やることよりも、動機がだいじ。それも、不純な。

去年一年間、ぼくはなにを考えて、どうなったただろうか。

振り返りのために、毎年年始にはじぶんのブログを読み返すようにしています。

 

「何をしたら(あるいはしなければ)、パニック障害が治り、自律神経が安定するようになるか」

毎年、記事のほとんどはこのテーマでした。

パニック障害などというわけのわからない病気を治そうとする努力の成果を、かれこれ3年間、このブログに書いているわけです。

そして結果は、どうなったか。

良くも悪くもなっていない。

非情ながら、結局はそういうことになるのでした。

それも、毎年。

 

「だから、努力なんてのは、やっぱり無駄なんだ」

なんとなくそういう方向性に行ってしまいそうになりますけど、気がついた。

確かに治ってはいないけど、日によって、あるいは時期によって、とても体調が良いこともあるのです。

だから「治っていない」というよりは「調子がよい時期」と「調子のわるい時期」が混在している、ということです。

この現象について、行動との因果関係を整理しましたら、わりと意外なことがわかりました。

 

「治そう」と思ってやったことは、すべて結果が悪くなっている。

 

たとえば、ジョギング。

そもそもは、病気を治すためだとか、自律神経がどうだとか、そんなことはほとんど考えていませんでした。

「走りたいっ!」

ただ純粋に、そんな気持ちがあったのです。

そしてもうひとつ、

「細マッチョなからだを、取り戻したいっ!」

というのもありました。

そして走り始めましたら、予想外なことで、むちゃくちゃ体調が良くなったのです。

そこでぼくは、

「やはりそうか。走ることは、パニック障害や、自律神経に良いのだ」

と、思いました。

調べてみましたら、確かにジョギングなどの有酸素運動は神経の安定にとても良いという医学的な情報はたくさんあります。

そうか! なんとなく始めたことだけど、これは偶然、とても神経にいいことだったんだ!

そこから、ぼくは「走るひと」になりました。

そして、

「走り続ければ、きっと病気は治る!」

などということも、考えるようになりました。

つまり最初は「ただ走りたい」あるいは「引き締まったカラダを取り戻したい」という動機だったのが、いつしか「病を治したい」という、とても深刻な動機に変化していったのです。

そうしましたら、ほどなくして、パニック発作が戻ってきてしまったのでした。

 

じつはこれは、ジョギングに限った話ではありません。

ウォーキングでも、ヨガでも、筋トレでも、太極拳でも、なんでもそうでした。

最初はむしろ、不純な動機だったのです。

かっこよくなりたいとか、細くなりたいとか、楽そうとか、気持ちよさそうとか、モテそうとか、かわいい女の子がいっぱいいそうだ、とか。

それがいつしか、深刻で悲劇的で、まじめな動機に変化していってしまうのです。

少しでも効果があれば「病気を治したい」という「悲願」が、顔を出してくる。

そうすると、もうそのエクササイズの「効能」は、きれいさっぱり、切れてしまうのでした。

 

これは、盲点でした。

行動の「内容(何をしたか)」ばかりに目が行ってしまっていて、「どういう気持で行ったか」という点を、完全に見落としていたのです。

よって「この運動が効く・効かない」ということばかりを、判断していた。

しかしじつは、エクササイズを含めあらゆる行動というのは、どれも、それ自体には大した効力はないのかもしれません。

それを行うときの気持ち、なかでも「動機」にこそ、いちばんの効力があるのかもしれません。

動機が、あかるいか、クラいか。

それがとてつもなく、大きな影響力を持つような気がします。

結論からいうと、

まじめな動機には、効力がない。

 

病気を治したい……。

そんな悲劇的で、くらい動機は、じつはよい結果をもたらしてくれないのかもしれません。

「陰性」だからです。

マイナスの世界で、うろついているからです。

同様に、健康になりたい、というのも、同じようなもの。

根っこに「陰性」のものがあると、結果も同様に、陰性になるのかもしれません。

 

モテたい。

かっこよくなりたい。

キレイになりたい。

気持ちよくなりたい。

わくわくしたい。

うまいものを食いたい。

そんな、どちらかというと、不純な動機。

 

じつは、こっちのほうが「悲願」などという陰性の動機よりはずっとずっと、パワーがある。

これらの動機はすべて、「現状からプラスの方向へ」つまり「ゼロからプラスへ」のエネルギーを持っています。

しかし「治したい」というのは、「異常から正常へ」つまり「マイナスからゼロまで」のエネルギーしか、持っていません。

つまり「マイナスの世界だけで、効力を発揮するエネルギー」なのです。

だから目標に近づく=ゼロ地点まで近づくほどに、エネルギーは減衰していきます。

そしてある程度良くなった時点で、エントロピーが崩壊してしまう。

エネルギーが消えたらまた、マイナスへ戻っていくのでした。

 

動機は、不純なほうがいい。

考えてみれば、これはビジネスの世界でも、けっこうあてはまるのですよね。

「社長になって女にモテたい」そんな不純な動機でビジネスを立ち上げるひとも、じつは少なくありません。

そしてその欲望が強ければ強いほど、ビジネスはうまくいったりします。

パソコンやインターネットが爆発的に普及したのも、じつは「エロ」の影響が無視できません。

エッチなゲームをしたくてパソコンを買い、いつしか趣味が高じてプログラムを覚えた、というプログラマーさんもたくさんいらっしゃいます。

いっぽう、最初から「社会貢献のために」などという、うわついた社会福祉的な哲学を動機にしていても、あまりうまくいかないことが多いようです。

きれいごとには、ちょっとエネルギーが少なすぎるのかもしれません。

 

健康のために、走ろう。

というのと、

モテる男になるために、走ろう。

というのでは、どっちのほうに、パワーがあるか。

一目瞭然ですね。

もちろん、後者です。そして、そこには「希望」があります。

前者には、希望なんか、ありゃあしません。

ていうよりも、わかりにくい。

「健康」なんていう、モワっとした雑な概念を言われても……

こころに、ズバっと、伝わらないよね。イメージも湧かない。

 

元気になるには、元気な動機が必要だ。

だからぼくは、病気を治すためじゃなくて、モテる男になるために、筋トレをする。

それでいいのだ!

 

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