さいきんは、低血圧のひとの気持ちが少しだけわかるのです。
もともとはかなりの高血圧だったのに、先月あたりからきゅうに普通の血圧になったから。
ウエが132、シタが82 というのがここ最近の平均なので、まったくもって普通、なんなら少し低いぐらいの血圧になりました。
いわゆる高血圧の状態が30年近く続いていたので忘れてしまっていたのですが、血圧が下がると朝起きるのが億劫になるのですねえ。
高血圧のころは、朝からハイテンションでした。
目が覚めたとたん、マイケル・ジャクソンのように「フォーーーー!!」と叫びながら飛び上がり、マイケル・ジャクソンのようにムーンウォークをしながら居間に移動し、マイケル・ジャクソンのように高速回転しながら新聞を取りに行くという全面的にマイケルな朝を、もちろん送るわけがないですが、そこまでではなくともけっこう活発でした。
すくなくとも、朝起きて即座にパソコンでまあまあややこしいプログラムを書けるぐらいのテンションはありました。
しかし最近は、いかんなあ。
朝目が覚めても、ボーーーーとしてる。
ヨッコラショ、と起き上がろうとはしたものの、なぜそう思ったのか全くわからないのだけれども「ま、いいか」なんて思い、起き上がるのをやめてしまう。
気がつくと二度寝をしていることもある。
とにかく全身が重く、やっとのことで起き上がってベッドに腰掛けた状態になると、そこで数分間フリーズしてしまう。
その数分間、いったい何を考えていたのか、いつも正確に思い出せない。
正面の壁を見ているようで、しかしべつに何も見ていなくて、眠っているわけでもなく、なにか考えているわけでもない。
いったい何をどのようにしたのか思い出せないけど、まるで魔法のように靴下を手にしていることもある。
そこで左足の靴下を履こうとして、でも途中でその行為に飽きてしまい、装着に失敗したコンドームのように靴下の先っぽがビロビロの状態のまま立ち上がってしまう。
でも何をしたらいいのかわからないから(わからないわけはないのだが)、直立したまま、また数十秒フリーズする。
靴下を片方、それも装着失敗のままトイレに行こうと立ち上がってドアのほうに向かうが、今度はどうにもうまくドアが開けられなくて、引かないといけないのに押してみたりして、2回ほど開放に失敗したら、そのままドアの前で十数秒ほどフリーズしてしまう。
自動ドアではないのだから、ドア前でポツネンと立ちつくしていてもまったくどうしようもないのだが、それでもどうしても立ちつくしてしまう。
やることなすことすべてが中途半端で、先の見通しもなく反射に任せて行動し、その行動が何らかの理由で阻害されると、抵抗することも工夫することもなく、しばらく活動を停止すしてしまう。
なんというか、朝起きた瞬間というのは、まるでハシビロコウのような「不動系生物」と化してしまうのでした。
一種の廃人ともいえるのかもしれない。
廃人から脱却し半人間に戻るのに十分ほどかかり、真人間になるのには三十分ほどかかる。
低血圧のひとは、朝に弱い。
ぼくは正直これは「いいわけ」だと思っていました。
なんたるだらしなさ、なんたる怠惰であるか。
朝ひとたび目が覚めたのなら、いくら眠かろうが辛かろうが、キビキビと切るような動きで起床せよ。
起きられないのは気がたるんでおるのである、根性が足らんのである、緊張感が足らんのである、危機感が足らんのである、精神が弱いのである。
みたいなことを考えていた昔のぼくに、一発ビンタでも食らわしてやりたいです。
朝に強いのは、気合が入っているとかじゃなくて、ぼくの場合は高血圧だっただけなんですね。
よく酒を飲み、脂っこいものをよく食べて、美食家で、太り気味で、運動もあまりしていなかった。
そんな状態だからコレステロール値が高く、血が汚れて、高血圧だったのでした。
お酒をやめ、標準体重に戻り、食生活も粗食で菜食中心にして、塩分を控え、よく歩き、よく掃除をして、毎晩柔軟体操をするようになったら、血圧がビシャーと下がった。
