怒りと痛み、痛みと癒し

どー考えても、おかしいのであります。

 

この年末年始のお休みは、風邪を引いていたこともあってまさに「寝正月」でした。

よって、ふつうの休みならなんだかんだいってパソコン作業をしたりしていたのですが、このたびはほとんどパソコンを触りませんでした。

触ったとしても1日に30分以内で、なにか調べ物をしたり、ブログを書いたぐらいです。

それ以外は映画を観たり本を読んだりゴロゴロしたりして、たまにストレッチしたり、軽く散歩に出かけるぐらいでした。

7日間パソコンをほとんど触らなかったというのは、ここ数年でも、かなりめずらしい記録……というか、もしかすると、独立以来はじめてかもしれないです。

 

なのに、ですね。

むちゃくちゃ腰が痛くなったのです!

今現在でも、かなり痛いですね。

飼い犬の頭をヨシヨシしようとしてちょっとかがんだだだけで、

 

はううっっ!!!!

 

と、思わず叫んでしまいます。

魔女の鉄槌、すなわちあの例の「ギックリ腰」に、なりそうになるのでした。

これに連動して、「ギックリ背中」にもなりそうです。

 

もともと腰は、あまり良くはないのです。

学生時代に柔道で痛めたこともあって、高校生の頃から腰痛持ちでした。

社会人になってからもそれは続いて、外科や接骨院・整体院は当然として、ハリやカイロプラクティック、しまいには保険の効かない怪しげな整体院にまで通って治そうとしていました。

でもぜんぜんまったく、治りませんでした。

しかし、不思議なものです。

36歳のときにパニック障害を発症してから、なんと、腰痛がなくなったんです。

それ以来、自律神経失調症や広場恐怖など、いろいろ変遷していきますが、腰痛だけは、特にありません。

むろん大掛かりな模様替えなどをして腰が痛くなることはありますが、あの例の、慢性的な泣きそうな腰痛というのは全く感じないのでした。

なのでぼくは、腰痛の方はもう治ったんだろうな、椅子をアーロンチェアに変えたので、それで良くなったんじゃないかな、なんて考えていました。

 

いいや。

全然治ってないわ。

この寝正月を経て、腰痛はギンギンのビンビンに、昔のままの姿で、約10年ぶりに復活したのでありました。

正直、へんな話だけど「おわ、なんか懐かしー。久しぶりだねえ」ぐらいに思いましたねえ。

 

むしろ腰に負担のかからない生活をしていたというのに、くっきりと腰痛が復活した。

これはいったい、どーゆーことなんだろう?

 

「痛みは癒やしのあかしである」

 

ということを、ふと思い出しました。

痛みがある、ということは、からだが「いままさに、治してる」ということなんだそうです。

痛みがあるからこそ、その部位に血液が集まって、発熱し、血管が開き、循環がよくなり、神経も活発になって、修復作業がうまくいくんだそうです。

また、この痛みによって行動が抑制されるので(痛くて動けないので)、さらに修復作業は捗る。

よくできてますよね。

だから「痛み=不具合」というふうに短絡的に考えて、痛み止めなんかをガンガン使いまくると、治るものも治らなくなるんだそうです。

風邪の熱と、一緒ですよね。

40度を超えるような高熱の場合は別として、熱は基本的に、あまり薬で下げないほうが風邪は早く治るんだそうです。

熱で、ウィルスや細菌を殺してくれているからなんですよね。

だから痛みというのも似たようなもので、眠れないほど辛い場合は別として、無理に薬なんかで神経を麻痺させて痛みを取ると、本末転倒になる場合もあるんだそうです。

 

このたびの「腰痛復活」というのは、もしかすると、「いいこと」なのではないか?

ふと、そんなことを思ったのです。

というのも、この腰痛が出ているかわりに、あの自律神経の不具合がないのです。

痛いかわりに、気分の悪さは感じない。

腰が痛いから結局外出はあまりしたくないんだけど、あの予期不安や恐怖はかなり、消えているんですよね……。

 

正直よくわかりませんけど、なんか感じるんですよね。

ぼくのパニックや自律神経の不調というのは、結局のところ、この「腰」から始まっていたんじゃないか、と。

発作を起こす前まで、ホントにむちゃくちゃヒドかったんです。

毎日座薬を使っていたくらいです。

そうしないと、身動きできないほど、痛かった。

病院に行っても全然原因はわかりませんでした。

それが発作を起こした瞬間に、消えてしまった。

 

