美人の心

「パニック障害には美人が多い」というのは、よく言われることです。

美人とかイケメンとかはあくまで主観的な尺度で客観的な統計のとりようがないから、公式な統計データはたぶんないのでしょうが。

でもぼくの個人的な知り合いでも、パニック障害になる人には美人やイケメンが多い。

芸能人にパニック障害が多いのは一般的にストレスが多い職種だからだと言われるけれども、しかし不思議にアイドルグループや美人・イケメンに多いのは気になる。

仕事のストレスだけが原因だというのなら、ブサイクな芸能人にももっとパニック障害者がいても良いのではないか。

案外こういったところに、なにか器質的な原因が潜んでいるということもあるのではないか……なんて、妄想してしまいます。

 

「美人の共通項」というのは、確かにあるのです。

昔勤めていた会社で女性アルバイターの採用担当をしていたことがあるのですが、ほぼ確実な現象があった。

「美人は性格が良く、仕事ができる」

「ブサイクは性格が悪く、仕事ができない」

という現象です。

ドラマやアニメなど創作物上の人物像では「美人だけど性格が悪い」「イケメンだけど仕事ができない」「ブサイクだけど有能」みたいなのがわりとステレオタイプになっていたりもして、また一般的にも「外見と性格には関係がない」とも言われます。

しかし、実際に多くの人たちに接しているとそういった定義は案外間違っていたのではないかと考えを改める必要性に迫られます。

何百人も採用をして、その後の勤務態度や実績を総括すると明らかな指向性が見えてくるのです。

ぼくは最終的に「顔採用」をするようになりました。

あ、この子美人だな、ということ「だけ」を主たる理由として採用するのでした。

学歴とか資格とか趣味とかそういうのはいったん横に置いといて、カワイイかどうかだけで判断する。

フェミニストが聞いたら激怒して血管がブチ切れてしまうのかもしれませんが、ほんとうにそんなことをしていました。

すると皮肉なもので、四の五の考えたりリサーチしたりするよりも、「顔採用」をしたほうが圧倒的に良い人材を確保できるようになったのでした。

わしゃあ、採用について何をいっしょうけんめいに悩んで考えとったんかのう……と、ほんとうにバカバカしくなったものです。

 

こんなことを書くと「美人は周囲からチヤホヤされるから人間関係がうまくいくのだ」という人もいると思います。

でもそれは、ちがいます。

というのも、ぼくが以前勤めていた会社は「能力至上主義・実績報酬型」で、親切な新人研修とか社員同士の和気あいあいとか助け合いとか、そんなのとはほぼ無縁だったからです。

人間関係が仕事の進行に影響するような土壌ではなく、アルバイターといえども自分から積極的に仕事を獲得して来なければならず、わりと過酷な環境ではありました。

業務成績は数値でバッチリ出るので、カワイイから加点しようかとか、そんな「ゲタ」は履かせることもできません。

なのに数字にはハッキリ現れた。

このことに気がついたのはぼくだけではなく、他の部門でも結局同じような採用方針をとっていたようです。

 

性格が良いことについては、

「美人は子どもの頃からカワイイカワイイと言ってもらえたから、それで性格が素直になったのでは」

そういう解釈もできます。

ぼくも最初は、そのように考えていました。

でも長年採用を続けていくと、そうではなかったことがわかってきます。

いま美人な子が、必ずしも子どもの頃に可愛かったわけではなく、なかにはひどいイジメを受けていた子もいれば、両親の関係に問題を抱えている子もいました。

「見た目の優位性が性格の特性を決定づけた」という仮説は、あまり盤石ではありませんでした。

それよりも、ぼくはもっと「人間の本能」に依拠するのではないかと考えたのでした。

 

なぜ美人は、美人だと認識されるのか。

なぜある種の形状を持っている顔を「美しい」と感じるのか。

 

人間の「直感」というのは、非常に高等な情報処理の結果なのだそうです。

だから「この人は美人だ」と判断したその情報処理のプロセスにおいては、じつは相手の性格や思考までもある程度は読み取っているのではないでしょうか。

美人というのは、いろいろファクターはありますが簡潔に言えば「顔のパーツの配置の均整が取れている」ということです。

目が大きれば良いとか、鼻筋が通っていれば良いということでもない。

「目がパッチリしていて鼻筋が通っているブス」というのも高確率で実在するのです。

いっぽう、目も小さいし離れていて鼻も低いしエラも張っているのに、なぜか「とても美しい」と感じる顔もある。

つまり、美人というのはパーツや形状だけに依拠するのではなく、その配置の妙によって表現される。

ということは、美人というのは「美人という表情の一種である」とも言えるのかもしれません。

 

