コーフンの必要

ぼくは長い間勘違いをしていて「交感神経はワルモノだ」みたいな感覚がありました。

というのも世間ではリラックス教とでもいうべきイデオロギーがはびこっていて、リラックスこそ善、リラックスこそ正義、リラックスこそ健康の源泉というような教義によく触れていたから。

じつは市井のヨガなんかも、そのようなドグマに支配されております。

副交感神経が優位だと病気しなくて長生きする、みたいな都市伝説も有名です。

 

ウソつけ!

ほんとにもう。

リラックス=副交感神経=「ヤバい」ということにも、多少は気がついておかなければならないんだよなあ。

まあようするに「バランスが大事」ということなんだけども、そこでアウフヘーベンしてしまってはいけないのである。

バランスという言葉には魔力があって、「要はバランスだよね」みたいなことを言ったり思ったりしたが最後、しっかり理解できたような気がしてしまう。

あほか。ぜんぜん、理解してない。

というのも、バランスをとることはおそらくこの世で最も難しいことのひとつだから。

だというのに「バランスが大事」っていう言葉に騙されると、なんだ、そんなことか、カンタンじゃん、みたいに思ってしまう。

こわいなあ。

 

リラックスしすぎ = 副交感神経が優位になりすぎると、わりと怖いことが起こる。

 

・アレルギーがひどくなる。

・パニック障害の原因になる。

・ウツ病の原因になる。

・体力が低下する。

・筋力が低下する。

・代謝が低下し、血流がわるくなる。

・免疫力が低下し、細菌やウィルスに感染しやすくなる。

・厭世的になり、現世を悪いものと感じるようになる。

・幸福感が低減する。

・文句や愚痴が多くなる。

・自己中心的になる。

・コミュニケーション能力が低下する。

・脳機能が低下して、認知症の原因になる。

 

コワー!

リラックス、コワーーー!

 

……っていういぐらい、思ってていいと思うんだ。

というのも、昨今はとにかくリラックスリラックス、脱力脱力うるせえから、ぼうっとしていると洗脳されてしまう。

「ゆるい」ことを、まるで良いことかのように言う風潮もあって、ズボラでだらしないことも個性のひとつみたいに思ってしまうこともある。

そしてしまいには、リラックスできない自分を責めたりする人も出てくる。

「ああ、わたしは脱力もリラックスも苦手な、だめな人間だ」

だめな人間のマネをしようとして、それができないと、じぶんをまるでダメ人間だと思うようになる。

ばかじゃねえ。

なにやってんだ。

 

いやそうじゃなくて、「リラックスできない」っていうので、けっこう正しいんんですよね。

リラックス状態=副交感神経主導状態 が長くつづくと、自動的に交感神経モードに移行しようとする。

そうしないと、死んでしまうから。病気になるから。

あぶないから、グワーーっと無条件に興奮したりするんですね。

で、それをして、

「うわわわわ、なんにもキッカケがないのに興奮するとか、おれ、おれ、病気じゃないのか」

とか、言い出すんだよなあ。

まあ、ぼくのことですけども。

 

そうなったときは「興奮が足りないよ」「わくわくが足りないよ」って、カラダさんが言ってくれている場合があるんですよね。

いわゆるひとつの、エキサイティング。

わくわく感、ともいえる。

 

日本には古来より「ケ=日常」と「ハレ=非日常」という概念があった。

「ケ」は副交感神経側、「ハレ」は交感神経側の事象や作用を指すようです。

「ハレ」ばかりではいけないが、「ケ」ばかりでもいけない。

たまには「ハレの日」がないと、人間はうまく機能しなくなっていくんですね。

壊れていく。

「毎日に刺激がない」

そんな感覚がうまれたら、まあまあ危ないサインなんでしょうね。

 

刺激のない毎日に慣れていくと、べつに「ハレ」がなくても、あまり気にならなくなる。

しかしこれは達観したのでもないし、悟ったのでもないです。

麻痺しただけ。

客観的に自分を見れば、上記の副交換神経に傾きすぎたときの症状が出ていることが多い。

そういうときはコーフンすることを探す必要がある。

わくわくすること、どきどきすること。

たまには、コーフンが必要ですね。

 

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