そうしたら、全身が鉛のように重くなって、朝の活動性は低下した。
ぼくの場合は、もともとかなりの高血圧だったので(ウエが200を超えることもよくありました)、標準血圧になったら相対的にかなり低血圧化したことになって、一時的にこんなふうになったのだと思います。
最近は徐々に慣れてきて、真人間化までの時間が短縮しつつあるものの、思うところもあります。
血圧が下がったのは良いとして、しかし、これでは活動性が極端に下がってしまう。
健康には良いのかもしれないし、アタマに血が上がらないのでイライラもせず、精神的にも落ち着いているとはいえます。
しかしアタマに血がいかないぶん、「やる気」も減っていっています。
アタマの回転もかなり弱くなっていますし、難しいことを考えることが下手くそになってきました。
まあ、それはそれで良いのかもしれませんが、どうだかなあ。
最近思うのは、なんでも「すこし高め」がいいんじゃないか。
「ものすごく高い」のは良くないけど、「低い」「低すぎる」も、良くないような気がする。
バランスとか、真ん中とか、よく言うけど、ほんとうの真ん中は平均値じゃなくて、「すこしウエ」なんじゃないか。
血圧も、もちろん高血圧はよくないけど、低血圧だと動けなくなる。
「すこしだけ、高血圧」っていうのが、いろんな意味で良いんじゃないかなあと思ったりします。
たとえば立つにしても、重心はど真ん中ではなくて、「すこし前」のほうがいい。
そして重心も、「すこし上」のほうが、いろんな意味で動きやすいです。
モノを買うにしても、超高価なものでもなく、安物でもなく、「すこし高め」のもののほうが、良い品が多いです。
Tシャツでも、1000円とか2000円とかではなく、5000円~7000円ぐらいのものに、コスパが良いものが多いです。
しかしTシャツで1万円を超えてくると、実質的な価値よりも付加価値の比率が高くなって、あまり良くない。
目標も、あまり低いと人間がどんどんクソになっていくけど、高すぎると病気になります。
目標は「すこし高め」であることが、いちばんパフォーマンスが上がる。
人間性もあまり高すぎると「孤高の人」みたいになって、本人は良いかもしれないが周囲との和合ができず争いの元になることがある。
これもまた「すこし高め」のほうが、いろんな意味で良いような気がします。
プライドも、高すぎると喧嘩のもとで、低すぎると腹黒くなる。
これもまた「すこしだけ高い」ぐらいが、じつはいちばん良いのかもしれません。
平均とか、普通とか、そういう客観的かつ安全なイメージがある位相って、じつは幻想なんですよね。
それに「平均をめざす」「普通をめざす」という目標を持ってしまった時点で、その人の現在の位相は「平均以下」「普通以下」になってしまう。
だから目指すとすれば、「すこしウエ」なんだろうなと思います。
すこしウエを目指すということは、その人の位相は、平均や普通に、とても近くなるからです。
「目標は高ければ高いほどよい」というのはウソで、そんなことをするから、生態系やヒトの精神が破壊されたりもする。
仏教かぶれしたミニマリストがよく言いそうな「すこし下を目指す」というのも、注意したほうがいいと思う。
こういうヒトはたぶん「下りの怖さを知らない」のだと思う。
山登りでも、じつは上りより下りのほうがしんどいです。
下りが得意なひとは、じつは誰よりも登るちからが強いひとで、そうでなければ、下り坂でどうとう耐えられなくなって走り出してしまう。
筋力が弱いと、下りはじめたらもう止まらなくなるのです。
「下がる」ことを目標にして良いひとは、秀逸なブレーキか、強烈な「上昇力」を備えているひとだけだと思います。
上に登れないひとが「すこし下」を目指してしまうと、あっという間に谷間まで走り抜いて転び、怪我をして、地べたに張り付き、二度と上がってこられなくなる。
これは社会生活でもよく見かける光景でもあります。
一生、すこしだけ、ウエをめざそう。