この本は良書だと思う。
LYKKE 〜 人生を豊かにする「6つの宝物」 〜(マイク ヴァイキング)
デンマークなど北欧の国は幸福度が高いと言われていて、その「理由のようなこと」が書かれている本だった。
きれいな写真も載っていて小難しい言い回しもなく、とても読みやすい。
幸福であるための要素がそれほど整理されているわけでも深く検証されているわけでもないのに、なんとなくよく伝わってくる。
フィンランドが幸福度1位で、日本は54位。
環境としては日本は決して悪い国ではなく、むしろとても良い国のはずなのに、幸福度は低い。
北欧諸国の幸福度の高さは「社会福祉と教育の充実」にあると、一般的には良く言われる。
そのかわりに、ものすごく税金が高い。
この税金を社会福祉や教育にどんどんつぎ込んでいて、大学なども無料で通えるらしい。
この事実をもって、官僚っぽい人は「システムが良いのだ。だから日本も税率を上げて福祉国家を目指さねばならぬ」などということを言う。
まあ確かにそうかもしれないが、この本を読んで一番驚いたのは、「税金に対する住民の考え方」だった。
デンマークの住民の10人のうち9人は、
「よころんで税金を払う」
と述べている。
そこで思った。
デンマークなど北欧の人たちの幸福度が高いのは、「システム」のおかげだけではないのではないか?
税金をよろこんで払うという、その「心」に最大の原因があるのではないか?
日本人なら、こうはいかない。
税金については「腹立たしいもの」とさえ考えている人が多いと思う。
消費税アップなどについては、反対する人がとても多い。
「政府は、国民の暮らしをまったく考えていない!」という、例のアレである。
ぼくもそう思う。
いっしょうけんめい仕事をして稼いだのに、稼げば稼ぐほど税金を取られてしまう。
これではいったいなんのために働いているのかと、悲しい気分になることもある。
むろん税金は公共の福祉に使われるということは一応知ってはいるが、その「福祉の恩恵」を受けているという実感が皆無なのである。
だから「搾取されている」という感覚を持ってしまいがちなのだ。
しかし福祉の恩恵を全く受けていない、ということはないのである。
下水道や道路などの公共インフラについて日本はとても優れているが、これらはほぼ税金でまかなわれている。
保険制度も発達しているから、ふつうの病気なら病院にいってもそんなにお金がかからない。
気がついていない、あるいは慣れてしまったせいで、税金などの行使による福祉の恩恵は受けていない、と思ってしまうところも大きい。
あと、基本的に政府のことを「信用していない」。
もし北欧諸国のような強烈な税制実施が提案されたら、それは日本で実現できるだろうか?
まず無理であろうと思われる。
ほぼ国民全員から「やめてくれ!」という反応が起きるように思う。
どうせまたアホなことに税金をつかって、むちゃくちゃにするんだろ!
なんて言うひともいると思う。
「なぜ税金がイヤなのか」
国家に対する、国民の信頼が低いからなのか。
あるいは、国民の意識じたいに問題があるのか。
これはとても難しい話で、ともに原因があるようにも思う。
そこでとりあえずは、国民側の意識のほうに注目してみた。
もしかすると「子どもに対する教育姿勢」に起因するのではないか?
日本はたぶん、昔から教育を「しつけ」と称し、厳しく行うことがベースになっているのではないかと思う。
学校でも、まずは「ルールを守る」「勝ち上がる」「結果を出す」ことを第一義としているのではないか。
・規則遵守
・結果主義
・勝利称賛
これが実行できなかったばあい、ペナルティーが与えられる。
むちゃくちゃ怒られるのである。
ルールを守れず、結果を出せなかった場合、その子どもはひどく叱られる。
この「ペナルティー」が教育の基準であった場合、子どもたちにどのような世界観が醸成されるであろうか。
子どもにとって親や周囲の大人たちこそが「世界のすべて」である。
幼少期に過ごした信賞必罰によって、世界認識が変わっていく。
結果を出せ。
ルールを守れ。
勝利せよ。
これが不能の場合、罰せられる。
こんな「世界」で幼少期を過ごせば、おのずと「世界が怖い」と思いはじめるのではないか。
もっといえば「世界は敵である」とさえ思いはじめるかもしれない。
周囲の人は、友人のように見えて、じつは「敵である」と感じはじめるのではないか。
北欧諸国の教育方針は、「結果は褒めず、プロセスを褒める」ということのようである。
これは甘やかしているということではなくて、どうやら「アルゴリズム構築を重要視している」ということのようだ。
点数さえ良ければ良いというのではなく、その思考プロセスや動機などを重視する。
また「勝利」よりも「共感力」を重視しているようである。
よりよい人間関係を構築するためには、共感力が必須だからである。
「税金は可能なら収めたくない」
こういう思いは、国家に対する不信というよりはもっとプリミティブな「自分以外への人々への不信」ということもいえるような気がする。
ひらべったくいえば、「人が嫌い」なのではないか。
会社や学校でも、最も多い悩みは「人間関係」なのだそうである。
周囲の人が、わたしのことをわかってくれない。
そういって悩むが、なんのことはない、その悩む本人こそが、他人のことをわかっていないし、わかろうともしていない。
仲良くしてはいるが、それは「テクニックによって」そうしているだけで、他者への共感と信頼によって実施されているわけでもない。
「LYKKE」という本を「どれが日本人にとって一番難しいか」という側面から見れば、結局は「人との関わり」の部分ではないかと思った。
共感、共有、共生。
じつは最近の日本人は、どうもこういうのが苦手なのではないか。
雑に言えば個人主義が強化されたわけだけど、深い部分では「人間不信」があるのではないか。
自由、安全、親切、共感。
そういった幸福の条件のうち「自由、安全、親切」はそこそこいい線いってるのに、「共感」がどうにも怪しい。
思うに、こういった「人間の基礎」を醸成しないままに北欧システムだけ移設しても、たぶんうまくいかないだろうと思う。
OSをアップデートしないと新しいプログラムはインストールできないこともある。
いまだに古臭い、勝った負けたの丁々発止をメイン機能とするOSのままでは、幸福国家への昇格は無理なんだろうなあ。
共感、共有、共生。
このへんをめざすというか「思い出す」というのが、これからの方向性のような気がする。