ぼくは政治のことはあまりよくわかっていないけど、菅さんは「直感的」に好きでした。
まずはその喋り方で、よけいなことをベラベラベラベラ早口でまくしたてる政治家が多い中、菅さんは朴訥でどっしりとした話しぶりでした。
商売の世界でも饒舌なやつにはロクなのがいなくて、あまり信用できない人も多い。
あとお酒を飲まないというのも好感が持てたし、いわゆる政治家二世ではなく自力でここまで上り詰めてきたというのにも、高い能力を感じます。
それに「実績」もちゃんと残しているようにも思うのです。
デジタル庁の開設や携帯料金の値下げ、御用学者のぶった切り、ワクチン接種体制の基礎構築、東京オリンピックの開催など。
ひとことでいえば「前例のないことを行った」といえると思う。
今までやってきたことを改良しただけで実績を上げることよりも、これはよほど難易度が高いと思います。
菅さんは一種の「イノベーター」だったと言っても良いような気もします。
そして全体として「大人物」の印象があります。
菅さんの前の総理大臣、安倍さんは確かに長い間総理をしていたけれど、結局何をしたのかあまりよくわからないのです。
モリカケ問題など「悪いことだけして逃げた」印象さえあります。
アベノミクスと称して消費税をずいぶん引き上げたけど、なにか変わったことがあるのでしょうか。
まあぼくが無知でわかっていないだけで、目に見えていないところで変わった部分もきっとあるのでしょう。
でもあれだけ長い間居座りつづけてこれといった明確なイノベーションが起きなかった(ように見える)というのは、果たしてどうなのかなあと思ったりもします。
これは全然手腕とは関係ないけど、あの話し方が不愉快でした。
ペラペラペラペラと饒舌に喋っているけれど、結局何を言っているのかよくわからなかった。
全体的に右傾化している印象もあって、神経質で怒りっぽい印象もありました。
「小物」の印象しか、どうしても持てないのでした。
菅さんが退陣に追い込まれたのはコロナ対策のせいだと言われます。
しかし全体を眺めてみて、それほどおおきな失敗をしたといえるのでしょうか。
ぼくは個人的に、誰がやったって同じだったんじゃないかと思う。
コロナ禍のような前代未聞で前例のない出来事があったときに総理になるというのはとても大変だろうと思います。
経験者がいないので、誰にも相談できないですからね。
海外の事例を持ち出してニュルニュル法律の隙間に入り込む悪徳御用学者の意見もあてにならない。
参考書がないのです。
そのような逆境において、菅さんはかなり頑張ったんじゃないかと個人的には思えます。
なんというか「八つ当たり」をしている人もかなり多いんじゃないかという気がするのですよね。
じぶんの商売がコロナのせいで打撃を受けたことについて、「政府がちゃんとしていないからだ」といって、天災を政府の責任に転嫁しているというか。
いやまあ、そういう側面もあるのかもしれません。
しかし政治に100点満点なんてないわけで、政治が良ければみんな幸せだなんていうのは幻想のような気もします。
政治家は救世主ではないのだから、コロナ禍で損害が出たことを政治や総理のせいにするというのは、なんか違うような気がしてなりません。
ぼくはこのたびのコロナ禍で、確信したことがあります。
もしかしたらバチが当たるかもしれませんが、「コロナ禍による飲食店の困難は自業自得である」という認識があります。
というのも、「飲食店の闇」を垣間見たからです。
このたびのコロナ禍で何かできることはないかと考えて、飲食店向けにテイクアウト等を補佐するある種のサービスを立ち上げました。
ネットで自身の店舗の情報を掲載して、テイクアウトメニューなどをアピールできる無料サービスです。
完全無料サービスだから、スタッフのサポートはありません。
しかしSEO対策も一通り行うし、ある種のプロモーションも無料で行いました。
けっこう反響はあって、積極的に利用してくれる店舗も増えていきました。
しかしこの運営をしているときに、ぼくは「ぞっとした」。
「入力ができません」といって、掲載をあきらめてしまう店舗が、ものすごくたくさんあったのです。
つまりパソコンやスマホが苦手なので、入力ができなくて、もうヤダ、とあきらめてしまう。
いえべつに、ぼくはこのサービスを利用しないからダメなんだとか、そんな横柄なことでぞっとしたのではありません。
飲食店を経営する人たちのうち、もしかしたら半数近い人たちが、以下のような指向性を持っているのです。
「できないことは、なにも努力しない」
「助けがなければ、なにもできないし、やりたくもない」
パソコンやスマホが苦手、それはしょうがないです。
