パワースポットという幻想

パワースポット、という概念があります。
そこにはある種の強いパワーがあって、そこに行けば、そのパワーを「もらう」ことができる、という発想です。
このパワースポットという概念について、むしろ逆なのではと、ふと思ったのです。

パワースポットというのは「もらいに行く」ところではなく「捨てに行く」ところなのではないか?

もうじき初詣のシーズンですが、ぼくたちは、そこへ何をしに行くのだろう。
「昨年一年のお礼を言いに行く」
「今年一年の安泰を願う」
「神様からパワーを授かる」
おおむね、そういったところかと思います。

ヨガ関係の人に多いのですが、「パワースポット好き」とでも言う人がいて、そういうひとは神社やお寺などに行くと、こういうことを言うのです。
「ああ、ステキなパワーをもらったわ!」
そうなのです。
彼ら、彼女らの多くは、なにかを「もらいに」行っているのでした。

じつは、逆なのではないか、とフト思ったのです。
パワースポットというのは、なにかを「もらう」ところではなく「捨てる」ところなのではないのでしょうか。
じぶんのこころのなかに日々溜まってきた、よけいなプライドや、よけいな欲や、こだわりや、偏見や、まちがった認知など、そういったものを、捨てに行く。
パワースポットに漂う神気にふれて、偉大なる、清浄なる、高貴なる存在を感じ、改悛しに行くところなのではないか。

「ほしい」
そう思っていることじたいが、どうも怪しいのです。
「幸福」や「パワー」を、「もらう」という発想。

考え方が「足し算」ですよね。
すでに、欲深いといえます。
ほしいほしい、もらいたい、ゲットしたい、こっちに向けたい。
つまりこれは、ようするに、「陰」を目指しているのです。ブラックホールですね。
いろんなものを、寄せ付けて、引き寄せたいと思う。

しかしむしろ、そういったものを捨ててしまうほうが、早急にラクになれるような気もします。
「陽」となって、与える。捨てる。出していく。
出すから、入ってくるとも言います。
吐くから、吸えるとも言います。
湯船の中で温かいお湯を手前に持ってきたければ、引き寄せるよりも、お湯を前に押し出すほうが早く全体が温かくなります。
サーキュレーターも、自分に向けずに天井に向かって回したほうが、部屋全体が早く温かく、あるいは涼しくなります。
欲しがるから、入ってこない。
なんか、そんな気がするのですよね。

えらそうな人ほど、尊敬してもらえない。
強がる人ほど、じつは弱い。
大きなことを言うやつに限って、なんにもできない。
細かいことをぐずぐず言うやつに限って、大事なことを見落とす。
正義を語るものほど、悪に傾く。
慈愛を語るものほど、残忍である。

パワーがほしければ、ぎゃくにパワーを、誰かに与えたほうがいいのかもしれませんね。
そういえば、だれかを元気にしてあげたら、じぶんもなんだか、元気になる。
だれかを励ましてあげたら、じぶんもなんだか、勇気が湧く。
だれかを笑わせてあげたら、じぶんもなんだか、楽しくなる。
だれかを褒めてあげたら、じぶんもなんだか、うれしくなる。
だれかを安心させてあげたら、じぶんもすこし、気が楽になる。

パワースポットを巡るんじゃなくて、
じぶんじしんが、パワースポットになろう。
そっちのほうが、手っ取り早かったりして。

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  • ぽぽんた より:

    いつも
    すてきに
    デザイン かわりますね …
    自画像? が かわいくて
    みるたび わらっちゃうのだけど˘ ˘*ゝ

    ことしも たくさん ありがとう。

    これからも
    てらちゃんの やさしさ に
    ふれられる こと
    うれしく
    たのしみ に
    して います。(_ _)

    いつも
    いつまでも

    やすらかに
    しあわせで
    ありますように。(・ω<)*☆。.:*・゜

  • TERA TERA より:

    あけましておめでとうございます。
    ぽぽんた様も、よき一年でありますように!

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