100人の人に好かれるより、1人の誰かを好きになる方が、100倍幸せです。

幸せとか、幸福とかいうあいまいな概念が嫌いです。
なぜあいまいかというと、「人によって尺度が違う」からです。
生まれつき目が見えなくても、足が悪くても、貧乏でも「幸せ」な人はいると思います。
五体満足で、お金持ちで、地位の高い人でも「不幸せ」な人がいます。
つまり、自分に属する情報に由来するものでは、己の幸不幸は規定されないということです。
だからあいまいだと言うのです。
それよりも、うまいものを食う、かゆいところを搔く、セックスをする、そんな本能に由来する「快楽」のほうが、絶対的で信頼性が高い。
快楽の積み重ねが幸福だというような言葉遊びを許さないほど、快楽は絶対的な唯一性を持っています。
さて、それでも人は「幸せ」を求めます。
概念があいまいだからこそ、かえって人はそれを求める、のではありません。
じつは幸せとは簡単なことで、
自分以外の人の幸せを願う気持ちこそが、幸せな状態なのです。
100人の人に好かれるよりも、1人の誰かを好きになるほうが、100倍幸せです。
人間は、そういうようにできています。
人間は「社会的な生き物」で、「人との関係」を無視できない存在です。
生き物はすべて遺伝子の乗り物です。
個の存続よりも、種全体の存続のほうがはるかに重要であるから、生き物としては社会性を持つほうがより優位です。知能が高いほうが有利です。社会性が高く、知能の高い人間は、種として大成功を収めました。
人間は社会性を持つ種であるから、すなおに己の遺伝子の情報に従うことが幸せの秘訣ということになります。
すなわち、個の存続を指向するよりは、他の存続を指向するほうが遺伝子の指向性に近いはずです。
ということは、やっぱり自分以外の、誰かの幸せを願う気持ちこそが、すでに「幸せ」なのです。
だからキリストは「隣人を愛せよ」と言い、釈迦は「慈悲」を説いた。
遺伝子レベルでの秘訣だから、広く人口に膾炙したのだと思います。
「魂」とは、「心」だという人もいますが、ぼくは「魂」を「遺伝子」と考える方がしっくりきます。
魂に響く物事は、ぼくの遺伝子の指向性に合致している。

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