妄想にエサを与えないでください

ここ数年、いわゆるパニック発作というのはほとんど消えたのだけれども、気管支に違和感があったり、急に立ち上がったときにクラっとなる「起立性調節障害」があったり、とくに何もしていないのに息苦しさを感じて過呼吸っぽくなるというのが続いていました。

これらの症状に共通しているのは「息苦しさ」で、いま思い返してみれば、以前頻繁にパニック発作を繰り返していたのもこの息苦しさがトリガーになっていたように思います。

とくに激しい運動をしたわけでもないのに酸素不足のように感じて、「溺れている」ような感じがする。

呼吸というのは生命活動の基本だから、すると「死ぬのか」みたいな妄想が出てきたりする。

そこまで行かなかったとしても、肺がおかしいんじゃないか、心臓がおかしいんじゃないかといったような、コワイ妄想も出てきたりするものです。

パニック発作というのはごく簡潔に言えば「妄想の病」なわけで、いったんこのような生命危機に関する妄想が出でしまうとその妄想は半ば確定事項となり、不安発作に向かって一直線に疾走していくのでした。

 

難しく考えるというのは、決してアタマが良いとか理屈っぽいとかではありません。

「妄想が多い」だけの話だったのです。

いま実際に起きた事象について、それをすなおに見るだけでは飽き足らず、多くの妄想をわざわざ付け足していく。

それも、どちらかというと「わるい妄想」を付け足していく。

そしてわざわざ、その妄想を「正当化」するために、いろんな複雑な理屈をあたまの中で構築していって、水も漏らさぬ不動で強固な妄想を確立していってしまうのでした。

こころの中にとんでもない化け物を作り出したのは、ほかでもない、自分自身です。

 

なぜ妄想をしてしまうのか、とか、どうやったら妄想をせずにすむか、の前に、「どうやったら妄想が正当化されるのか」ということを考える必要があります。

隙がない不動で強固な妄想になるためには、何が必要なのか。

これは単純で「知識」なのです。

妄想に必要なのは、知識。

知識がなければ、どのような妄想であっても、強大化や強靭化はできない。

妄想のエサは、知識だったのです。

 

たとえば過呼吸ぎみで息苦しいとき、ネットなどでつい調べたりしてしまう。

すると過呼吸を抑えるのに必要なのはじつは酸素ではなく「二酸化炭素」だということを知る。

体内の二酸化炭素量が増えることで、呼吸はそのリズムを保っているのです。

体内の二酸化炭素量が減って酸素量が増えてしまうと、呼吸の自然なリズムが狂いはじめ、息苦しさを感じるようになる。

息苦しいから「もっと息を吸おう」と反射してしまい、息をたくさん吸うとまた体内の酸素量が増え、さらに呼吸リズムが狂うという悪循環が発生する。

そこで口にビニール袋を当てて呼吸すると二酸化炭素量が増えるので、過呼吸が収まるという現象が起きる。

 

……ということを「知って」しまうと、じぶんがいざ過呼吸ぎみになったとき、「そうか私はいま二酸化炭素量が少ないんだな」などと考えてしまう。

そこで「息を止める」とか「息をゆっくり吐く」とか、呼吸の操作によって体内の二酸化炭素量を調節しようなどと考えてしまうし、実際にやる。

過呼吸気味のときにへたに呼吸法のようなことをすると、余計に息苦しさが増してしまい、多くの場合は悪化します。

で結局、本格的に過呼吸になっしまって、「し、し、死ぬ死ぬ、あたしゃ死ぬ」と大騒ぎをするのでした。

これはつまり「体内の酸素量が増えている」という「医学的妄想」によって、過呼吸状態が悪化した例です。

 

「体内の酸素量が多いから」などということを知らなければ、そんなことにはならなかった。

余計な知識を仕入れたばっかりに、過呼吸の発生率をじぶんで上げてしまったのです。

上記の例以外にも、心臓の病気や循環器系・呼吸器系の病気、脳梗塞や脳溢血などの医学的知識を中途半端に持っていると、じぶんの体調の不具合について妄想で「病気」を結びつけてしまい、自力でわざわざ巨大な不安を生み出していくのでした。

 

妄想に「知識」が結びつくと、化け物になる。

だから病気を治すためにいっしょうけんめい本を読んだりネットで調べたりしていたのは、まったく「治す努力」ではありませんでした。

妄想を強化するための努力」だったのです。

パニック障害は妄想の病気なのに、わざわざ妄想を強化するための努力をする。

これで治るほうが「奇跡」というべきなのかもしれません。

 

ぼくのパニック発作が激減したのは、この妄想が減ったことが原因なのかもしれません。

10年以上、ヨガや呼吸法、気功、整体、各種エクササイズを続けてきましたが、いったん全部「放棄」しました。

そのかわりに、毎日1回20分間の座禅をするようにしました。

そしてこの座禅も、病気を治そうというような目的意識を持たず、ただただ純粋に、ただただ姿勢を正して呼吸を数えるだけ、というふうにできるだけ意識しました。

もし目的意識のようなことや、妄想が出てきても、それをゾーキンでサーっとひと拭きするようなイメージで意識の枠外に放り出して、できるだけ姿勢と呼吸に集中するようにしました。

そういうことを200日続けたら、いつの間にかパニック発作そのものはほとんど出なくなっていました。

おそらくは、「努力」という名前をつけた「妄想強化行動」をしなくなったからではないかと思います。

 