人間は痛みや苦痛というのを、基本的には1箇所しか感じられないようにできているんだそうです。

とくに、強いものがひとつある場合は、それ以外の痛みをあまり感じないらしい。

「痛みが移動する」というのは、本来は複数箇所に痛みがあったんだけど、そのうちのいちばん大きな痛みが治ったので、二番目に痛いところが知覚されるようになっただけ、ということもあるんだそうです。

だから当時のそれも、パニックのあまりの強烈さに腰痛が隠れた……ということもあるかもしれない。

でもおかしなのは、痛みが消えたのは発作時だけじゃないんです。

それ以外のときでも、腰痛は感じなかった。

 

腰痛は、怒りである。

そういう説もあります。

そしてぼくはじぶんのパニック発作を、長年できるだけ冷静に眺めてみて、気が付いたことがあります。

「発作は、怒りである」

おなじ「怒り」という感情の、「表現のしかたの違い」なのでしょうか。

 

もし原因が怒りだとして、でもぼくは、この怒りの原因が何なのかちっともわかりません。

ただぼくのなかに、どうしても消えない、ものすごい怒りのカタマリのようなものがあるのは、たまに感じます。

ほんとうは変人のくせに、子供の頃からまともな人、いい人を演じていたり、じぶんの気持ちを抑えるようなことばかり続けた結果、

些細な怒りが蓄積・発酵・爆発したのかもしれません。

あるいは、もう記憶にはないけど、なにかとても腹の立つようなことがあったのかもしれません。

 

そういえば一昨年の末あたりから、ぼくは「いい人」をやめました。

ムカつくことがあれば相手が客であろうが誰であろうが食って掛かるようにしていますし、「みんな仲良く」なんていう、くそつまらないイデオロギーも捨てました。

「お客様は神様です」なんか真っ先に捨てた。

おれもテメーも、人間だっつうの! 神様ナメんな!

だから理不尽なことをヌカしたら、相手が誰でも張り倒してやる。

喧嘩上等、嫌われ上等。

思ったことは、口に出す。

思ったことは、絶対に飲み込まない。

いやなことは、全力で、ウソついてでも断る。

そういうことを続けていった結果発見したのですが、ぼくは全然いい人じゃなかった

おとなしく、やさしくて、自己犠牲的で、常識のある、ちゃんとしたぼく、いわば「白いぼく」は、「つくられたぼく」、ウソのぼくでした。

まあもちろん、それが全部がウソではないんだけれど、いっぽうで、気の強い、プライドの高い、喧嘩っ早い、乱暴で、身勝手で、わがままで、変人で、強欲な一面が、ガッツリ見えてきたのでした。

それらはすべて、「ぼくが大きらいな人物像」でもあります。

いわば「黒いぼく」。

しかし残念ながら、ぼくのこころの根っこには、黒いぼくがいました。

はっきりした輪郭線をもって、ものすごい怖いのが、いた。

 

それを隠さず「なにが悪いんじゃ」と開き直っていったところ、もうひとつのことにも気がつきました。

「黒いぼく」を出したって、べつに友達もお客さんも減らないっていう。

むしろ、増えるっていう。

「お前最近元気そうじゃないか」ということになってしまいました。

実害を与えたり、犯罪をしたりしなければ、なにをしたってべつに大して変わらないんですよね。

そんなに人は、ぼくのことを見ていないっていうか、そんなところは見てない。

みんながほんとうに反応するのは、ことばや態度じゃなくて、事実だけ。

そしてその事実も、そんなに覚えてない。みんなじぶんのことで精一杯だから。

だから逆にいえば、事実さえつないでおけば、だあれも怒らんのでした。

ぼくが黒いか白いかなんてそんな細かいことを気にしているのは、ぼくだけだった。

 

「黒いぼく」は、もともとは、そんなに大きくはなかったのです。

でもそれを長年閉じ込めて押し殺してきた結果、闇の中でものすごく巨大になっていたんですね。

ただ幸いなことに、それを閉じ込めたのは親とか先生とか社会とかではなくて、じぶん自身でした。

ぼくが閉じ込めたいと思ったから、閉じ込めた。

強制ではなく、自由意志で、閉じ込めた。

だからそんなに大きくはならなかったし、そんなに怖くならずに済んだ。

犯罪をおかすまでには、成長しなかったみたいです。

 

そのかわりに、腰に出た。

あたまにもきた。

なんか、そんなかんじがするのですよね。

 

まあちょっといいふうに考えすぎかもしれないけど、この腰痛は「よくなっているあかし」だと、思うことにしました。

ぜんぶ、いい方向に向かってるんです。

 

そう考えて、なにがわるいんじゃっ!

そんなもん、ワシの勝手やろうがコラっ!

……って言うのは、黒いほうのぼくです。

 

ほら、腰は痛いけど、機嫌はいいんだ。

 

 

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