神棚の御札は、毎年替えなくてもいい?

神棚の御札(おふだ)は、毎年替えるべきである。
というのが、一般的だと思います。
トコワカという思想、ヨリシロという思想があり、また神様は清潔を好むのだそうです。
つまり一言でいえば神様は「新しもの好き」なので、きれいで新しいヨリシロ=御札にこそ神力は宿る、ということのようです。

このことについて、ぼくはもちろん異論とかそんなのはないのですが、ある神主さんの言葉を読んで、なんだか納得がいったのでした。

神社の宮司をしておりますが御札は1年毎の交換が必要ということはないです。
1年程度で交換する場合が多くみられるということです。
また、1年経過した、天照大御神札は神様の抜けた札と言う事になりません。
江戸時代の神道指導書には「御札は毎年交換する家が多いが、代々大切にしてる家もある。どちらも正しい」と明記されています。
なお、1年以上経過した御札を祀っている家は「天照大御神の居ない神棚」と言う事になりません。
また、「神札の交換は初詣が良い」とすることはないです。正しくは「交換を初詣に行う地域もある」ということです。
なお、御札は初詣迄、交換しない方が良いということはありません。
それから交換時期は特に規則がないのが事実ですが、地域によっては、年末が良いとか、節分が好ましいとかいろいろあります。

うちでは扉つきの神棚の中に御札を入れていますから、汚れるとか破れるということは全くありません。
年末の大掃除で御札を見てみても、とてもきれいです。
「こんなにきれいなのに、それでも交換しないといけないのか?」
正直にいうと、毎年年末に御札を交換するというのは、なんだか環境に悪いのではないかとさえ思っていたのです。

結局は「気持ちの問題だ」ということになるので、結論はないのです。
本人が「それでよし」と思うことが「よし」となるのでしょう。

個人的には、神棚や御札というのはべつに効力を求めるものではなく「敬意を持つ習慣のため」にあると思うのです。
それを祀ったり拝んだりすれば家を守ってくれるとか、病気を治してくれるとか、事故を防いでくれるとか。
不敬をすると、バチが当たるとか。
お礼を言わなければ、助けてくれないとか。
もしそれが本当なら、それはただの「呪術」だとも、思うのです。
神道というのは、そんなにレベルの低いことを言うものなのでしょうか?
神様というのは、そんなヤクザまがいの、利害を云々する存在ではないと思うのですよね。
到底人智の及ばぬ摂理のようなものだから、人間なんぞがゴニョゴニョなにかをしたからといって、のぞみを叶えるとか叶えないとか、そんなしょうもない話とは違う気がする。
そういうことではなくて、
「敬意を持つことの効力」
の重要性を言っているように思うのです。

ヨガをしていて、面白いことに気が付きました。
からだを前に倒すときに、
「申し訳ありません」
と思いながらやるのと、
「負けないぞ!」
と思いながらやるのでは、角度が変わるのですよね。
「申し訳ありません」
と思いながらやると、からだが柔らかくなるのです!
土下座するときに、イキを吸いながらするひとはいませんよね。
「ははぁ〜〜〜〜」と言いながら、するものです。
申し訳ありません、ありがとうございます、あなたは偉大です、そういった気持があると、からだは自然と柔軟になるようです。

そういえば体が硬く、開脚や前屈が苦手なひとというのは、プライドの高いひとが多い。
謝ることが嫌い、お礼を言うことが苦手、責められると逆ギレする。
そんなひとは骨盤周辺の筋肉が硬化するようで、そうなると全身的に歪みが固着し、強くなっていくようです。
「敬意を持つ」
これは社会生活を円滑にするためなんかじゃなくて、肉体を柔軟にし、血管や神経の強靭さを持たせるために必要なことなんだと思います。

「わたしは何も悪くないのだから、頭は下げたくない!」
そんなことを思っている間は、からだはいつまでも柔軟にならないようです。
「わたしが悪くなくても頭下げます。本気で謝れますよ。ごめんなさい!」
そいうひとは、からだも、こころも、柔軟でしょう。健康になれそうだ。
まず捨てるべきは、しょうもないプライドなんだと思います。
神棚というのは、ほっておくと日々溜まっていく「プライド」というものを、毎日廃棄していくためのツールなんだと思います。
自分なんてものは、そんなにエラそうにするほど大したものではないね。
ウエにはウエがいて、この宇宙は、じぶんではどうしようもない力学で動いてる。
そういうことを、ほんの一瞬だけでも思い出すために、神棚はあるんだと思います。

だから、そういう視点でいけば、
「御札は毎年替えなければならない!」
なんて強硬なコダワリを持つのは、かえってヘンな話になっていくかもしれません。
「御札を毎年替える」ことよりも、ヨシリロである御札を祀る神棚を、いつも清潔にして、大切に扱うことのほうが、優先順位は高いはず。
敬意を持ち、大事に大事に扱っていれば、御札なんて10年だってキレイなままでいられると思います。
神棚になぜ、鏡を置くか。
それはたぶん神棚を拝んだときに、「自分自身を見よ」という意味なんだと思います。
神棚にホコリが溜まりまくっていて、御札も汚れていたりしたら、自分自身のココロもそんな状態だということなんだと思います。
「敬意」というものを失って、プライドだけ高い、いけすかない人間になっているよ、という警告なんだと思います。

ごめんなさい。
ありがとう。
自分に全く非がなくても、これをすんなりと、堂々と、こころの底から思えたら、神経も血管も柔軟になると思います。
心身一如、ともいいますからね。

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