でもこの未曾有の非常時において「なんとしてでも生き残ろう」と考えるのなら、苦手な作業でも勉強してやってみようと考えるのが当然なのではないのでしょうか。
実際に何割かのお店の方は、苦手でもいっしょうけんめい勉強して、サイトに情報を登録していました。
そしてこれはおそらく偶然ではなく、そのようなお店は、結局コロナに「負けずに残った」のです。
ぼくのサイトの効果ではありません。
たぶん、こういうことです。
なんとか生き残ろうと苦手なパソコンにもチャレンジする精神、これを持っている人たちは、今回のコロナによる営業阻害に関しても「あの手この手を尽くした」のだと思うのです。
考えつくことで、できることは、全部やってみようというチャレンジ精神があった。
ぼくが作ったサービスに掲載しようとしたことは、その「あの手この手」のひとつだっただけです。
一事が万事「アタシ、パソコンとか苦手なのよね」といって逃げていくひとは、「あの手この手」を尽くすことをせず、ただ「待って」ばかりいたのではないのでしょうか。
「なにもしない人」の数が、ちょっと多すぎるのです。
ぼくはあまりにも不可解だったので、グルメサイトを運営している会社で働く知人に、聞いてみました。
そうしたら、想像通りの答えが返ってきました。
そうだよ。お客さんの多くは、入力なんかできないよ。しようともしない。
ぼくたちのサイトも、お客さんのほとんどにうちのスタッフがサポートについているし、全部入力してあげることさえある。
とにかく、努力をしないんだよね。
だから、有料なんだ。
無料でこういうサイトを運営するのは、まあ無理だろうね。
でも中には色々考えてうまく活用してくれるお客さんもいるのは確かでね。
そういうお客さんは、まあぼくがこういうのも何だけど、グルメサイトなんか使わなくても全然売り上げるお店でね。
案外老舗で有名なお店のほうが、そういうことをキッチリやるところも多いような気がしてる。
こういうことがあって、ぼくは世界認識が一気に変わりました。
そして、昨今の「?」も、ずいぶん解消されました。
世の中には、どうしようもない人が、想像の100倍はいる。
そして「民意」というのは、そういう人たちが形成していく。
考えてみれば、そりゃあそうなのです。
コロナだっつってんのに、マスクもせずお酒飲んで叫びまわって暴れまわって感染爆発させて、そしてそのまったく同じ口から、
「政府が悪い!」
というような言葉が出てくる。
まったく無自覚のまま、平気で「八つ当たり」をする。
ちょっと考えられない行動なのだけれども、このような人は想像以上に多いのだ。
そして、民主主義の日本においては、このような人の意見が「民意」として形成されていく。
もしそうなら、理解ができるのです。
実績を出していても、政権が退陣に追い込まれる理由。
とくに何もしていなくても、そこそこ悪いことをしていても、政権が維持できる理由。
「民意」は「正義」ではない。
ここが民主主義の抱える最大のネックなんだろうなあと思いました。
そしてこの弱点を補えるひとこそが、政治家なのだと思います。
でも実際には、民意を正義として「民におもねる」ことを主たる業務とし、これによってお山の大将になろうと目論む人たちもいる。
まあ、そんなことよりも……。
ぼくは商売の方向性をすこし間違えていたような気がしています。
ぼくは「ちゃんとした人」ばかりを相手にしてきました。
だから、努力の割にはあまり儲からなかったのかもしれない。
ちゃんとした人は、母数が少なすぎるのです。
そして、ちゃんとした人たちは、「どうしようもない人たち」ほど強く救いを求めていない。
この世の大多数を占める「どうしようもない人たち」これを相手にすることこそが、「商売」だったのですね。
愚者を騙してカネを毟り取るというような、悪辣なことではありません。
まるでその逆。
どうしようもない人たちを愛し、お手伝いをしてあげる。
これこそが、商売の王道なんだろうなと気づきました。
……そして、なんということでしょうか!
この「どうしようなない人たち」に、ぼく自身は含まれていた。
「ちゃんとした人」と「どうしようもない人」は、別種の民族とかではないのですね。
ひとりの人間の「別の顔」にすぎない。
ちゃんとした人にも、だめな面があり、だめな人にも、ちゃんとした面がある。
人の「良い面」は、商売にならない。
「だめな面」こそが商売になる。
「ためな面」こそが、救いを求めているから。
そして「良い面」は「だめな面」を救おうとする。
人間は自分の良い面を使って人のだめな面を救い、じぶんの悪い面は人の良い面で救っていただく。
これを「コミュニケーション」というのかもしれませんねー。
陰陽図に、よく似てる。