人間は、疲れていたら疲れたような顔になるし、怒っていれば怒っている顔になります。

こころの状態は、表情として最も顔に出やすいのです。

だから美人(顔の均整がとれている人)は、こころも美しい(こころの均整もとれている)確率が高い。

ぼくたちは高度な情報処理システムによって、無意識にそのへんの情報も取得しているのかももしれません。

 

もしそうだった場合、「美人にパニック障害が多い」というのも、もしかしたら偶然を超えた必然的結果になる可能性はあります。

「こころの均整」が高度な場合、パニックになりやすいという可能性が実際にあるからです。

一般に、パニック障害になる人は真面目で、勤勉で、努力家で、目標指向性が高く、コミュニケーション能力が高く、頭の回転が早く、論理的で、リスクに敏感で、人の心情の類推能力が高く、思いやりの心を持っている人に多いといわれます。

この特性はすなわち「バランスの取れた心」ともいえます。

バランスが取れている、というのは「良い」と思われがちですが、じつは弱点がある。

バランスが取れていると、バランスを崩しやすいのです。

最初からバランスを失っていれば、それ以上バランスが多少崩れても、わりと影響が少ないです。

しかし高度に絶妙なバランスを保持している状態では、ちょっとしたイレギュラーによっても盛大にバランスを崩してしまう可能性が高くなる。

この「バランス喪失」によって、パニック発作が出てしまうのではないか。

 

これはまったく個人的なことですが、以下のような事例もあります。

自分ではそうは思わないのですが、どうやらぼくは若い頃いわゆる「イケメン」だったようです。

江口洋介に似ているとか、ジャニーズ系であるとか、よく言われていました。

そしてしっかりパニック障害になったのですが、トシをとってくると、全然ナリを潜めてしまいました。

そしてぼくが今似ている芸能人は「松本人志」なのだそうです。

顔もそうですし、喋り方から雰囲気までそっくりだと言われたりもします。娘にも「あっ。松ちゃんがおる」とからかわれたりもします。

つまりぼくの場合、外見が江口洋介から松本人志にクラスチェンジしたとほぼ同時にパニック障害が消えたのです。

そして内面も、大きく変化していました。

ぼくは若い頃、勤勉実直で堅物だけれども、わりとアッサリしていて竹を割ったような性格とも言われていました。

しかし最近は、変化してきました。

トシをとるごとに、徐々に以下のような価値観がぼくを支配するようになってきたのです。

 

・真実なんぞ、真理なんぞ、クソ喰らえじゃ

・オモロかったら、なんでもえんじゃ

・この世に深刻なことなんかひとっつもあらへんがな

・めんどくさいことはウソついてでも逃げたったらええねん

・なにを「いっしょうけんめい」頑張っとるねん、こいつ気色悪いなあ

 

思うに、このような「思想」が、顔に出てきたのではなでしょうか。

偶然にも「真実なんぞクソ喰らえじゃ」は、松本人志さんがよく言っていたことなんだそうです。

悪く言えばアウトローな、良く言えば自由な考え方に変わったせいで、顔もそんなふうに変わったのでしょうか。

 

まあ、そのへんはわかりませんが、少なくとも「美人は表情の一種である」というのはおそらく正しいと思います。

だから美人やイケメンになりたければ、まずはそういう「心」にならなければダメなんでしょうね。

いくら整形しても手術しても、表情は変えられないので。

でもぼくは、もはや美人やイケメンになんかなりたくないし、興味もありません。

美しさというのは、ほんのちょっとしたことで壊れてしまうし、ちょっとした異物があっただけで崩壊してしまうからです。

美しさは、狭量で、弱い。

いっぽう醜さは、いくら踏み潰そうとも、どれだけ異物が混入しようとも、なんら変わりません。

醜さは、強靭です。

 

「美しさから卒業したとき」、パニック障害は消えていく。

そんなことが……あるのかなあ、どうなのかなあ。

 

 

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