発作はなにかを治してる、っていう可能性

昨日は、なんかおかしかったんですよねー。

最近はほんと快食快便快眠でして、夜中に起きることだってほとんどありませんでした。
なのに昨日の夜は、なぜか目がさめた。
それも「暑くて目が覚めた」。
11時ぐらいですかね、なんかもう早朝のような肉体感覚になって、からだがむずむずして、ぬぬぬぬ、お、お、起きねばっ!
と、カラダちゃんが言うのです。
なんか額とか背中とか首に汗をかいていて、暑い!
もしかして暖房つけっぱなしで寝たのかな、と思ってエアコンを見ても、電源は入っていません。
時計についている温度計は11度でした。
うん、気温的には暑くないな、12月はまあこんなもんだな。
なのに、汗をかいているのです。

それに参ったのが、あのパニック発作のようなものが出てきてしまったのでした。
ど、ど、ど、どうしようなにかなんとかしないと、なにがどう、とかないけど、と、と、とにかくなんとかしないと!
みたいな「目的のない焦燥感」が暴れ始める。
最近はこれを「そっといなす」ことがだいぶ可能になってきているので、いわゆるパニック発作には至りませんでしたが。
でもまあ、不快です。寝ているのさえ不快。
だから起き上がってウロウロしたり、ストレッチしたりして、収まるのを待ちました。
案の定、15分もしたら収まって、そのまま朝まで眠ってしまいました。

じつは、そのちょっと前かからヘンだったのです。
その日の夕飯は神戸の中華街「老祥記」の肉まんで、ぼくはこれが大好きです。
母親が外出のついでにお土産で買ってきてくれたのでした。
好物なのでテンションも上がっており、その日はとくに心配事もイヤなこともありませんでしたから、幸福的食卓になるはずでした。
ビールを一口のみ、肉まんをひとかじりしたとき……。
なんかきゅうに、全身からブワっと冷や汗が出る、ような感覚。
そして寒いような、いや、暑いような、なんかヘンな感じになりました。
非常に不愉快であります。食欲が急に失せる。
ビールは一口飲んだだけでやめてしまい、肉まんも全部食べることができませんでした。
その後風呂に入ったら落ち着いて、娘と漫才など見ながらあはははは、などと笑っていたのです。
そして眠ったら、きゅうに目が覚めた、という流れです。
ちなみに、熱は全くありませんでした。

つまりようするに、「風邪」だと思うんですよね。
あの「ぞくそくっ!」という感覚と、きゅうな発汗。
しかし熱はなく、鼻水や咳は少し出ましたが、15分程度で止まってしまいました。
まさに発作が終わったときと、ほぼ同じタイミングで。

いわゆるパニック発作が起こると、その翌日とかには妙に体調が良くなることが多いです。
今日も若干のダルさはあるものの、体調としては良好です。咳も鼻水も下痢も熱も頭痛もありません。
ときどき、思うのですよね。
パニック発作っていうのは、まあ確かに異常っちゃあ異常なんだけど、じつは「なにかを治してる」のではないか。
それが対ウィルスなのか、アレルゲンなのか、そのへんはわかりませんけど、とにかくなにかを、防いだり、治したりしているのではないのかなあ。
そうでないと、すぐに咳が止まったり、熱がサクっと下がったりする理由が、よくわからんのです。

だからこう思うようにしたのです。
発作が出そうになったときや、出てしまったときには「おれのカラダが、なんかを治してくれてるんだろうな」と。
なにかへんなものを摂取したんじゃないか!
アレをしたのが、悪かったんじゃないか!
そう考えてしまうのは「発作は、わるい出来事」と定義しているからです。
そんな考えにとらわれると、だんだん「自己否定感」が強くなってしまいます。
発作をわるいことだと定義してしまった瞬間に、自分自身も悪いようになっていくのですよね。

どうせなにしたって、治ったり、治らなかったり。
治ったと思ったら、きゅうにぶり返したり。
そーゆー特徴があるのです、こいつには。
しかしどうせ発作が起きたって、15分から30分ぐらいで、必ず終わる。

と、いうことはですな。
「発作は、エエやつだ」
と思ったほうが、断然おトクなのですよね。
結果は変わらないんだから。
すくなくとも、自分や自分の行動(過去)を否定したり、後悔したりする必要性が少なくなります。
発作は確かに悪く見えるけど、ウィルスとか病原菌とかそんなのに比べたら、すいぶん良性だともいえます。
すくなくとも、細胞を破壊するとか骨を貪るとかの悪さは、一切しないのです。

発作が出たときに「落ち着け」といったって、ふつうは落ち着けません。
もしそれができたら、お釈迦様レベルだとぼくは思う。
あれだけの恐慌状態にあって、「落ち着け」の一言で本当に落ち着くことができるのなら、もうなんだってできるわなあ。
完璧な自己コントロールが可能なんですからね、それができたらマジで世界征服だって夢じゃないぞ。
でもさあ、心頭滅却すれば火もまた涼し、そんなすげーことが、ただのアタクシに、できるわきゃーなかろーもっ!
だから落ち着くとか落ち着かないとか、そーゆーアレよりは「いま、じつはいいことが起きてるんだよね」と言い聞かせるほうが、多少ですけど、現実感があります。
じっさいに発作のあとにはすこしだけ、体調が良くなるのですから。
そう思いながら、すーーーーーーと、できるだけ長く息を吐くの。
そしたらちょっとだけ、マシになる。

……でもまあ、やっぱり、いらないですけどね。
不快なものは不快だし、イヤなものはイヤだし、怖いものは怖いし、心配なのは心配。
ただ、今起こっていることを「否定する」「改善しようとする」「排除しようとする」「逃げようとする」だけじゃなくて、
「ながめる」「みとめる」「ゆるす」「みのがす」という努力だって、
たまにはあっても悪くはないのかな、と思います。
戦うだけが、人生じゃないもんね。
平和がほしければ、まずはじぶんと、仲良くしなくちゃ。
発作はもしかしたら、そのためのトレーニングだっていう可能性もある。

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