追い詰めるから、壊れる。

思うに、つい数ヶ月前までのぼくは、たぶん「あたおか」だったんだと思う。
あたま、おかしかった。

なにかにつけて、じぶんを追い詰める傾向があったのです。
自律神経の調子を整えるためには、ウォーキングなどの運動が良い。
というようなことを聞けば、一日一万歩を100日連続で続ける。
ヨガが良い、と聞けば、3年間一日も欠かさずやろうとする。
ジョギングが良い、と気がつけば、一日に何度も走り、毎日つづけようとする。
スタンディングデスクがいい、と聞けば、すべての業務を毎日立って行おうとする。
そしてついサボってしまいそうになったら、
「これだから、だめなんだ! この意思の弱さが、ぼくのわるいところだ!」
と、責め立てる。
そしてほんとうにサボってしまったら、非常に後悔して、じぶんの不甲斐なさに辟易する。

「あたおか」でありますね。
あたま、おかしいのであります。
まあ、パニック障害などという意味不明な病気になってしまったら、いろいろと方法論を模索するというのはあると思いますけどね。
それにしても、ひどすぎる。
しかしさいきんこの「あたおか」は少しマシになってきたようで、柔軟性を取り戻してきたところがあります。

ぼくが自律神経失調に陥りやすいのは、まちがいなくデスクワークが原因のひとつです。
何時間もぶっ通しでパソコンにしがみついて、ややこしいプログラムを書き続けます。
ここのポイントは、「デスクワーク」ではなく「ぶっ通しである」ということです。
1時間おきにちょっとウォーキングに行くということだけでも、ずいぶん体調が復活します。
そこで、以前の僕は、こんなふうに考えたのです。
「1時間に1回、必ずあるきに行こう。チャイムを鳴らし、目標を設定し、遂行したかどうかチェックしよう。」
実際に日記にログを残し、遂行したかどうか確認する。
目標の歩数に達してなかったら、夜中でもあるきに行く。
ね?
「あたおか」でしょう?

ポイントは、「歩いたかどうか」じゃないのですよね。
「動かない時間をぶっ通した」ことこそに、要点がある。
だからべつに、ウォーキングやジョギングでなくてもいいのです。
そして「1時間に1回」でなくても、べつによかった。
「疲れたな」と思ったときが、「そのとき」だったのでした。
しかし「疲れたな」と思ったとき、必ずしもウォーキングやジョギングに行けるとは限りません。
だから、それ以外の方法でもいいから、とにかくからだを動かせば良い。
それはたとえば、ラジオ体操でもいいのです。
ラジオ体操までいかなくても、脚の屈伸をしたり、伸びをしたり、あたまをぐるぐる回したり、腰を捻ったり、ほんの1〜2分の軽い体操でもかまわない。
ドリフのヒゲダンスだって、べつにかまわない。
それでも、たったそれだけのことで、自律神経のほうは、ほんとにずいぶんマシになるのでした。

しかし「あたおか」のぼくは、「疲れたな」と思っても歩きに行けなかったときは「業務終了後にまとめて歩く」というようなことをしていました。
そんなことをすると、「歩きに行かねばならない」というストレスが追加され、また「結局仕事をぶっ通す」という、いちばんやってはいけないことをやってしまうことになります。
ほんとに「あたおか」であります。
どうして、そこまで、柔軟性を失ってしまったのか。
どうして「あたおか」になってしまったのか。
……「追い詰めた」からだと思います。

まず「情報の整理整頓ができていなかった」のだと思うのですよ。
要点は、どこか?
ポイントは、なにか?
そこがちゃんと見えていないから、「行動」ばかりに目がいってしまっていた。
「方法論」にばかり、拘泥してしまっていた。

「問題は、長時間動かないことである」

これがわかっているのなら、
「たまに動く」
ということだけで、ほぼ100%解決なのです。
べつに、毎日しなくてもいいんですよね。
かならず1時間に1回でなくても、いい。
ウォーキングでなくても、ジョギングでなくても、ヨガでなくても、ぜんぜんかまわない。
「たまに、ちょっと動かす」だけで、十分だった。
掃除でも、かるい体操でも、なんでもよかったのでした。

○○でなければ、ならない。
そうやって、「決めつけ」「断定し」「ノルマ化する」というのが「追い詰めるこころ」。

どうして、そうなるか?
先のことばかり見て、今のじぶんを見ていないから。

「いま、じぶんは疲れているかどうか」というところに、目がいってない。
そんなことよりも「すべきことが、どこまで、どれだけできたか」ばっかり見て、「どうすれば良い未来がくるか(=治るか)」ばっかりを考えている。
だからすぐ計画に頼り、情報に頼り、目標に頼り、デバッグに頼り、「わるいところさがし」に終始する。
「すべきこと」完了させて、つかの間の安心を得ようとする。

旅行に行くとき、神経質に、綿密にスケジュールを立てないと気が済まない人って、いますよね。
行く前から本やネットでいっぱい情報を集めて、どういうふうに行動すればいちばん効率的か、を深く考える。
そして、それをキッチリこなさないと気が済まない。
じつは、そんな人と一緒に旅行へ行くと「災難」にあいます。
そんなにうまいこと、いかないからです。
1つや2つの予想外・予定外は必ずあって、行く予定にしていたお店は臨時休業だったり、参加したかったイベントは雨で中止になったり。
計画に頼るひとは、そんなイレギュラーが出るたびに、パニックを起こす。いらいらしはじめる。
膨大な時間が空いてしまい、それを埋めるためにまた一生懸命に考え直そうとする。
予定の再構築に、かなりの時間を浪費してしまう。
「旅行をしている」というよりは「計画を遂行している」。
そんなやつと旅行にいったら、それじたいがもう「災難」ですね。
計画を綿密にたてるひとも「追い詰め型」の典型だと思います。

「いきあたりばったり」の人といくほうが、旅行は絶対に楽しい。
行った先で、その場で出会ったモノゴトから「行きたいところ」を「見つけ」て、その場その場で次の行き先を決める。
現地のひとが美味しいという店に行って「あたり」か「はずれ」かを確かめるのも、わくわくする。
万一「はずれ」でも、それはそれで、いい思い出だ。
そんな方向性なら「いま起きていること」「いま知っている事実」を基準に行動しているので、予定外も予想外も、ありえない。
余計なパニックなんか起こさなくいていし、いらいらしなくてもいい。
予定表やガイドブックなんかを見る時間は減って、「旅行している」時間のほうが増えていく。
行動のすべてが観光になり、思い出になる。

それと一緒で……。
「なにがしたいか」ではなく「なにをすべきか」ばかりを優先することで、とうとう「あたおか」になってしまうんだと気がついたのです。
あたまが、おかしくなるの。

ふつうに考えて、3時間ぶっ通しでパソコン作業したら、たぶんFacebookのマーク・ザッカーバーグさんでも、肩がこる。
しかし途中に2〜3回ほどラジオ体操を挟んだら、そんなには疲れません。
そこで「1時間おきのタイマー」とか設定しだしたときが、まさに「あたおか」のはじまりはじまり。
いやいや、そういうことではなくて「いま疲れてるかどうか」を、ちゃんと見なくちゃねえ。
わざわざ奈良に大仏を見に行ったのに、ガイドブックと予定表ばかり見て大仏様はサラっと通過しただけ、っていう人とおなじ。

「なにをすべきか」は「未来」のはなし。
「なにがしたいか」は「いま」のはなし。
「いま」を大切にできないひとに、未来はない。
健康法にこだわると状況が悪化するのは、たぶんこんな単純な理屈だったりするのかもしれませんね。
じぶんが見えてない病、だから。

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