ほんとにもうー、おれは断固として、生き方を変えるのである。
これではダメだっ!
ほんとにもうーっ!
10年以上Weデザイナーという仕事をしてきたから、体力が落ちてくるのは多少致し方がないところがあるとは思う。
しかし、それにしても、である。
なんじゃこりゃ!
ここ1年以上は最低でも毎日5000歩は歩くようにしている。
だから「足腰は」多少強くなってきたように思う。
おれが住んでいる神戸は「坂のまち」で平地が少ない土地だから、足腰を鍛えるなんてカンタンである。
ただ歩くだけでもそこそこ足腰は強くなる。
でもなあ。
かつてはパニック障害から外出恐怖症になってほとんど外出ができなくなった時期があったけど、最近は毎日歩くようになったおかげなのか、外出はそれほど怖くなくなってきた。
そこで昔の趣味でもあった山歩きを再開したわけなんだけど、むっちゃくちゃシンドイんだなあこれが。
足腰はべつに大丈夫なんだ。ほとんど筋肉痛にはならない。
しかし、息が苦しい。
ちょっと長い階段を登っただけでハアハアハアハア、ううー、グルジー。
なんかアタマもクラックラしてきて、イカン、倒れるんじゃないかと思う。
まあ、実際に倒れるほどではないんだけれども、尋常ならざる疲労感を感じる。
外出恐怖でほとんど歩いてない日が続いていたから……とか、デスクワークだから……とか、じゃかましいわ!
そういうのを「言い訳」っていうんだよなあ。
過去のことや置かれている環境を理由にするのは、大人がいちばんやってはいけないことである。
いちばんの原因は「優先順位をまちがえていた」ってことなんだろうと思うのだ。
おれはここ10年以上……いや。
社会人になってからずっと、と言っても良いかもしれない。
「仕事」を第一優先に生きてきた。
おれは突如、頓悟したのであーる!
「仕事よりも運動のほうがだいじ」
ということに!!!
仕事ならば、あらゆる些事を横に置いてでも実行するひとは多い。
シンドイとかメンドクサイとかイヤダとかツライということをいったん横に置いといて、とにかく仕事を終らせることに集中することはできるのである。
なのに「運動」については、そこまでの覚悟と勇気をもって実行しようとはしない。
おれもそのような人間である。
この指向性は、アルゴリズムがクソだ。
なぜならば「仕事は体力」なんだもの。
マーケティングとか、生産性とか、ウォンツとニーズとか、業界動向とか、能力とか、モチベーションとか、アンガーマネジメントとか、いやまあ、そりゃあそういうのも当然大事だろうけれども、「いちばん」じゃあないんだよなあ。
そーゆーふーなことを「あたまで」考えて、本読んだりネットを探したり研修に行ったりして「あたまで」なんとかしようとするのって、完全にまちがえてる。
んなうまいこと行くか!
中二病かっつうの。
だれがなんといおうと、仕事は体力である。
もっといえば、知性も感性も体力である。
基本的な体力が低下すれば、知性も感性も確実に低下する。
考えるのって、感じるのって、ひらめくのって、体力がいるんだよなあ。ほんとうは。
体力が足りないと根気がなくなって、鈍くなって、ひとりよがりの自己世界に陶酔して、とうとう世の中が間違ってる、狂ってるとか思い出す。
アホか!
それこそが「体力低下のサイン」であった。
世の中を間違っていると思う人は、だいたいじぶんが間違っているし、世の中を狂っていると思う人は、だいたいじぶんが狂っている。
世の中が間違っておろうが、狂っておろうが、んなもん関係あるか!
おのれがビシっとしておれば、そんなことはただの些事やろうが。
ちからづいよい肉体を持っておればこそ、ちからづよい心になれる。
からだイコールこころなので、これは理の当然である。
よわいからだは、つよいこころを、持て余す。
この世はすでに天国であり、出会う人はみな天使様、菩薩様である。
そんな心境は、じつは思考トレーニングによってではなく、肉体練磨によってこそ実現される。
からだを鍛えられないようなものは、こころも鍛えられない。
ほんとにもう、おれは、いい加減にしろ!
ぐずぐずいわんと、からだを動かせ!
仕事なんか、てきとうにやっとったらええんじゃ。
そんなしょうもないことよりも、あるこう、走ろう、山にのぼろう、海や川で泳ごう。
動かぬ水が腐るように、からだを動かさねばこころが腐る。
これはこの世の真理である。