ヨガの功罪

5年ほど、ヨガを続けてきた。

パニック障害を治すことが目的だったので、かなり本気だった。

結論としては残念ながら、ヨガではパニック障害はほとんど改善しなかった。

もちろん良いところもあったが、思ったよりもその数は少なくて、むしろ悪いところもあるということに気がついた。

ヨガをしていた当時は「これは効くはずだ」という信念に基づいてやっていたので、確証バイアスがかかってしまい、本当は悪いことでも良いことだというふうに思い込もうとしていたところもある。

最近は、もっと冷静になろうと思う。

もっと客観的に、妄想や希望的観測をできるだけ除外して、事実は事実として真摯に受け止めようと思っている。

 

現在の娑婆世界ではもはや「ヨガ教」といってもいいほどに、ヨガは良いことだと喧伝されている。

しかし、冷静になる必要がある。

良いことがあるということは、必ず悪いこともセットでついてくるのである。

100%全面的に良いというようなことは、残念ながらこの世には存在していないのである。

 

運動不足解消や呼吸の改善、精神の安定、柔軟性の向上、血行改善などなど、ヨガにはよい面がたくさんあることは事実だと感じる。

しかしいっぽうで、この「良いこと」の裏に隠されている、じつはあまり良くないことがあるということは、もっと知られるべきであろうと思う。

5年間まじめに続けてきたことで知った、「ヨガの欠点」をあえて、書いていこうと思う。

結論から書く。

ヨガを続けていくと、以下のような問題が起きやすくなるのである。

 

・基礎体温の低下

・代謝の低下

・アレルギーの強化

・気力の低下

・運動能力の低下

・筋力低下

・気力低下

・菌・ウィルス抵抗力の低下

 

おおざっぱにいえば、生命力が低下する可能性があると感じる。

これは妄想や憶測ではなく、経験である。

 

なぜ、こんなことが起きるのか。

ふつうに客観的に考えれば、上記のほとんどの欠点は、まったく不思議ではない。

むしろ「当然」ともいえることである。

これに気が付かないのは、「ヨガ教」のイデオロギーに染まってしまっていたからである。

 

まず、血行が良くなるということはどういうことなのか、ということをよく考えなければならない。

血行が良くなるということは、体表面や末端の血管が拡張し、血流がさかんになるということである。

このことで血圧が下がり、末端の冷えが改善されるということは確かにある。

しかし「血管が拡張する」ということは、体内深部の体温(エネルギー)が末端にまで拡散されてしまうということである。

また体表面の血管が拡張するということは、それだけ体温が奪われやすくなるということである。

これによって、体温が低下する機会が格段に増えることになる。

 

また、身体各部の筋肉をストレッチをすると、筋力低下が起こる。

実験によれば静的ストレッチは筋力を平均5.5%弱めることが発見されており、90秒以上の静的ストレッチはさらに筋力を低下させることがわかっているそうである。

実験によらずとも、毎日ヨガを行えば、このことは如実に実体験できる。

からだが「ゆるむ」ことによって、筋緊張の強度が明らかに低下していくのである。

よって筋肉による体温生成能力が低下し、体温がさらに下降していく。

日頃ほとんど運動をしておらず、また筋肉量も少ない人ならば、ヨガを行った「そのとき」は代謝が上がり血行が改善され、温感を感じるであろう。

温感を感じる神経は体表面に集中しているため、ヨガによって体温が上昇したような錯覚もおぼえる。

しかし総体としては筋力低下と血管拡張効果により、長期的には体温が低下していく可能性が高くなるのである。

また筋力の低下により、基礎代謝も低下していく。

生体実験でもヨガを継続すると基礎代謝が低下し太っていくというのがあった。

これもべつに、その実験のエビデンスを探すまでもない。

インドその他、本気でヨガをやっているグルと呼ばれるひとたちの多くが肥満体であるし、ぼくじしん、ヨガを継続することでむしろ太りやすくなった。

肉食をやめ、菜食に転じ、食事量も減少させたのに、である。

 

