量の問題

最近83歳の母のボケが悪化しているような感じがあるので、脳の専門病院に行ってもらった。

そうしたら意外なことで、検査の結果は「問題ない」ということであった。

すくなくとも薬を飲んでどうこうしないといけないようなアルツハイマー病ということではないようだった。

 

ん?

ではいったい、最近の母の異常なまでの記憶喪失やイライラはいったい何だったのか?

先生によると、アルツハイマーがどうこういうまえに「血圧を下げなさい」ということであった。

たしかに母の血圧は高く、まれに200を超えることもある。あきらかに異常である。

もしかしたら、血圧が高いせいでイライラし、神経が激昂して記憶に問題が起こっているということもあるのかもしれない。

 

ていうか、そもそも我が家は昔から全員血圧が高い。

老齢だからということではなく、父も母も若いころから血圧が高いのである。

ぼくも学生のころから若干血圧が高い傾向がある。

遺伝だろうか、と考えてしまう。

しかし……ぼくの娘はむしろ低血圧である。

そして、ぼくも今年に入ってからは血圧はとつぜん正常値になった。

母と父だけがいまだに高血圧をずっと維持していることになり、娘とぼくは血圧が正常化したのだから、必ずしも遺伝ということではないのかもしれない。

 

そこで突如として、理解したのである。

おそらく「食事」が最大の原因なのではないか。

 

というのも、まずぼくの娘は幼少の頃から別居していたので食生活が別である。

そしてぼくは、3年ほど前に酒をやめ、近年は「とにかく半分」を励行している。

「とにかく半分」というのは、出てきた食事の量をいかなる理由があっても半分しか食わないという行動である。

そして残った半分は、翌日にたべる。

 

人の半分食べて、人の倍働き、人の3倍笑いなさい。

 

……というチベットのことわざに感化されたわけではなく、ある日ふと冷静に食卓を眺めたときに、我が家の食事量は非常に多いと気がついたのである。

ふつうの定食屋さんの量と比較すると毎食がその1.5倍ほどの量があり、夕食に至っては2倍ほどの量がある。

娘がたまに我が家に帰ってきたとき、いつも言う。

「多いなあ!」

両親ともに田舎の出身で、とくに母は豪農の娘だったから「食い力」という迷信をいまだに保持している。

また、米や野菜はいくら食っても大丈夫、というような迷信も保持している。

とにかくたくさん食っとけば大丈夫なんだ、というようなジャンボリーな信条があるのである。

そして一日3食、しっかり食う。

また、どういう理由なのかはわからないが夕飯を豪華にするのである。

揚げ物や肉料理などを寝る前の夜に食う。

おかしくないか?

いまから寝るというのに、そんなにカロリーは必要ないではないか。

ていうか、寝る前にそんなに食ったら寝付きが悪くなってしまうではないか。

夕飯など極端なことを言えば食わなくてもいいぐらいである。いまから寝るだけなんだから。

しっかり食うとしたら、昼食なのではないか。

だから我が家における「とにかく半分」は、一般的には「ふつうの量」になる。

ぼくはべつに、苦行や無理をしているということではない。

 

食事は両親が作ってくれているが、血圧を気にしてかなり減塩し薄味にしている。

しかし、である。

もし仮に使っている塩の量を半分にしてみたところで、全体の量を通常の2倍食っていたら、どうなるのか。

1÷2✕2=1 となり、それはようするに、全然減らしていないことになるのではないか

また、高血圧の原因には塩分だけでなく油脂も関係しており、炭水化物の過多による肥満も関係している。

塩分を減らしても、塩分以外は標準の2倍食っていたら、総合的には「減らしていない」どころか「標準より増やしている」ことになる。

結局、父も母もけっこう太っている。

しかし、ぼくと娘はほぼ平均体重である。

厳密には、ぼくは酒を飲んでいた3年前までは太っていたが、酒をやめ「とにかく半分」を励行するようになってからはほぼ標準体重になった。

また朝食は、ぼくだけは自分で焼いた全粒粉パンにオリーブオイルを塗ったものと少量のヨーグルト、少量のチーズ、りんごだけにしている。

両親はその横で、まるで旅館の朝食のような豪華な朝飯を毎日食っている。

 

父は糖尿病、痛風、高血圧という、まことにスタンダードな生活習慣病になっている。

考えてみれば、あたりまえである。

一般的な量の2倍の量をメシを食っていれば、いくら減塩していたとしても無意味だ。

「プリン体カットのビールだから2リットル飲んでも大丈夫だぜ馬鹿野郎」といってベロンベロンになっている痛風患者と同じことをしている。

 

あれを食えば健康に良い、何を食えば悪い。

そんな「何を食うか問題」の前に、「どれだけ食うか問題」のほうがずっと重要なのではないだろうか。

逆に言えば、少食にすればなにを食っても大丈夫なのかもしれない。

砂糖は体に悪いというが、ほんの少量ならば絶対に問題はない。

不飽和脂肪酸は悪いというが、ほんの少量なら問題はないはずである。

食から「自由」になるためには、あれこれ考えるまでもなく「減らす」だけでおそらく充分だ。

量が少なければ、何を食ってもかわまん。人間は、雑食なのだから。

ファスティングなどと称して1日メシを抜いたり、長期間の断食をするひともいるが、普段からガッツリ食っていたとしたらその行為は意味がないことになる。

特別な日にすることよりも、特別ではない日にしていることのほうがよっぽど重要だからである。

「変わったこと」「めずらしいこと」をするまえに、1食の量をただ減らすほうが圧倒的に合理的だろう。

 

人の半分食べて、人の倍働き、人の3倍笑いなさい。

 

ここにきて、チベットのことわざが「真理」に見えてくるというものである。

 

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