考えてみれば、病気を治そうと毎日努力するということは、毎日病気を意識しているということです。

病気が好きなひとなんておそらくいないから、病気をつねに意識するというのは、ものすごくストレスフルなはずです。

パニック障害にはストレスはダメなんですよ、つってんのに、わざわざストレスを強化するようなことをしてやんの。

そんな「逆ザヤ」をやってしまうのは、性格やアタマの良し悪し、ココロの弱さとかではなくて「妄想へのエサやり」が原因だったのです。

わざわざ妄想にエサをあげるから、妄想が元気になって、尻尾を振って大喜びで暴れまわっていたのです。

 

ここで留意すべきは「妄想=悪」ではない、ということです。

また「努力=悪」でもない。

むしろ、妄想にも、努力にも、すばらしく良い面が厳然としてある。

人間が人間らしく生きていくためには妄想は必須条件であって、妄想があるからこそ、文化も文明も発展していきます。

努力するからこそ、さまざまな物事は進化発展成長していきます。

妄想を否定してしまうというのは、あまりに安易安直かつ原理的で、あまり賢い生き方ではないように思います。

妄想や努力が悪いというのではなく、妄想や努力を「正しく飼えていない」というところにこそ、最大の問題がある。

妄想は「飼う」ものだったのでした。

ペットのように、家畜のように、「飼う」。

妄想に「飼われる」のではなく、妄想を「飼う」。

 

冒頭のようないわゆる自律神経失調系の症状、

・気管支に違和感がある

・急に立ち上がったときにクラっとなる「起立性調節障害」

・とくに何もしていないのに息苦しさを感じて過呼吸っぽくなる

こういったことも、肥大した妄想で考えればすべてが「病気」になります。

気管支炎とか、肺炎とか、心筋梗塞とか、肺気腫とか。

そしてこれらの妄想に「支配」されてしまうと、卒倒してしまいそうなほどの恐怖を感じるものです。

 

しかし、そういった妄想を飼い殺してしまえば、上記の自律神経系の症状群については、笑ってしまうほど単純な原因が見えてきます。

「運動不足」

いわゆる「息を上げる」ような運動を長期間やっていないせいで、呼吸器系や循環器系が「弱って」いるのかもしれないのです。

ぼくはずっとこれらの症状をヨガや呼吸法、食事療法などで治そうと躍起になっていました。

しかしそれは一切効力を発揮することなく、悪化の一途をたどるのです。

「妄想による定義」を放棄し、すなおにじぶんの体調を観察してみたところ、ばかみたいに単純な解決策を思いつきました。

 

いっしょうけんめいに、早足で歩こう。

 

自律神経的なことでネットを調べると、とにもかくにも「リラックス」「ゆっくり」が出てくるのです。

だから、ぼくの諸症状も、ウォーキングは「ゆっくり散歩」が良いのだろうと勝手に結論していました。

毎日6000歩以上、ゆっくり、やさしく歩くことをかれこれ2年以上続けてきましたが、あなんにも治らなかった。

全然意味なかったのです。

しかし「いっしょうけんめい、早足で歩く」ということに気がついて、「息が上がるまで」ハアハアいうほど早足で歩いてみました。

そうしたら、

一日で治ってしまった。

 

ばかみたいなのです。

2年間も、ゆっくり、ゆっくりを意識して毎日正確にウォオーキングを努力してきたのです。

しかし、まず最初に坂道を早足でスタスタ、ダーと登っていって、そのへんをダーを早足で歩き周り、たまに休みながらゆっくり歩き、またダーと早足で歩くということを、たったの2000歩ほどやってみたら、もう治っていた。

息を上げたら、治ってしまったのです。

 

考えてみれば、当然です。

ぼくは基本デスクワークで、営業にすら行きません。部屋の中でずっと座ってばかりのことが多いのです。

そんな生活でも、毎日「ゆっくり」そのへんを6000歩ほど歩き回り、夜にはヨガだの座禅だの、たまには筋トレをやってはいます。

しかし、これらの特徴は「静的である」ということです。

こんな静的なことばっかりしているから、心肺機能が「眠って」しまっていたのだと思います。

幸い、ゆっくりでも2年間毎日歩いてはいるし、筋トレもしているから、心肺機能が「低下している」というこということはなかったようです。

必要だったのは「目覚めさせる」ことだったのかもしれません。

ほとんど走ってんじゃねえかと思えるほど早足で、ダーーーと歩き回ってヒーヒー息を上げたら、鬱陶しい不具合は消えてしまいました。

 

こんなことは、冷静に自分を観察できていたら、もっともっと早くに気がついていたと思います。

そんな難しい話じゃねえや。

暴れたら、治る。

たったこれだけの単純なことに気が付けないのは、「よけいな知識」のせいだったと気が付きました。

もともと妄想力が強いのに、それをわざわざ強化するようなエサを日々与えながら生きてきました。

知識で富栄養化された妄想は、もうとどまるところを知りません。

それもよりによって「不安」などという、もっともアクが強い妄想を富栄養化させてしまったものだから、手に負えなくなっていたのだと思います。

 

酒は飲んでも、飲まれるな。

と同じように、

妄想は飼っても、飼われるな。

ていうことを、覚えておこうと思います。

とくに、わるい妄想には「知識」というエサを与えないでください。

病気は調べれば調べるほど、悪化する。

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