。
よく言われることで「最近の日本人は質が落ちた」みたいなのがあるけど、とんでもなかったんだ。
最近の日本人こそ、マシなんである。
「昔はよかった」とか、ほんとうに妄想だったのだなあ。
ぼくも、心当たりがある。
小学生のころから大学に入るまで、すなわち1970年~1990年ごろの日本でさえ、ほんとうにメチャクチャだったと思う。
小学校の校庭には巨大な円形の看板があって、表は青で、裏は赤だった。
その看板が「赤」のときは、登校禁止だった。
理由は、光化学スモッグである。
工場が環境になーんにも配慮せずに、ばかすか排気ガスを撒き散らしていたからだ。
「赤の日」はたびたびあって、じつは子どもは学校が休みでこっそり喜んでいたりした。
いっぽう、まちなかでは不良の中高生が校舎の窓を壊しまくり、車やバイクを盗みまくり、路上で殺人未遂級の大喧嘩を繰り返していた。
修学旅行に行った学生が世界遺産に落書きをして国際問題が起こったり、韓国や中国などへ旅行して札束で人の顔をシバくようなことをして、女を買い漁り、免税店ではブランド品を買い漁ったりしていた。
百貨店ではセールがあると人々が乱闘を繰り広げたりしていた。
会社内での収賄も多かったし、警察さえも買収で人を釈放したりしていた。警察官は昼間から酒を飲んでいたりしたし、一般人の飲酒運転も取締がなかった。
もう、めちゃくちゃである。
明治大正ではない。ほんの3~40年前まで、こんな調子だったのである。
なーにが「美しい日本を取りもどす」じゃあ。
ふざけんな。
ぜんぜん美しくない! きたないよ!
それも、100年前から、ずーっとだ。
で、いまの日本人は中国や韓国を「パクりの国だ」とかいって蔑んだりしているんだな。
バカか!
おのれの国も、ほんの数十年前まで、それをマンキンでやっとったんじゃ!
ぼくたち日本人は自分たちのことを「高等である」だなんて、絶対に思ってはいけないと思う。
なぜならば「恥ずかしい」からだ。
ほんの、ついこないだまで、むしろ野蛮で下等だったのである。
なにが醜いかといって、過去の実態を見ないでじぶん自身を美化することだ。
それは宇宙一、恥ずかしいことだと思う。
あらためて、ちゃんとしよう、と思った。
諸外国に比べて日本人がすぐれているだとかそんな「相対的」なこと(それじたいがウソだったが)で自信を持とうとするのではなく「絶対的な」自信をつける必要がある。
他国を差別することで自身の優位性を確保する者は、こころの貧しい者である。
どうにかして「じぶんより劣ったもの」を設定しなければアイデンティティーが保てないから、近隣諸国を下等扱いするのである。
それはまったく、下等な人間がすることである。
日本はまだまだ、成長期。