土と人

ここ1年半ほどは、家の中の掃除をほぼ毎日してきました。

最近は意識が「外」へ向かい始めたのか、庭の掃除をよくしています。

ただうちの庭には一応芝生が生えていて、どうやって掃除をしたらいいのか、わからない。

ホウキで掃いても意味ないし、竹製の熊手を使っても、いまいち掃除をしている感じがしない。

ただ芝生の上をザー、ザーと「掃くフリ」をしているだけみたいになって、ゴミも落ち葉も集まらない。

まさか掃除機をかけるわけにもいかないし、どうしたものか。

 

いろいろ調べてみて、わかった。

50年生きてきて、ぼくははじめて「レーキ」という道具の存在を知ったのでした。

レーキとはあの怪しげな手かざし療法のことではなく、針金でできた熊手のことです。

芝生の庭は日本古来の熊手ではなく、金属文明による針金製の熊手を使うべし、ということなのでした。

これで芝生を掻いてみると、それはもう、驚愕の量のゴミが出てくるのでした。

芝生の葉が枯れたものを「サッチ」というらしく、このサッチがたまりすぎると芝生が病気になって死んでしまうこともあるそうです。

このサッチが、「うそつけ!」というぐらい出てくる。

 

ここでもぼくは完全な勘違いをしていた。

芝生というのは、種類は違えどいわば雑草と同じようなものじゃないか。

雑草はあのように、誰も何もしていないところでも、わんさか生えてくる。

そして枯れたらそれは自然に肥料となり、次の世代の草の栄養となるわけで、これは生命の循環である。

よって特になにも手入れをする必要はないはずである。

……というような勘違いを。

 

ちがうんである。

論理的には一瞬正しいような気がするけれど、それはあくまで妄想レベルの屁理屈の次元において、であった。つまり机上の空論である。

現実としては、芝生の枯れ葉「サッチ」が蓄積すると、それらが腐る前に地面を覆い尽くしてしまい、通気性が悪化し、土への酸素の供給が絶たれる。

そうすると酸欠になって芝生もろとも草木は枯れてしまうし、そうならなかったとしても、雨水を含んだサッチは腐敗して悪玉菌や害虫の巣となり、さまざまな植物に壊滅的なダメージを与える場合がある。

「自然に任せる」というのは、必ずしも「なにもしない」ということではないのですね。

庭という「人工的な空間」において、自然と同様の環境を目指すのであれば、そこにはひと手間、ふた手間が必要なのでした。

「放っておけば良いんだ」「枯れ葉も腐って肥料になるさ」

そんなことを言ってもよいのは、農地でもないのに何百ヘクタールもの広大なフリーな土地を持っているお大尽様だけなのでありました。

 

また、芝生は定期的に「散髪」をしないといけないのだそうです。

そうしないと、サッチが増えるというのもあるし、伸びすぎた葉のせいで新芽が影になり生育が悪くなって、最悪は枯れてしまう。

夏場は1ヶ月に1回、それ以外でも2〜3ヶ月に1回は「芝刈り」をしないといけないのでした。

そして、芝生の上をスニーカーだけで歩くのもよくないらしい。

芝生というのはただ優しくすれば良いものではなく、根っこを傷つけることによって生命力が活性化されるのだそうです。

(このあたりは、人間とよく似ている。人間も優しく可愛がるばかりでは弱体化するし、ときに傷つくようなことがあってこそ、人は生命が輝きはじめる)

そのために、足裏がクギだらけの「ガーデニングスパイク」というのもあり、これで定期的に芝生の上を歩く必要があるのだそうです。

そんなわけで、最近はしょっちゅう庭に出て芝生の手入れをしています。

芝刈りをしてみると案の定影になっていた部分が大幅に剥げてしまっていたりして、元気の良い場所の芝生をひっぺがしてそこに移植することもしました。

 

最近はすでに暑く、炎天下で汗まみれ・どろまみれになって数時間作業をすると、比喩ではなくほんとうに「クラッ」ときて倒れそうになることもあります。

しかし不思議なもので、それほどのめまいを感じるというのに、もうパニック発作は出ない。

たいへん不愉快ではあるが、強烈な不安を感じるということはないのでした。

 

それだけではなく、庭いじりをするようになってから手の指や足の甲にあった原因不明のカサブタが自然に剥がれ落ちたり、喘息のような症状がなくなってきたりもしました。

時折感じていた、とつぜん頭がカーっとなる感覚や、上半身が炎症する感じもなくなってきています。

結果、宿痾であったいわゆる自律神経失調症が、かなり緩和されてきたのでした。

 

よく「庭いじりは神経に良い」ということは聞きます。

その理由は概ね、精神論のことが多い。

いわく、自然に接することでストレスの緩和になる、というアレです。

でもぼくは、そういった「気持ちの問題」のような、そんな曖昧なものではないように感じる。

もっと物理的にというか、生理学的にというか、心理とはまったく別の次元で先に変化が起きていると、明確に感じるのです。

そこで調べてみたところ、案の定、精神論とは別の説もありました。

 

https://wired.jp/2019/06/10/healthy-stress-busting-fat-found-hidden-dirt/

 


土壌に生息する腐生性細菌マイコバクテリウム・ヴァッカエ(Mycobacterium vaccae)には、抗炎症、免疫調節、およびストレス耐性の性質があることがわかった。そしてこれらの保護効果は、この細菌が持つ特殊な「脂質」が要因のひとつであることが今回の研究で明らかになった


 

つまり「気持ちの問題」だけでなく、土に含まれる細菌が人体に影響しているのではないか、という説です。

ぼくは個人的に、これには賛成です。

それほどに、明らかでダイレクトな効果を感じるのです。

 

自律神経失調症やパニック障害、ウツなどというのは都会の病という側面もあります。

もしかするとストレスという心理的な問題だけではなく、「土から離れてしまった」がゆえに心身のバランスを失ってしまうのかもしれない、とも思いましたね。

自律神経失調症も、パニック障害も、ウツも、いずれも症状の根本原因は「炎症」であるという説が最近優勢になってきています。

炎症すなわち「火」と、「土」は、陰陽五行説では「相生」の関係にありすなわち双方に良い影響を及ぼすと言われています。

いっぽう「火」と「水」は相克の関係にあり、お互いに殺し合うので、炎症を抑えようとして水を大量に摂取すると精神を病むという話も聞いたことがあります。

水の大量摂取や、水の循環の不具合によっても精神は病んでいくのだそうです。

「火」を自然に「おさめる」ためには、じつは水ではなく、土のほうがより効果的なのかもしれませんね。

また、「水」と「土」もまた相生の関係にあるので、水による不具合もまた、土によって緩和される可能性があるのかもしれません。

 

 

人間は、土から離れてはまともには生きていけない。

 

 

そんなことを、ふと思う今日このごろでした。

 

 

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