けなげな身体

もしぼくが、パニック障害にならず、自律神経失調症にもならず、外出や電車恐怖になっていなかったら、いまごろどうしてただろう?

離婚せずに済んで、しあわせな家庭生活を送っていたんじゃないか。

会社を退職せずに済んで、もっと仕事をたくさんして、もっと稼げていたんじゃないか。

なんてことを、ふと考えることがあります。

ほんとにもう、人間ちゅうものは、とかく「なにかのせい」にしたがるズルいいきものですね。

病気のせい、からだのせい。

 

じっさいには、そうではないと思うんですよね。

もしぼくが、パニック障害にならず、自律神経失調症にもならず、外出や電車恐怖症にもなっていなかったら?

 

もうずいぶん前に死んでたんじゃないの

 

と、思ったりもするのです。

つまり無理をして、ほんとうにぶっ壊れてしまっていたかもしれない。

まあ死んでいなかったとしても、ほんとうに危ないことになっていたかもしれない。

じぶんの性格からして、あながちありえないことではないな、と思うのですよね。

妙にまじめで、律儀なところがあるから。

とにかく無理をしてしまうのです。

具合が悪くても、親しい友人や先輩から誘われたら飲みにいったり、納期が間に合わないと徹夜してでも間に合わせようとしたり。

気合や根性というのを、むだに浪費する傾向があります。

 

身体というのは、ほんとーに、「けなげ」なのですよね。

ちょうど休みの日になってから、不調になってくれる。

そしてまるで計算でもしているかのように、業務開始までに、全部治してくれる。

ちなみにこの年末年始は昨年12月28日から、今年の1月6日までお休みをいただいています。

そして1月3日の午後から、案の定、ぼくはきゅうにからだじゅうが痛くなったのでした。

すこしだけ熱も出て、動悸がして、とにかく全身がダルい! 重い! 痛い!

いくら昼寝をしても、夜まで眠れてしまう。

痛めたことがない、手首や足首、膝まで痛い。

これはどういうことかというと、まあ風邪といえば風邪なのですが、たぶん細菌性・ウィルス性のやつではないです。

「疲れがどっと出ている」のだと思います。

これは毎年、だいたいこんな感じです。

どうせ結局、7日になったら全部治るのですよ。毎年。

家の大掃除は年末だけど、からだの大掃除は年始にやってくれているのかもしれません。

今年はとくにひどくて、初詣にも行けやしない。

これをして、「ぼくはからだが弱いのだ」と思うのは、早計だということに気がついたのです。

むしろ、これがあるからこそ、ぼくはまた走り出すことができるから。

このおかげで、いろいろ疲れが取れるのです。結果的に。

調子が悪くなった……それは必ずしも「悪」ではなく、むしろいろんな不調を治してくれているのだと思うのですよね。

 

これと同じように、パニック発作なんかも似たようなものなのかな、と思うんです。

経験がある人ならわかってもらえると思うけど、あれはもう、なにがどうあっても、「なんにもできない」です。

しばらく停止するしか、ほかに道はありません。 フリーズ!

外出恐怖なんかはもう、直接的すぎるぐらい、わかりやすいですね。

まさにそのまま、外出ができないわけです。

「仕事では出られないが、遊びになら行ける」とか、そんなご都合主義的なものではないのです。

遊ぶことでさえ、好きなことでさえ、出られない。

これはもう、身体が「動くな! じっとしてろ!」と言ってるように思えるのです。

 

パニック発作や外出恐怖について、これを「異常だ」と捉えるか、「休息のサインだ」と捉えるか。

この選択ひとつで、地獄のような気分にもなり、天国的な安心感にもなりえます。

 

まだ、死ぬわけにはいかない。

まだ、本格的に倒れるわけにはいかない。

そんな「生への情熱」がまだしっかりあるからこそ、具合は悪くなるのだと思うのです。

つまり、まだまだ生命力が、旺盛な証拠。

これからも「しなければならないこと」が、まだまだたくさんある証拠。

まだここで、終わるわけにいかない。

だからこそ、いまのうちに、強烈で回避できない症状を持ち出してでも、強制的に行動を制限し、エネルギーを貯めて、全身的に復活させようとしてくれている。

そんなふうにしか、もう考えられないのですよね。

 

身体を、信じるか、疑うか。

疑えば「異常」になります。

信じれば「休息のサイン」になります。

どちらを選ぶかは、本人しだい。

ぼくは断然、後者を選びたいですね。

なぜならば、身体は「けなげ」なので。

けなげなものを、疑ってかかるのは、ちょっとかわいそうですからね。

 

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