スタンディングデスクを導入して1週間が経ったところである。
基本的には午前中は立って仕事、午後からは座って仕事をするようにしている。
ぼくの朝は早いので、休憩を除けば1日に4〜5時間は立っている計算になる。
そこで発覚したんだけれども……弱ってるなあ。
デスクワークを長期間続けたことで、シンプルに「立つちから」が弱くなっているようだ。
しんどいとか、足が痛いとか、腰が痛いとか、もはやそういうレベルを超えている。
ずっと立ち続けているとなんだか「泣きそう」になってくるのである。
ここでいう「ずっと」は、たかだか1時間である。
たった1時間でも、かなりつらい。
しんどい、痛いというのも確かにつらいのだけれども、そういうのとは次元が違うつらさを感じる。
例えるならば、中学時代の部活の「しごき」のようなつらさ。
ぼくは中学時代柔道部に所属していたが、スクワットは1日に300回ほどやらされていた。
頭の上で手を組んでひたすら屈伸運動をするのだが、部員の背後を「鬼監督」が巡回する。
「コラー! もっと膝を曲げんかー!」
「コラー! 休むなー!」
「コラー! つらそうな顔をするなー!」
「コラー! 遅れるなー!」
と、全面的「コラー!」の怒号の中で延々とスクワットをさせられる。
止まったり休んだりすると、鬼監督がすっ飛んできて鼻血が出るまでビンタされた。
まだ入部したての1年生なんかは、とうとう泣き出してしまう。
「ウウウウ」と呻きながら、涙をぽろぽろと流す。
でも泣きたいのは1年生だけでなくて、じつは上級生だって泣きたかった。
もしぼくに理性とか恥とかいうのがなかったら、
「アーン! ママーー!!」
といって大泣きしていたことだろうと思う。
しかし万が一そんな泣き方をしたら鬼監督にビンタされるどころか、冗談抜きで殺されるかもしれない、そんな恐怖があって、ぐっと我慢をしていた。
赤ちゃんは、生まれてくるときには盛大に泣く。
もしかすると筋肉も、生まれ、おおきく成長するときには「泣く」のかもしれない。
ずっと立ち続けていると、あの中学時代のカナシミを感じる。
ただ走り回るとか、ふつうに自分のペースで筋トレをするとかなら、そのような感覚はない。
ただ、つらいだけである。
しかしひたすらじーっと立ち、立ち疲れてもまだ立ち続け、「この仕事が一区切りつくまで」などの目標を立ててシツコク立ち続けていると、全身が徐々に「カナシミ」に包まれてくる。
これは痛いとか、しんどいとか、そういう種類のつらさではなく、涙を伴うつらさ。カナシミである。
もしぼくに理性とか恥とかいうのがなかったら、
「アーン! ママーー!!」
といって大泣きしているかもしれない。
しかし、50ヅラをぶら下げたオジサンがだれもない仕事部屋でひとり立ったまま「アーン! ママーー!」と咆哮しているのは、まったくもって尋常ではない。
あきらかに異常である。
とくに「ママーー!」の部分に、尋常ならざる異常性を感じる。
よってぼくはその異常性を持つ箇所を省略した「アーン!」という発声だけを用いることになる。
しこうして、ぼくは朝日差し込む明るい仕事場で立ったまま
「アーン、アーン」
とヨガりつづける。
しかしよく考えてみれば(あまり考えなくても良いが)立ったままアーンアーンと叫び続けているのもあまり尋常とはいえない。
そこでぼくは、もはや「アーン」さえをも省略し、
「ンフー、ンフー」
と、ただ鼻孔から呼気を激しく吐露しながら立ち続けるのであった。
「そんなにつらければ、休めば良いのに」
まあ、そうである。
そのアドバイスには一切まったく異論はなく、全面的に首肯するものである。
しかしこのような経過を経験することで、気がついたこともある。
デスクワークによる運動不足解消については、ウォーキングやジョギングなどの有酸素運動がよく提唱される。
考えてみれば、ウォーキングもジョギングも、座って行う運動ではない。
立った状態から動き出すたぐいの運動である。
だからたとえば「1時間歩く」というのは、「1時間立つ」ということも、必ずついてくるのである。
歩くことや走ることには、それを行う時間と同等の時間「立つ」という行為が必ずセットでついているのである。
ウォーキングは、べつに連続でやる必要はありませんよ。
1回15分程度を、こまめに繰り返すことでも充分な効果があります。
歩くことを推奨する書籍やネットでは、このようなことがよく言われる。
しかし、どうだろうか。
ぼくは「アーン! ママーー!!」的カナシミを抱えつつ、強い疑問を感じるのである。
15分間歩くためには、「15分間立ちつづける」体力が必要ではないか。
1時間連続で歩くためには、「1時間立ち続ける」体力が必要ではないか。
だから1時間連続で歩き続けることと、15分を4回に分けて歩くのとでは、根本的な部分が異なってくるのではないのか?
15分ほど歩けば、だいたい2000〜2500歩ぐらいにはなる。
15分×2〜3回に分けた散歩なら、ぼくもほぼ毎日やっている。
しかし、この方式では「立つちから」は全然強くなっていなかった。
そりゃあそうである。
15分間のウォーキングでは「15分間連続で立つ」ちからは、身につくだろう。
しかし「1時間連続で立つ」ちからは、15分のウォーキングでは一切養成されていなかったのだ。
「アーン! ママーー!!」
あの強烈なカナシミは、「それほど弱っている」ということの証拠であった。
それほどに、ぼくは毎日座り続けていたのである。
たかだか1時間連続さえ立っていられないほど、「立つちから」が弱っていた。
なーにがウォーキングじゃ。
なーにがジョギングじゃ。
なーにがヨガじゃ。
なーにがピラティスじゃ。
そんな高度なことをやるまえに、まずは「1時間立ちつづける」チカラを復活させねばならない。
そのようなチャラチャラしたメソッドは、まず「立つちから」を身につけてから行うことである。
いいオジサンが、1時間立っただけで幼児のように泣いておってはイカン。
健康とか医学とか、そういう次元の話ではなく、単純に末代までの恥である。
ハズカチーのである。
おじさん、立つ。
立つちからは、いのちのちから。
根源 から の
存在 の
ちから。