座禅で何が変わるのか

以前、座禅を200日連続でやったことがある。

べつに何らかの目的があったわけではないのだが、なんとなくやってみようと思ったら案外心地よく、特段努力とか辛抱などをせずに続けられた。

 

やり始めの頃はたった5分でも耐えられなかったものだ。

スマホでタイマーを設定していたのだが、座禅を開始してからいくら経ってもタイマーが鳴らない。

いくらなんでもおかしいので、きっとタイマーの設定を間違えたのだと思った。

あるいはアプリが壊れているのか、もしくはスマホが消音になっているのではないかとも疑った。

しかし実際にはアプリも設定も間違っておらず、つまりぼくはたった5分の座禅でさえ非常に長い時間に感じていたということである。

しかしそんな状態も1週間を過ぎれば変わっていって、5分などはあっという間に感じるようになり、2週間を過ぎた頃には20分でさえも短く感じるようになっていった。

 

200日を経過してからもしばらく座禅は続けていて、およそ1年ほどやったところで徐々に座禅はしなくなっていった。

それから半年ほど、まったく座禅をしなかった。

しかし今日家族と座禅の話になって、久々にやってみようと思った。

半年もすっぽかしていたから、たぶんまた短い時間でも異様に長く感じられるだろうと思った。

なので今日はとりあえず、5分間だけやってみることにした。

 

不思議である。

半年間まったく座禅をしていなかったのに、座った瞬間に「なにかを思い出した」ような感じがした。

結跏趺坐も姿勢の維持も、まったくもって違和感がなかった。

呼吸に集中しはじめたところ、あらかじめ5分に設定していたタイマーが突然鳴った。

今回は以前と逆の理由で、タイマーが壊れているのかと思った。

しかしやはり、タイマーに何も問題がなかった。

つまり半年間のブランクを経ても、座禅による集中傾向はほとんど変わっていなかったということである。

スポーツや筋トレ、あるいは勉強などでは、半年もブランクがあると「振り出しに戻る」ぐらいの弱体化が起きる場合がある。

しかし座禅の場合は、半年程度のブランクではあまり影響がないことがわかった。

自転車とよく似ている。

いちど自転車に乗れるようになったら、半年どころか数年乗らなかったとしても乗れなくなるということはない。

座禅と自転車には似ているところがあるような気がした。

 

もしかしたら座禅で変わるのはココロや考え方などではなく「脳神経の接続形態」のような、もっと物理的なことなのかもしれない。

いちど座禅であの集中と落ち着きの状態を獲得できたら、それは一生続くほどの変化になるのではないか。

もしそうならば、座禅というのは「トレーニング」でも「エクササイズ」でもなく、もはや「変身」といっても過言ではないのかもしれない。

 

だから、なのだろうか。

座禅をするようになってから、どういうわけか神経の状態が非常に安定するようになり、それまで頻発していたパニック発作がナリを潜めてしまった。

自律神経の不具合は解消されていなくても、そのことがトリガーになって発作に至ることはなくなってしまったのである。

そして座禅をやめてしまっても、状態は変わることはなかった。

「変身」したのかもしれない。

もし座禅がただのトレーニングやエクササイズならば、ずっと継続しなければならない。

いちどある種の状態になれば何もしなくても恒久的にその状態が維持されるというのなら、それはもはや、修行ですらない。

 

だから怖い、とも思った。

人間には不可逆的な変化が起きる場合があるのかもしれない。

もし誤った修行によっていわゆる「魔境」に転落した場合、その変化もまた一生つづくかもしれないからである。

その点、座禅については古来より禁忌が伝えられている。

以下のことは「絶対に」守らねばならず、違反した場合は即座に座禅を中止せねばならない。

 

・掃除と整理整頓、換気をしっかり行った清浄な屋内で行わなければならない

・悟りを得たいとか、病を治したいとか、目標を達成したいとか、仕事に役立てたいとか、ましてや超常的な能力を獲得したいなどという目的は一切持ってはならない

姿勢を正しくして行わなければならない。脱力して背中を丸め、うつむくような姿勢は最も危険である。

・目はつむらず、しっかり目を覚まし、飲酒や薬物摂取などは言語道断で、意識が正常かつ明瞭な状態で行わなければならない

イメージングなどの妄想によって神経や心をコントロールしようとしてはならない。ただただ自分の呼吸を客観的に観察するのみである。

連続して1時間以上行ってはならない

霊的存在や奇跡に思いを馳せてはならない

・やりたくないのにやるとか、しないといけないからやるとか、痛いのに我慢するなど、無理をして行ってはならない

座禅に功徳は一切ないということを知ってから行うべきである。

 

巷間のヨガ教室や瞑想教室などでは上記のルールを平気のへいざで無視していることがよくある。

リラックスが大事なので姿勢は何でも良いですよ、とか、結跏趺坐じゃなくても良いですよ、とか、場所はどこでも良いですよ、とか、瞑想したら人生がよくなりますよ、とか、仕事の効率がよくなりますよ、とか、そんな甘っちょろいことを言ういっぽうで、「私は3時間もやった」とか自慢する人がいたり、「修行だから辛抱が大事だ」とか厳しいことを言って無理をさせたりする人もいる。

そして、そのようなことを言う教室では、オーガニックと陰謀論にハマって闇落ちし、現代の文明や社会を否定しはじめる「こわれもの」が量産されることも多い。

なんのことはない、それはつまり瞑想の禁忌を犯したがゆえに「魔境」に踏み込んだのかもしれない。

 

個人的には、上記のルールの中でも最大限に重要なのは「掃除する」と「姿勢を正す」「目的を持たない」だと思う。

この3つに違反すれば、ほかのルールをいくら守っていても、瞑想をするほどに魔境が日に日に近づいてくる。

しかし逆にいえば、この3つさえ守っておけばすくなくとも大事故は起きないように思う。

座禅を「がんばる」というのは、阿呆がすることである。

 

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