筋力が低下すると、血圧も低下し、副交感神経が優位になっていく。

このことで、いえもいえぬ平和な気分を感じるのも事実である。

このことじたいは、良いことであろうと思う。

しかし、これまたこの娑婆世界では副交感神経「教」のようなことが蔓延しており、副交感神経優位が良いことで、交感神経優位が悪いことであるようなイデオロギーが拡散されている。

事実は、そうではない。

副交感神経が優位になりすぎることで起こるデメリットも数多く存在するのである。

アレルギーが強化され、神経過敏になり、気力が低下し、臆病になり、精神力が低下する。

おおざっぱにいえば、おとなしくなる。

しかしこれは決して人間性が高度になったのではなくて、単純に「弱体化」が起こっていたのである。

この状態において、ヨガの思想に傾注していると、我が精神性が高次元に向かいつつあるような錯覚を覚えることがある。

勘違いである。それはただの、原始的な自己陶酔である。

 

いわゆるヨガの業界がこのような弱点を隠蔽しているのであれば、あまり深い問題ではない。

その隠蔽を暴けば良いだけの話だからである。

しかしヨガ業界は、このような事実を隠蔽しようなどとはまったく考えていない。

むしろ原則として、善意で行動しているほうが多いのである。

じつは最大の問題は、ヨガを行うその「人」にこそある。

ヨガを行うということは、殆どの場合健康や精神などになんらかの問題を抱えており、救済を求めている。

この「救済を求める」という精神的姿勢は、容易にドグマを生み出すようになるのである。

実際にはヨガによって悪化したことでさえも、「好転反応である」というふうに肯定的に解釈しようとする。

この解釈を、ヨガ業界やトレーナーが意図的に喧伝しているのであれば問題は浅い。

より深い問題は、ヨガの欠点を長所に変換する作業をむしろ「本人が」行っているところにある。

自分が、心身にわるいことをしているとは考えたくないのである。

それを認めてしまうとレゾンデートルがぼろぼろに崩壊し、不安の大海にまた放り出される。

だから少々悪いことがあっても「良くなっていく過程」として善意に解釈し、恒常正バイアスを発揮して自己の判断や価値観を守り抜こうとする。

自己防衛のための意識、ヨガに強く傾注している人に感じるあの奇妙で歪んだ雰囲気の原因は、まさにこれである。

ヨガは本来自我を完全に滅却するところにこそその本義があるが、一般のヨギのほとんどはむしろ逆に自我を「強化」させていく。

「ヨガへのこだわり」を捨てるどころか、かえって握りしめ、その弱点さえも無意識的虚偽で隠蔽しはじめるのである。

これは悪意ではなく、むしろ善意を利用して無意識下で作業が行われる。

だからヨガを信じている人に事実を提示しても、まったくの無駄である。

彼らにとってもっとも重要なのはおのが内面の主観世界であって、客観的事実にはもはや意味も意義も求めてはいない。

彼らは一様に真理を求めてはいるが、自己の価値観に合致しない真理はもはや彼らにとって真理ではないのである。

 

とはいうものの、ヨガに良い面があるのもまた、事実である。

ヨガの「弱点」だけを抽出し、これによってヨガの価値を問うのも誤っているであろう。

リラックスとはなにか。

血行とはなにか。

そのようなことを、一種哲学的に追求していくことも必要なのだろう。

それが面倒なのであれば「とくに、なにも、しない」というのが、一番正しいソリューションなのかもしれない。

人体には恒常性があり、なにをしなくとも正常化しようという無意識のはたらきが、自然にそなわっている。

恒常性を阻害するものを見極めることさえできれば、基本的には何もしなくても良いのかもしれない。

だいたいの場合、この自然な恒常性を阻害するのは、おのれ自身が過剰に生み出した恐怖と不安だと思う。

人間は、こわいから、余計なことをするのである。

 

 

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